第四話 学園艦の授業参観 ④
本来は先週、つまり2月6日に公開する予定でしたが、設定ミスにより公開できていませんでした。この場をお借りしてお詫びいたします。
「……官房長官と会うなんて、君たちは運が良いな」
艦橋から学生寮へ帰る車の中、北白河教官はハンドルを握りながら呟いた。
「見てよ教官っ!未来の総理大臣のサインだよ」
早速イチョウは青嵐さんに書いてもらったサイン色紙を自慢し始めた。
「『未来の総理大臣』か……やはり、そうか」
「やはり、とは?」
私は北白河教官の言葉の端に引っ掛かりを覚えた。
「あの人なら総理大臣なんて今すぐにでも手が届くだろうな。なぜ官房長官で留まっているのか謎なのだよ」
「へえ……みゃーちゃんは理由とか知ってる?」
「父とそういう話はしたことがありませんでした。きっと、政治のことで私に迷惑をかけていると思っていたからだと思いますわ。総理になったら、狙われる頻度も増えるのでしょうし」
北白河教官はミヤさまをバックミラーで一瞥し、表情を変えずに問うた。
「官房長官は君たちに何と言っていた?」
「ミヤさまをよろしく、とか取り留めのない話ばかりですよ」
「それ以外には」
「えっ、うーん……あっ、『たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するがごときものは許されない』と言っていました」
「ふむ、吉祥寺駅事件か。おおよそ言いたいことの見当はつく」
車のスピードがほんの少しだけ上がったような気がする。もっとも北白河教官の目は依然、怒りをたたえている。
「吉祥寺駅事件って?そもそも吉祥寺ってどこ?」
好奇心旺盛なイチョウはすかさず突っ込んだ。
「かつての首都・東京の地名だ。その吉祥寺駅の構内で駅員が制止するのもきかず、ビラをばら撒いて演説を打った者が捕まった事件だ」
「なるほど。表現の自由と鉄道会社の所有権のどちらが優先されるべきか、という問題ですわね」
「まあ、そういうことだ。それで最高裁が言ったのがまさに今の箇所だ。表現の自由は守られるべきだが、自由をかさに着て他人の権利を妨害してよいわけではない。噛み砕いて言えばそういうことだろう」
例えば、憲法九条を守れと叫んでいる団体がいたとして、私の家の中に勝手に上がり込んできて演説をされちゃ、たまったことじゃないだろう。そう淡々と解説する北白河教官だけれど、その目はやっぱり怒ったままだ。思い切って私は、北白河教官に先ほどからの違和感をぶつけることにしてみる。
「先ほどから教官は何か変ですよ。怒っているように見えます」
ちょうど車は交差点に差しかかり、赤信号で停止する。北白河教官は私を見て言った。今の目はいつも通りだ。
「せっかく休みだと思って眠っていたのに官房長官から起こされたのだよ。君たちと官房長官の会話の自由は守られるべきだが、私の睡眠権を妨害してよいわけではない」
「す、すみません……って、教官にとっては今日は休日ではないじゃないですか」
「私が休みだと言えばその日は休日なのだ」
「はいっ!じゃあ教官、あたしも来週の月曜は休日にすることにします!」
勢い良く左手を高く挙げたイチョウは高校球児のように宣言した。
「構わないが、単位は保証しない」
「『休む自由』に対する制約だあ……」
イチョウはがっくり、割と本気で落ち込んでしまった。私も週休三日制が実現すればそれに越したことはないのだけれど、世界をお作りになったという神はそうしなかったので致し方ない。
「官房長官が引用した一節はたしかに美しいし間違ってはいない。だが、いつ何時でも妥当するというわけでもない」
再び車は発進して右折した。あと二、三の交差点を通過すれば、学生寮の付近に到着する。
「と、言いますと?」
「あの判例には補足意見が付されている。もちろん一裁判官の意見表明にすぎないが、それなりに影響力のある意見だ。そこでは、道路や公園、広場などは鉄道駅とは別論だ、とされている」
「えっ、どう違うんだろ」
「君たちはデモなぞ見たことがないだろうが、想像してみたまえ。デモをやるには場所が必要だ。加古川、君が『月曜日も休日にしろ!』というデモをやるとして、どこでやる?」
「うーん、広場?〈ながと〉の船尾広場とか、うってつけじゃん!」
「その通り。ところで、君の実家には船尾広場くらい広い場所があるか」
私の実家にはない。そもそも、庭すらないような狭苦しいマンションだ。
「無くはないですけど……数百人とか集められる場所はないですねえ。そもそもあたしの地元は山ばっかりだし」
「そうだろう。広場は基本的に自治体や国が所有していることが多く、デモを開催する自分が所有していることはまずない。そこで吉祥寺駅事件の論理を使えばどうなる」
「……国の『所有権』を害する行為になるので、デモができなくなりますわね。しかしそうするとデモをする場所が無くなり、『表現』ができませんわ」
「うむ。吉祥寺駅事件はその意味で注意すべき判決なのだよ……ほら、着いたぞ」
いつの間にか車窓にはいつもの学生寮が映っていた。きらびやかな貴賓室より、庶民感あふれる団地のような学生寮の方が正直落ち着く。
「君たち」
車を出ようとした私たちに北白河教官は呼びかけた。
「官房長官の言うことにしても、父親の言うことにしても、そして私の言うことにしても、絶対に鵜呑みにするな。自分で考え、悩め。そうすれば騙されることはない」
北白河教官は意味深な言葉を残すと、私たちが礼を述べる間もなく車を発進させ、あっという間に街の喧騒に消えていった。「自分で考え、悩め」。そう言った時の教官の目はまた、怒りを押し殺すような目だった。
* * *
青山はツキノとともに学園艦付きのヘリに乗り込んで屋敷を目指していた。眼下には一層の発展を遂げた大阪の街がよく見える。今や一千五百万人以上の人口を抱えるこの大阪も開発が限界に達しつつあることが、上空から見るとよく理解できる。山という山はほとんど切り開かれ、至る所にニュータウンが誕生している。
「こうして見ると、何ともちぐはぐな風景ですね」
ツキノはヘリから眺めながら、ぽつりと感想を漏らした。
「……まあ、あまり美しいとは言えないな。だがどの国もそんなものだろう。どこかの街に一極集中していくのは止められまい」
「そうですね。どの国でも歴史ある街が軒並み海に沈んでいきましたから、どこか安全な街に集まるのが必然です。しかし最近、ついに自由の女神が沈んでしまったのは残念です」
ツキノは一応メイドということにはなっているが、仕えるべき主が学園艦にいる今は、青山青嵐の貴重な話し相手でもある。
「……ところでツキノ君。君から見て、あの二人はどう映ったかな」
ツキノはヘリの窓から青山へと視線を移し、一瞬の躊躇もなく分析してみせる。
「イチョウさんはお調子者ですが、異様に勘が鋭いように感じました。しかし彼女は、ただのお調子者ではありません」
「ほう。なぜそう思った」
「訛りから兵庫県出身。それも、アクセントを聞くにかなり山深い地方のものです。おそらく、第十一次地方重点投資計画の対象地域の出身者でしょう」
「……ふむ。彼女からは私に対する敵意は感じられなかったがね」
青山は彼女の表情の変化や発言内容、些細な癖をも思い出しながら話す。二十年以上にわたる政治生活の中で彼は、読心術とでも言うべき技術を身に付けていた。
「同感です。イチョウさんは何も知らないのでしょう。知らないままで良いのかもしれませんが」
「江坂君の方はどうかな」
「アカリさんは常に一歩引いて物事を観察していますね。ですが彼女の内心は、どす黒い感情が支配しています」
青山は考える。人間というものは多かれ少なかれ公にしたくない感情を抱えているものだが、彼女の場合、齢十五の少女が本来持つべきでない感情を持っているように感じられた。そして青山は、似たような感情を自分に向けられた経験が幾度となくある。一度生まれたあの感情を消し去ることは、難しい。
「なるほど。まあ、その感情が私たちに向いているというわけではなさそうだな。ツキノ、君はミヤと会ってどうだったかね。ずっと一緒に過ごしてきたのだ、恋しいだろう」
青山はそう彼女の気持ちを推し量るが、彼にツキノの内心は読めない。ツキノはそう訓練されてきたからだ。
「恋しくないと言えば嘘になりますが、あのお二人がいればひとまずは安心です。私は私の仕事をしたいと思いました」
青山は頷く。
「その通りだね。私も私の仕事をしよう」
「総理大臣になるための仕事、ですか」
あの時、貴賓室のすぐ外から話の内容を聞いていたツキノは青山青嵐に問う。
「それもあるが、総理大臣になるのは単なるスタート地点にすぎない。昔、ミヤと約束したからね。『お父さんは未来の味方でいる』と」
「『未来の味方』ですか。良い言葉ですね」
パイロットがまもなく屋敷のヘリポートに着陸することを告げた。屋敷に着けば、彼は再び官房長官としての仕事に戻ることになる。
第四話 完
本話の参考判例は、吉祥寺駅事件(最判昭和59年12月18日刑集38巻12号3026頁)です。この判決には伊藤正己判事による補足意見が付されており、いわゆるパブリック・フォーラム論を紹介しています。




