第四話 学園艦の授業参観 ②
学園艦〈ながと〉は大阪港・新夢洲ターミナルに到着し、ゆっくりと錨を下ろした。そして乗船口に現れた〈ながと〉の艦長を務める文部科学省の官僚は姿勢を正し、エヴロスの査察官を迎えた。
「〈ながと〉へようこそ、イェルツ主任査察官。本艦はエヴロスの査察団を歓迎いたします」
ラドム・イェルツ。エヴロスの最年少主任査察官であり、ヴァルストリア共和国が国運を賭けて送り出した造船業界のスペシャリストだ。査察官のみ着ることが許される白地に深紅の制服を身にまとった彼は、艦長と固い握手をした。
「お会いできて光栄です。艦長殿……まだ官房長官はいらしていないようですね」
「申し訳ありません、査察官。青山官房長官は渋滞に巻き込まれ、十分ほど到着が遅れる見込みです」
「渋滞なら仕方ありませんね」
イェルツの目には、天高くそびえ立つ大阪の高層ビル群が映る。これらの高層ビル群は、すべてここ数年に建設されたものだという。ビル群は燦然と輝き、イェルツの目を照らす。イェルツは、日本に憧れていた。
日本は学園艦をもって奇跡を起こした。領土が次第に海に沈み、首都東京さえも放棄せざるを得なかった絶望的な状況から彼らは不死鳥のように立ち上がり、学園艦建造という大博打を打った。世界は笑った。日本は絶望の中で発狂した、と。しかし世界は学園艦〈ながと〉に目を見張った。学園艦は災害に強く、国家の未来である子どもたちをあらゆる危険から守れることを〈ながと〉は証明してみせたのだ。
「主任査察官、たしかあなたは学園艦出身でしたね」
艦長がイェルツに声をかける。青山官房長官が到着するまでの時間を稼ぐためだということはイェルツにも分かったが、あえてそれに乗る。
「ええ。EUの学園艦〈ガリレオ〉です」
「EUの一番艦ですね。〈ガリレオ〉は〈ながと〉と同じく広島の呉で建造されたことはご存知でしたか。姉妹艦ですな」
イェルツは「もちろん知っている」と答えたが、内心「そんな当たり前のことを聞くな」とも思った。何せ、世界の学園艦の九割以上は日本で建造されているのだから。日本が学園艦技術を独占しているということを艦長はイェルツに誇ってみせているのだ。
イェルツが艦長とのつまらない会話に辟易としている中、ようやく彼らの待ち人が到着した。その彼は高級車を下りると、イェルツに右手を差し出した。
「イェルツ主任査察官、お待ちいただいて申し訳ない。内閣官房長官の青山青嵐です。日本政府を代表して歓迎します」
「とんでもないことです。お会いできるのを楽しみにしていました、官房長官」
イェルツは知っている。この青髪の男は官房長官と称してナンバー・ツーを装っているが、実質的にはナンバー・ワンである。彼は日本の全てを知り尽くしているからだ。
「それでは、ご案内いたします」
青山青嵐が現れて緊張しているらしい艦長は、ややぎこちない動きで両名を乗船口に案内した。彼ら三人は船上鉄道に乗り、学園艦の機関部から順番に査察を開始するというスケジュールだ。
「〈ながと〉は今年で進水から五十年と聞きますが、まだまだ現役ですね。査察官に就いて十隻以上の学園艦を査察してきましたが、ここまで整備された学園艦は日本だけです」
船上鉄道のVIP車両に乗り込むや否や、イェルツは青山に話を振った。日本を持ち上げたつもりだが、青山の表情は変わらない。
「ぜひ、船員の学生たちにも言ってやってください」
イェルツはめげず、次々に話を振る。なぜなら、それが彼の使命だからだ。
「先ほど、艦長から私の出身艦の〈ガリレオ〉と〈ながと〉が、ともに呉で建造された姉妹艦という話を聞きました。日本の産業は素晴らしい……私の祖国も日本のように素晴らしい産業を持てればよいのに、と思います」
青山は少しだけ身体を前に傾けた。興味を持っている証拠だ。イェルツはこの機を逃すまいと話を続ける。
「私の祖国--ヴァルストリア共和国は今、消滅の危機にあります。経済が上手くいかず、隣国に人材が流出しておりまして」
「存じていますよ、外務大臣だった頃にヴァルストリアを訪問したことがありますから。美しい小麦畑が印象的でした」
「官房長官にそう仰っていただけると大変嬉しく思います……ですが、小麦で飯は食えてもお金は稼げないのが現実なのです。そこでわが国では今、新たな産業を誘致しようと取り組んでいます。例えば、学園艦産業」
一気に畳み掛けたイェルツは、しまった、と思う。喋りすぎることは、こと外交において不利だ。自分に余裕がないことを自白してしまうことになるからだ。
「……イェルツ査察官。あなたの本来の職務は--」
青山は表情を変えることはないが、イェルツを牽制しようとした。しかしイェルツは、そんなことで引き下がるわけにはいかなかった。
「ええ。分かっています。公平中立な査察、これがエヴロスのルールです。列車が到着したら仕事をします。ですが今はヴァルストリアの一国民として、あなたとお話がしたい」
青山は黙ってイェルツの話を聞いている。それはイェルツの境遇を察したからなのか、ただ呆れているだけなのか。イェルツには分からないが、今は話を続けるほかない。
「わが国の沿岸部には整備された港湾があります。鉄道も引かれ、アクセスは悪くない。呉には劣りますが……。単刀直入に申し上げます。学園艦の部品工場をぜひ、ヴァルストリアに建設してほしい」
イェルツは座りながらではあったが、精一杯青山に頭を下げた。彼の本当の使命は学園艦の査察などではない。査察に名を借り、ヴァルストリアに対する支援を各国に呼びかけること--それが、本国政府から命じられた彼の本当の使命だった。
しかし青山はスーツの内ポケットにしまっていたスマホを取り出し、ため息をついてどこかへ電話をかけた。任務は失敗のように思われた。エヴロス本部に抗議が届き、自分は査察官の身分を剥奪されるのだろうか。イェルツは目を瞑り、最悪の事態を覚悟した。
「……外務大臣か?この前の投資プロジェクトの件だが、至急ヴァルストリア政府とコンタクトを取ってくれ。工場はあそこに建てる」
イェルツは顔を上げ、青山の姿を見た。彼は眩しすぎるほどの笑顔を見せていた。あるいはイェルツの気持ちがそう見えさせたのかもしれない。
「総理の決裁?……私から後で話しておくさ。急ぎで頼むよ」
そう言うと青山は電話をすぐに切り、イェルツに向き直った。
「かつてわが国も、貴国と同じように消滅の危機に瀕したことがあります。しかし学園艦のおかげでわが国は復活を遂げた。貴国にも復活を遂げてもらいたい」
「あ、ありがとうございます……!ヴァルストリアはこの恩を決して--」
「いいや、恩返しなど不要ですよ。私は当然のことをしたまで。学園艦の役割は未来を守ること、そうでしょう?」
イェルツは驚いた。外交においてタダ働きは存在しない。ギブアンドテイクが常識のこの世界で、青山は何も見返りを求めなかった。
青山青嵐は理想主義者である。イェルツは本国の外務省から彼について断片的な情報を得ていたが、この時確信した。青山青嵐は学園艦が創る未来を本気で信じている政治家なのだ、と。
* * *
「イチョウ、制服のリボン曲がってるよ!」
査察の日、あるいはミヤさまの保護者参観の日、私たちはお互いの制服をチェックしていた。ミヤさまは、
「父はそういうのは気にしませんわよ」
と変にフォーマルな格好をしなくていいと言っていたけれど、これは「私服OK」と一緒で、本当にカジュアルな格好で行くと顰蹙を買うやつに違いないのだ。
「みゃーちゃんもああ言ってるし、別にちょっとくらい着崩したっていいじゃん。堅苦しくてしんどいよお」
「ミヤさまは何もしなくてもバチっと決められるけれど、私たちはそうはいかないの。ほら、リボン直してあげるから」
「アカリんってもしかしてお姉ちゃん?お姉ちゃん属性もあるよね」
「……一人っ子だよ。ほら、これでよし」
やや暗い紺色の制服に赤色のリボン。儀礼服と言うやつで、入学式などの重要な行事の時にはこれを着る。当分着ないだろうと思ってクローゼットの奥深くにしまっていたのだけれど、その読みは外れた。
「ねえ、これ着てるとアレを言いたくなるよね。真実はいつもひと……むぐっ」
「あんたも薬を飲んで小学生からやり直す?」
「え、遠慮しておきます……」
その時、寮室のインターホンが鳴った。私たちとミヤさまのお父さんが会う、艦橋の貴賓室に送迎してくれる車の到着を告げるインターホンだ。
ミヤさまが扉を開けると、そこには本物のメイドが立っていた。真っ黒のロングワンピースに、まるで新品のように真っ白なエプロンのコントラストがとても映えている。しかし、首から提げた来訪者証が絶妙に不釣り合いだった。
「お嬢様。お迎えに上がりました……後ろのお二人が、お嬢様のご学友ですね」
「ええ。アカリさん、イチョウさん。こちらが私のメイド、ツキノですわ」
そう呼ばれた彼女はメイドらしく膝を軽く曲げ、スカートの裾を少し持ち上げてお辞儀をした。
「川合ツキノと申します。歳は皆様と同じなのですが、長年お嬢様のメイドをしておりました。以後お見知りおきを」
こういう時の礼儀作法を知らない私たちは何となくお辞儀をした。しかしイチョウは顔を上げるや否や、
「メイドって初めて見ました!一緒に写真撮ってもいいですかっ!?」
などと早速失礼な物言いを始めた。
「こらっ。ダメに決まってるでしょ」
スマホを取り出そうとするイチョウを私は制したけれど、意外にも川合さんはあっさりと承諾した。
「こんなポーズがよろしいですか。それとも、手は前の方がよろしいでしょうか」
川合さんの表情は変わらないけれど、次から次へとその筋の人が喜びそうなポーズを決めていく。それに合わせてシャッター音が鳴り響く。この時間は、いったい何?
「いやあ、やっぱり本物ってすごいや。ツキノさんってすっごく美人だから他の服も絶対似合うよっ」
イチョウはなぜか鼻息を荒くしていたけれど、流石にファッションショーをしている場合ではない。
「ありがとうございます。ですが本日は大旦那様から、皆様を艦橋へお連れするようにとのことですので」
「そうですわね。アカリさん、イチョウさん、行きましょうか」
こうして私たちは、ミヤさまの父親であり官房長官でもある、青山青嵐という男に対面することとなったのである。




