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こちらは〈学園艦〉ながと、わたしの法を探しています  作者: でまちやなぎ


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第三話 アンチ運動教 ④


「……とは言ったものの、何をどうすればいいのか全く見当がつかないや」


 放課後、私たちは教室に残って第二回作戦会議を開催している。「くすちゃん丸裸作戦」というあまり外では声に出して言いたくないイチョウ命名の作戦についての話し合いである。


「そうですわね。私たちはまだ憲法なんて習っていませんし、条文を読んでも、信教の自由と言われてしまえば国家は手出ししてはいけないようにも見えてきますわ」


「憲法二十条一項ね。『信教の自由は、何人に対してもこれを保障する……』」


「えーっ、これだけ?なんか憲法って中身空っぽすぎない?もっと色々書いておいてよ」


 イチョウはポケットサイズの六法をパタリと閉じ、椅子をゆらゆらさせながら言う。


「これはヒントになりませんか。憲法十二条によれば、国民は、憲法で保障された権利を濫用してはならず、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う、とあります」


「いやあ、十二条って言ってることは納得できるんだけど、これを直接使うのは違和感があるんだよね」


「違和感、ですか?」


 六法から顔を上げたミヤさまはイチョウの方を向き、真剣に耳を傾ける。


「うん。ただの感覚なんだけど、十二条ってあんまり憲法っぽくない条文に見えちゃって。だからこれを使うのには違和感がある」


 憲法っぽくない。その違和感を私たちはあまり共感することはできていないし、イチョウ自身、その正体はいまいち分からないようだ。私たちは沈黙し、教室の時計の針が進む音だけがこの空間に響く。


「ほう。法科高専生らしいことをしているじゃないか」


 風のように教室に現れたのは全ての元凶、北白河教官だった。


「教官。楠葉さんの件、私たちにはどうしようもないですよ」


 私が少しばかり抗議のまなざしを北白河教官に向けると、彼女は笑って言った。


「いいや。君たちはそう的外れなことはしていない。解決には近づいていると思うがね。ただ二点、ヒントを教えてやらねばならんと思ってな」


「ヒントを知ってるなら最初から答えを教えてくれてもいいじゃないですか」


 再び私が抗議すると、またしても北白河教官はにやりとあくどい顔を見せる。


「さては君、小学校で計算ドリルの答えを丸写ししていただろう。最初から答えを教えてはつまらないじゃないか。それに」


 教官は教卓に立ち、静かに、それでいて私たちの心に刻みつけるように言った。


「法学において結論それ自体は重要ではない。重要なのは、結論を導くプロセスなのだよ」


 そう言うと彼女は白のチョークを手に取り、「判例」と書いてみせた。


「先ほど加古川が言った通り、憲法の条文は空っぽだ。条文をいくら読んだってなにも答えは出ないだろうな。憲法を本当の意味で知るには、『判例』に限る。なぜなら判例は、憲法の条文を実在の事件に適用し判断した、唯一の信頼できる文章だからだ。これが一つ目のヒントだ」


「それで、もう一つのヒントは?」


 『判例』とメモ帳に書き留めたミヤさまは教官に続きを催促する。


「これはヒントというほどでもないが、憲法十二条を使うのはおすすめしない、というより悪手だな。憲法十二条に法律的な効力はない。これは加古川の持っている違和感に対する答えにもなるのだが、憲法は本来、国民が国家という巨大な存在を縛るための〈法〉だ」


 そう言いながら北白河教官は『国家」と『国民』の二つの単語を黒板に書いた。依然として無気力な声で話しているけれど、その書く文字はまるで教科書のように美しい。そして彼女は、『国民』から『国家』へと矢印を伸ばした。


「だから十二条は、憲法としては異質の条文だーー国民の権利の使い方について縛るものだからな。大上段から十二条を振りかざすのは素人のすることだ。まあ、君たちもまだ素人に毛が生えた程度だがね」


 ということはやはり『判例』が手掛かりになるということだろうか。しかし判例の調べ方など私たちは教わっていない。


「えっ、それだけ?どの判例とかもっと詳しく教えてくださいよお」


「法律家というのは、死ぬまで判例と向き合い続ける仕事だ。自分で調べてみることだな。はは」


 北白河教官はイチョウを軽くあしらうと、黒板の文字を残しながら教室を去った。


「もう、あの先生ケチすぎない?何がしたかったのさ」


 イチョウはぷんすか怒って廊下に向かって叫んだけれど、既に教官の姿は消えている。


「ですが、教官は重要なヒントを与えてくれましたわ。『判例』がカギになりそうですわね」


 思い返すと、この前のブラックバイトの一件でも和光委員長が判例を使って鮮やかに事件を解決してみせていた。もしかして教官は、私たちにも同じことをやってみせろと言っているのかもしれない。


「よし。調べてみよう、判例」


「でも、どうやって調べるの?そもそもどこに載ってるのかすら知らないよ」


「そりゃもう、片っ端から調べるしかないでしょ。図書館で判例集を探してみよう。三人で手分けするよ」


「えっ、あたしも?あたしはねえ、図書館アレルギーなのです」


「何言ってんの、イチョウも立派な法科高専生でしょ。ほら、図書館行くよ」


「私もお手伝いいたしますから。イチョウさん、行きましょう」


 ミヤさまがイチョウを手伝うと三人で手分けする意味がなくなると思うけれど、私たちは判例を武器に、楠葉さんの武装解除に挑むことにしたのだった。


* * *


 次の日、もう一度私たちは楠葉さんを屋上に呼び出した。もちろん、もう一度関西弁を使って、である。


「そ、それで、こちらのヤンキーの人が脅すから仕方なく来たが、今度は何なのだ」


「ヤンキーちゃうって言うてるやろ……ホントに不良じゃないからね?」


「ふふ、くすちゃん。今日はあなたを丸裸にするよ」


 イチョウはくすちゃんに突然歩み寄って言った。しかし楠葉さんは予想通りと言うべきか、全く違う意味に受け取ってしまった。


「や、やっぱりお前はハレンチ女じゃないか!こんなところで全裸になれだなんて何というヘンタイなのだ!」


「全裸になれだなんて言ってないんだけど!妄想膨らませちゃって、くすちゃんの方がヘンタイなんじゃないの」


 明らかにイチョウの言い方に問題があるのだけれど、イチョウは悪びれもなく言い返す。このままでは不毛な言い合いになるばかりであることを察したミヤさまが咳払いをして、


「楠葉さん。あなたは体育に参加しないのは『宗教上の理由』からだと言いましたね。ですが、そんな言い訳は認められませんわよ」


 とはっきり言った。


「新入生代表だか何だか知らないが、何を偉そうに。新入生代表だろうが自治会長だろうが、信教の自由を侵すことなどできないぞ」


「あんたが言う『信教の自由』がここでは制限されるって言ってるのよ」


 楠葉さんに反撃されて一瞬だけれど答えに窮したミヤさまに代わり、私が彼女の相手になる。


「信教の自由に制限だと?そんなこと許されるはずがないだろうが。宗教弾圧が許されたのは江戸時代までなのだぞ」


「別に『アンチ運動教』は邪教だなんて言ってないでしょ。体育に参加しろって言ってるだけじゃん」


「だから、それが弾圧なのだ!『アンチ運動教』の信徒に体育に参加して汗を流すように強要するなど、キリシタンの踏み絵に等しい」


「……はあ。まだそうやって言い訳を続けるわけね。じゃああんた、当時のキリシタンと同じくらい苦しんでるの?踏み絵をするくらいなら処刑されて死ぬ、って言うのと同じ覚悟があるわけ?」


「も、もちろんだ。体育に参加するくらいなら……」


そう言いながらも楠葉さんの目は泳ぐ。体育か死か、どちらかを選べと言われて死を選ぶわけがないだろう。


「ふうん。たしかにそういう人は過去にいたよ。キリスト教系の新興宗教の教徒なのだけれど、剣道に参加するのは聖書の教えに反するって言って受講を拒否した。その人は先生たちに『剣道に参加しないと留年になる』と言われてもその考えを曲げなかった。結局その人がどうなったか分かる?」


 楠葉さんは黙ってうつむく。


「一年留年したうえに退学させられたんだよ。あんたにそこまでの覚悟はあるの?このまま体育に参加せずに留年して、退艦処分になっても良いっていうの?」


「退艦処分になんてなるはずがない。実技の代わりにレポート課題をやると言っているじゃないか!」


 退艦処分、それは私たちが最も恐れるものだ。ただ学校を退学になるだけでなく、陸上にある他の高校に転校することも含めて許されなくなるのだ。その重みは彼女も分かっており、それゆえに彼女はレポート課題という代替措置を要求している。


「そうね。さっきの教徒の人もレポート課題という代替措置を要求したのに、それを無視されて退学になったのはおかしいと言って裁判を起こした。そして裁判所は、退学処分は信教の自由に照らして許されないとしてその教徒の人を守った。けれど、あんたの『アンチ運動教』はその事件とは全然違う」


 ここでミヤさまは学校支給のタブレットを取り出した。


「先ほどアカリさんが言ってくれたお話は、『神戸高専事件』と言います。判決文の一節を要約したものがこちらですわ」


『学校は、授業に参加するのを拒否する理由の当否を判断するため、単なる怠学のための口実であるかを確認する程度の調査をすることができる』


「怠学のための口実、ってわかるでしょ。単なるサボりかどうかは学校が調べられることなの。信教の自由があるからって手出し無用になるわけじゃないんだよ」


「だから、私は決して怠けたいわけではなく……」


 なおも抗弁する楠葉さんではあるけれど、その抗弁に中身が伴わないだろうことは全員が予測していた。先ほどの勝ち誇るような態度は消え失せ、私たちにぶつけられそうな論理を必死に探している様子だったからだ。


「くすちゃん、もう諦めなよ。『アンチ運動教』なんて言っても逃げられないんだよ。だってそんな宗教、どう見てもでっち上げじゃん。次は絶対に怒られるよ」


 イチョウの一言で楠葉さんは床に座り込んだ。


「嫌だ!私は体育なんて嫌いだっ!体育なんて拷問以外の何物でもないじゃないかっ!私は運動神経もないし体型もアスリートでもないのに、なんでスポーツ選手と同じように走らされたり、ボールを投げさせられたり、また走らされたりしないといけないんだ」


 楠葉さんは空に向かって絶叫した。それはまさに彼女の魂の叫びだった。


「やっと正直に言えたじゃん、体育なんて嫌いだって。私もね、体育なんて嫌いだよ」


「それなら私の気持ちも分かるだろう。体育なんてカスだ、この世から無くなってしまえばいいのだ」


「そうね。でも私は、あんたほど体育のことは嫌いじゃない。そもそもあんた、何か勘違いしてない?」


 彼女は口をぽかんと開け、私の方を見上げる。


「……は?」


「別に私たちはアスリートでもなんでもないんだから、記録にこだわらなくてもいいじゃん。別にバスケがへたくそでも、走るのが遅くてもいい。本気なんて出さなくていいの」


「『手を抜いてもいい』というアカリさんの考えには同意しかねますが……楠葉さん、あなたは本当はとても真面目な方ではないのだろうかと思っていました。体育が嫌いなら体育の時間は保健室に行くとか、仮病を使うとか色々ズルいやり方はあったはずですのに、あえて舞洲教官の前で『自分は体育には参加しない!』と堂々と宣言した。根は真面目である証拠ですわ」


「わ、私が真面目だと……?」


「ええ。あの演説は全部、事前に準備なされたのですよね。でなければ、あんなにもすらすらと世界中の名作から台詞を引用できませんわ」


「……」


 楠葉さんは少し恥ずかしそうに私たちから目を逸らした。図星だ。


「つまり、私が何を言いたいのかといいますと、楠葉さんは真面目に考えるあまり、勉強と同じように体育を捉えてしまっていると思うのです。勉強ではテストの成績がすべてを決めますが、体育で体力測定のスコアがすべてを決めるわけではありません。体育では体を動かすことができれば十分なのですよ。学園艦では運動不足になりがちですからね」


 ふとグラウンドを見やると、陸上部らしきユニフォームを着た人たちが昼休みにもかかわらず熱心に走り込みをしている。けれど、彼女たちの目標はインターハイ、私たちの目標は単位をもらうこと。私たちまで彼女たちと同じように自分の限界を超えて熱心に取り組む必要はないはずだ。


「別にいいと思うよ、バスケでシュートが上手くできなくても、走るのが遅くても。楽しければ何でもオッケー、でしょっ!体育が嫌いなら、私たちの側で自分好みに『体育』を変えちゃえばいいんだよ」


 イチョウは案外、こういう時には核心を突いたことを言う。楠葉さんの目にも一筋の光がともった。


「『体育』を自分好みに……?」


「そう。授業ではタイムの目標とか色々言われるけどさ、自分で適当な目標を決めて、それを達成出来たらうれしいし、達成できなかったらできなかったで笑えばいい。何なら目標は決めなくたっていいんだよ。ただ走る、それだけでもいいよね。走るのに理由が必要?」


「でも、走ると疲れるだろうが」


「疲れない程度に自分のペースで走ればいいのっ!あたしもそうしてるよ?」


「……お前はクラスで一番早かっただろう」


 そう言えば、昨日の体力測定の一千メートル走でイチョウはほかの学生を大きく引き離して余裕の一位を記録していた。まさか、あれでも本気を出していなかったというのか。


「楠葉さん、体育に一度、参加してみませんか。小中学校では嫌な思いをしたのかもしれませんが、舞洲教官はお優しい方ですし、大丈夫ですわよ」


「まあ、あの人は優しいというかメンタルが弱いだけな気がするけれどね」


 私が笑うと、楠葉さんは今日初めて笑みをこぼした。


「そこまで言うなら、仕方ないな。お前たちに免じて、次は体操服を着てやる。ただ真面目に取り組むと思うなよ、めちゃくちゃサボってやる」


「いいけど、サボりすぎて舞洲教官を泣かせないようにね」


 私たち四人は一斉に笑った。このまま大団円という理想的な終わり方ができたはずだったのだけれど、それは儚くも破られることになった。


「いやあ、素晴らしかった。実に素敵だね。まるで青春の一ページだ」


 ぱちぱちと手を叩きながら入ってきたのはまたも北白河教官だった。それにしても、どうしてここが分かったのだろう。


「青春も何も、私たちは女子高生なんですから」


 まったく、女子高生を無駄遣いするのもいい加減にしてほしい。


「ふっ、そうだな。邪魔してすまないね。先ほど舞洲教官から伝言を貰ったから、それを伝えようと思ってな。『楠葉さんには体力測定の補講をするので、放課後はグラウンドに来てください』とのことだ」


「なっ!や、やっぱり次の体育に参加するのはなしだっ」


「あーっ、今あたしと約束したじゃん!参加しないなら本当に丸裸にして無理やりにでも体操服に着替えさせるよ」


「やっぱりコイツはヘンタイだっ!人の裸を食い物にして生きている金髪のけだものめ」


 再び不毛な言い合いになりかけていて、このままでは収拾がつかない。はあ、やっぱりここでも例の手段を使うしかないのか。


「おい楠葉、あんた今、私らと約束したやろ?大阪では約束守らん奴はどうなるか知ってるか?大阪湾に沈められるんやで。あんたもそうなりたいっちゅうんやな」


「ひっ、や、ヤクザだっ!分かりましたから、補講に行きますから!」


「しかし、一人で補講というのはさみしいですわね。私たちも一緒に行ってあげましょうか」


「賛成!あたしもまたひとっ走りしたくなってきた。『走れイチョウ』ってね」


 メロスはイチョウと違って友情を守るために走ったのであって、ただ能天気に走っていたわけではないことを指摘しておきたい。


「私は普通に体育嫌いだから嫌なんだけれど……」


「アカリんには拒否権がありませーん!これで決まりだねっ」


「ちょっとイチョウ、勝手に決めないで!」


 こうして「アンチ運動教」騒動は何とか収束し、私たちの本当の意味での学生生活が始まったのだった。そして、学園艦〈ながと〉も出航地・広島を抜け、瀬戸内海を東に進み始めている。


第三話 完

本話で参考にした判例は、神戸高専事件(最判平成8年3月8日民集50巻3号469頁)です。引用の判例文もこの事件のものです。

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