第三話 アンチ運動教 ③
北白河教官は次の体育までに楠葉さんを説得するようにと言った。つまり、タイムリミットは次の体育の授業がある三日後だ。私たちは寮室ですき焼きをつつきながら作戦会議としゃれこんでいる。
「よしっ、これで完成!さあさあ皆さん、めしあがれ」
私たちはお肉の良い匂いにつられ、早速いただきますを言い、すき焼きに手をつけた。
「めっちゃおいしいじゃん。イチョウのくせに」
「ふふん。わが寮室の料理長はあたしで決まりだね。もっと素直に褒めてくれてもいいんだよ」
「屋敷のメイドにも負けない美味しさですわ」
ミヤさまも嬉しそうに食べている。
あらかた具材を食べ終わったあと、私は本題を切り出した。
「で、楠葉さんの件、何かいい案はある?」
「はい!」
私はイチョウの挙手は無視しようと思ったのだけれど、指名してもいないのに彼女は話し始めた。
「体育を受けたくない理由なんて、だいたい皆一緒じゃん。運動が苦手なのを人に見られて責められるのが嫌なんだよ」
「楠葉さんもその一人だということですか?」
「そう。だから、別に苦手でも誰も責めたりしないっていうのを何とか伝えたいんだよねえ」
「なるほど。ところでアカリさんは体育、嫌いですか?」
「好きか嫌いかで言うと嫌いかな、あまり運動神経は良くないし。だから体育嫌いの人間として、イチョウの提案には乗れないかな」
「ダメかなあ。何がダメなのさ」
「イチョウの提案は『食わず嫌い』には効果はあると思うんだよね。つまり、体育はやったことないけれど、体育が苦手だと皆に責められるだろうからやりたくない、っていう人には効くと思う。でも、楠葉さんも含めて大半の体育嫌いはそうじゃない」
イチョウは今のところ黙って聞いてくれている。それを見て私も話を続ける。
「体育嫌いな人間でも、最初は純粋無垢な気持ちで体育に参加していたはず。でもその時に何らかの嫌な思いをして、そのまま体育が嫌いになる。ちゃんと体育を『味わった』うえで嫌いになってるの」
小学校の頃、鉄棒の逆上がりができず授業が終わるまで「特訓」をさせられたことがある。あの時の鉄棒の鉄の匂いは未だに覚えている。私たち体育嫌いは、そうして体育を嫌いになっていく。
「でもそれって、体育の楽しさを知らないだけなんじゃない?」
「それは体育を『美味しい』と思っている多数者側の意見なんだよ。ピーマンが苦くて嫌いだと言ってるのに、『本当は甘くておいしいんだよ』なんて言われても信用できないでしょ。だから、一度嫌いになったものをもう一度好きになるのは難しい、と思う」
うーんとイチョウは唸ったけれど、納得はしてくれているようだ。体育に限らず、マイナスの評価のものをプラスに持っていくことは至難の業なのだ。逆にプラスのものをマイナスに蹴落とすのは、たやすい。
「となると、楠葉さんの体育に対するネガティブな感情そのものを変えるというアプローチは難しいのでしょうか」
ミヤさまも良案を思いついていないようだ。すき焼き鍋の具材はいよいよなくなり、手詰まり感が漂う。
「でもさあ、アカリんは今日、体育にちゃんと参加してたよね。その心は」
「え?理由?……学生としての義務だから、かな。大半の体育嫌いが体育に参加する理由なんてそんなものだと思うよ。義務じゃなかったら参加しない」
「でも、くすちゃんは義務なのに参加しなかった。あれ、理由はなんて言ってたっけ。演説がゴチャゴチャしててよく分かんなかったな」
イチョウは鍋の中をかき回して残りの具材を何とか探し当てようとしながら思考を整理しているようだ。それにしても「くすちゃん」とはまたとんだあだ名だ。
「『宗教上の理由』、ですわね」
「『アンチ運動教』ってやつ?あんなの、どこからどうみてもただのサボりの口実じゃん」
鍋底に残っていたしらたきをすすりながらイチョウは笑う。
「ほんと、口だけはよく動いてたよね。体育にも口の筋肉の運動量を図るテストを導入したら楠葉さんでも出来るんじゃない」
私も少しばかり呆れつつ冗談めかして言っているうちに、イチョウはちゅるんと音を立て、しらたきをすすり終わった。
「……よし。ここは一旦、くすちゃんの言い分を聞いてみるっていうのはどう?じゃないとあたしたちも戦略を立てようがないでしょ」
「そうですわね。明日、楠葉さんにお話を伺ってみましょう」
* * *
翌日の昼休み、イチョウは私たち三人を代表して楠葉さんを昼食に誘った。
「くすちゃん!私たちと一緒にお昼食べない?」
「誰がお前のような裏切り者と飯を共にするのだ。お前は一生筋肉痛にでも苦しんでいるがいい。あと、くすちゃんって呼ぶなっ!」
そういえば昨日、イチョウは一度「アンチ運動教」への入信を表明していたのだけれど、あっさりそれを撤回していたのだった。イチョウに声をかけさせたのはまずかったかもしれない。
「えーっ、でも私筋肉あんまり付いてないよ?ほら、触ってみて」
イチョウはそう言うとおもむろに制服の腕をまくり、二の腕を楠葉さんに突き付けた。イチョウの突如の行動に、昨日はグラウンドを混乱の渦に陥れた楠葉さんは混乱させられる側に回る。
「や、やめろ!このハレンチ女!」
楠葉さんはわめきだし、クラス中の注目が私たちに集まってしまった。このままでは私たちはただのヘンタイだ。かくなる上は強硬手段に出て彼女をここから連れ出すしかない。あまり使いたくない手段だけれど、急を要する今、これしかない。
「楠葉さん、ちょっと耳貸してもらっていい?」
「はあ?お前は……たしか江坂、さんだったか」
そう言いながらも楠葉さんは耳を私の口に近づける。
「ちょっとお前ツラ貸せや。グチグチここでゴネてたらどうなるか、分かるやろ?すぐ解放したるから、な?」
私はそう囁くと同時に、彼女の肩に腕を回した。
「かっ、関西弁……!?」
楠葉さんの体は跳ね上がり、その顔は一気に青ざめた。
「いいから、はよついて来い」
私は楠葉さんの手を引き、教室の外に飛び出した。ミヤさまとイチョウもあとから着いてくる。
こういうシチュエーションになると、アニメや漫画では大抵あの場所に行くことになる。私もそれに倣って楠葉さんを含めて三人をそこに連れて行った。
「ふう。さて、ちょっとお話しようか、楠葉さん」
私たちが来たのは屋上である。今日は少し雲の量が多く、満点の青空とも言いがたい空模様だ。
「あなたたちは不良なんでしょう!カツアゲですか!?カツアゲですよね!?でも、今お金なんて持ってないですよっ」
「誰が不良やねん」
「あら、関西弁ですの?生の関西弁を聞いたのは初めてですわ」
ミヤさまは目を丸くし、物珍しそうに私の関西弁を聞いている。
「あたしも久しぶりに聞いたよ、やっぱり本場の大阪人がいうと迫力あるなあ……あたしにも教えてよ」
「イチョウが喋ったらエセ関西弁になりそうやから絶対教えへん」
関西弁は、首都が大阪になった現代、ほとんど使う人がいない。なぜ関西弁が廃れていったのかはよく分かっていないらしいけれど、一説には東京から大勢の標準語話者が移住してきたからなのだという。
その結果、関西弁はヤクザ映画でしかお目にかかれない方言となり、楠葉さんの言う通り不良が使う言葉というイメージになってしまったのだ。それを私は利用し、怖がらせてここまで彼女を連れてきたということだ。
「それで、カツアゲじゃないなら何の用ですか」
楠葉さんはおそるおそる口を開き、私の機嫌を伺うかのように聞く。
「昨日、楠葉さんは『体育には参加しない!』って言って体力測定受けなかったじゃん?その理由が知りたくて」
「私は『アンチ運動教』の敬虔な信徒。その教義に基づき、体育に参加しないのではなく、できないのだ」
昨日と同じように胸を張り、気持ち良さそうに言う楠葉さんにイチョウは容赦なく問いただした。
「それってただのサボりでしょ」
「ち、違う!私はあくまで宗教上の理由で参加したくてもできないのだ。もし体育で汗をかいてしまうと神を裏切ることになってしまう」
「神って誰のことさ」
「神は神だ。お前のような背信者に教えても無駄だ」
「はいはい。素直に『体育が嫌いだ』って言えばいいのに」
「いいや、仮にもし万が一、体育が好きでも私は『アンチ運動教』の信徒ゆえに体育には参加できないのだ」
もはや楠葉さんから話を聞くというよりもイチョウと楠葉さんとでレスバトルをしているようにしか見えない。けれど、それはそれで楠葉さんの言い分を引き出せそうなので黙って聞きに徹する。
「多分くすちゃんみたいに体育嫌いな人はクラスに沢山いるよ。でも皆、ちゃんと体育に参加してるじゃん」
「彼女らは敗北主義者だな。しかしなぜそこまで私に体育を強制する?そんなの、多数者による専制じゃないか。多数派のお前たちが私のような敬虔な少数の信徒を迫害しようとする、これはまさに信教の自由に違反するのだ!」
「多数者による専制--トクヴィル『アメリカのデモクラシー』ですわね」
ミヤさまは少し驚きつつも原典を指摘した。よくもまあ世界の名著から次々とフレーズを引っ張ってこられるものだ。
「信教の自由、何それ。そんな話今してないじゃん」
「いいや、お前はズカズカと私だけの宗教に土足で踏み込んでいるから信教の自由の侵害だ。信教の自由は憲法に書かれた重要な権利だぞ」
「くすちゃん『だけ』の宗教?それってくすちゃんしか信者が居ないってことじゃん。そんなの宗教じゃないでしょ」
「う、うるさい!『アンチ運動教』は立派な宗教なのだ。そして、その教義に反する行為を強制することも立派な信教の自由に対する侵害なんだぞ!」
「そんなの言い出したらなんでもありじゃん!私も『勉強したくない教』作っちゃうよ!」
「勝手にしろ、背信者。とにかく、私は絶対体育には参加しないからな。覚えておけ、私に体育を強制することは信教の自由に対する侵害なのだ」
妙な捨て台詞を吐くと、楠葉さんはそのままスタスタと屋上から降りていってしまった。
「……行っちゃった」
イチョウは、テヘペロという効果音がつきそうな表情をした。
「ですが、これで彼女の言い分は大体分かりましたわね。要するに、楠葉さんが体育に参加しないのはあくまで『アンチ運動教』の信徒だからであって決して『体育が嫌いだから』ではないということですわね」
「まあ、ただの強がりだろうけれど」
同じ体育嫌いとして、体育嫌いを公言したくない気持ちはわからないでもない。体育が嫌いということは体育が苦手だという告白に等しく、要は恥ずかしいことだと思いがちなのだ。
「ってことはさ」
屋上からグラウンドを見下ろしながらイチョウは言葉をつないだ。
「その『宗教上の理由』が体育をサボる理由にならない、ってことさえ示せればくすちゃんも体育に参加できるよね。だって、体育が嫌いなわけじゃないんでしょ?」
イチョウの言葉に対し、ミヤさまは微妙な空模様を眺めながらつぶやく。
「まあ、さっきの楠葉さんの言い分によるとそういうことになりますわね。ですが、彼女がそれを示されたからと言って素直に応じるとは……」
「結局は本人の気持ち次第なのかなあ」
「楠葉さんの気持ちを詮索するのも野暮だし、それは一旦置いておこう。今はまず、『宗教上の理由』とやらの方、つまり楠葉さんの論理の方を武装解除させよう」
私の提案にミヤさまとイチョウも応じた。
「『武装解除』かあ、かっこいいじゃん!くすちゃんの鎧を脱がせてあげちゃおう!」




