第一話 権利の濫用は、これを許さない。①
午前十時、学園艦〈ながと〉が出港する広島・呉の駅前はとにかくたくさんの人でごった返していた。いつもは人通りがさほど多くはないだろう駅前のロータリーはもはや歩行者天国だ。
そんな中でも、私、江坂アカリが呉の駅舎を出ると軽いざわめきが起こる。それは私が主人公だからではなく、私が今日、学園艦〈ながと〉に「乗艦」する新入生だからだ。つまり、彼らは私ではなく私の紺色の制服に縫い付けられた〈ながと〉の校章に反応しただけ。
「〈ながと〉の新入生の方ですか?一言今のお気持ちをお願いします!」
若い爽やか系イケメンがマイクをこちらに向けてくる。ニュースで何となく見覚えのある顔なので、おそらくはアナウンサーと言ったところだろう。後ろにはカメラマンもいる。生中継なのだろうか。
「あの、えっと、少し緊張しています」
「あはは、すごい人だかりですし、あなたは国家の未来を背負う船に乗るわけですからね。頑張ってください!日本の未来はあなた達に託されていますから!」
特に示し合わせるわけでもなく、自然と拍手が沸き起こる。そんなの、私に頼まれても困る。そもそも、これを駅から出てくる新入生数千名に一々やっているのなら面倒にならないのだろうか。でも、それくらい〈ながと〉が注目されているということは実感する。
入学式もとい乗艦式は、駅からすぐそこの〈ながと〉記念ホールで行われる。乗艦式後はすぐ桟橋に行って学園艦に乗り込む、というスケジュールだ。すなわち、一度学園艦に乗艦すると、次に降りられるのはいつどこになるか分からないという片道切符の船旅であることを意味する。記念ホールにほど近い大和ミュージアムを眺めながら、改めて自分が何に乗り込むのか意識した。外は晴れとも曇りともつかないような、何ともハッキリしない天気である。
私が記念ホールに着いた数十分後、乗艦式が始まった。内閣総理大臣はじめ政府高官が軒並み参列するという実に盛大な式典だ。それもそのはず、学園艦〈ながと〉は治安の悪化や激甚化する自然災害から学生を守るために国が巨費を投じて建造した超巨大艦船であり、まさに「国の未来が託された」船というわけだ。総理大臣もそのようなことを滔々と語っている。
「続きまして、新入生代表の青山ミヤさんからご挨拶をいただきます」
司会と思われるメガネの男性がそう言うと、私の斜め前方に座っていた深い藍色の髪の女性が立ち上がり、背筋をピンと伸ばしたまま演台へと向かった。長く伸ばした髪もその身体と同じように真っ直ぐ伸びている。新入生代表がどうやって決まったのかは知らないけれど、その威風堂々たる姿を見れば、誰もが納得する人選であることは間違いなさそうだ。
「学園艦〈ながと〉法科高専一年、青山ミヤです。本日は新入生一同を代表し一一」
「すみませーん!遅刻しました!」
柔らかな金色の髪をふわふわとたなびかせながら飛び込んできた声の主は、新入生一同だけでなく参列者全員の注目を集めた。よく通る大きな声に、報道カメラも一斉にそちらを向く。総理大臣まで見ている。しかも真顔。
「えっとぉ……」
どこともなくスーツ姿の女性が現れ、声の主はその金色の髪を再びふわふわさせながら連れ去られていった。きっと後でものすごく怒られるんだろうな、心の中で合掌しておこう。
その後はというと、新入生代表はそつなく与えられた役割をこなし、アクシデントなどなかったかのように振る舞い、拍手喝采を浴びた。この乗艦式は、彼女が新入生代表に相応しかったことを証明したのだった。
* * *
乗艦式が終わり、総理大臣以下来賓の方々が記念ホールを後にすると、時間が押しているのだと言わんばかりに、新入生は〈ながと〉に速やかに乗艦するよう繰り返しアナウンスされた。アクシデントはあったものの、今のところスケジュール通りに進行しているのになぜこうも急かすのだろうと思ったけれど、その答えは記念ホールを出てすぐ分かった。愛娘や愛息子の船出に、学園艦〈ながと〉と家族写真を撮ろうとする人たちで溢れかえるのだ。
「すぐ出航ですので家族写真はご遠慮ください。三十分以内に乗艦してください、繰り返します、三十分以内に一一」
係員の必死のアナウンスも空しく、多くの新入生は依然家族写真に勤しんでいるようだ。私は事前に家族には来ないように伝えてある。そもそも、入学案内に『ご家族様の来訪はご遠慮願います』と書いてあったのだけれど。
係員のアナウンスが全く無駄になってしまうのはさすがに気の毒だろうと、私は早々に学園艦〈ながと〉に乗艦することにした。
「……首の可動域が足りないや」
地元の大阪で高層ビルは数え切れないほど見てきたけれど、学園艦〈ながと〉は別格の大きさだ。私と同じようにアナウンスに従ってすぐに乗艦口に来た素直で、物分りがよく、入学案内をちゃんと読んできた新入生たちも、口々に感嘆を洩らす。船の影もまた大きく、影の中はとても寒い。入学案内によると、〈ながと〉は全長約20キロメートルに及び、その高さも東京スカイツリーを優に超える。甲板には地方の県庁所在地並みの都市風景が広がるという。
当然、20キロメートルなんぞを徒歩で移動する訳にはいかないので、乗艦からは船上鉄道に乗って寮を目指すことになる。運賃は無料だ。
「発車します。閉まる扉にご注意ください」
無機質な女声のアナウンスが響くと、電車の扉は静かに閉まった。ここだけを切り取ると単なる通学風景にすぎないけれど、この瞬間、もう陸上へ後戻りはできないことになるのだ。なのに、電車はそんな感傷に浸る暇もなくスピードを上げ、乗艦口から船上甲板へ続く長い坂を駆け上がり始めた。
「一一間もなく、法科高専前、法科高専前。学園艦〈ながと〉法科高専学生は、この駅でお降り下さい」
坂を登っているうちにどうやら眠ってしまっていたらしい。私が降りる駅、法科高専--私が入学する学校だ。これまた入学案内によると、法科高専は先進的指導法曹を育成し、国民全体の法意識向上に奉仕するために設置された高等専門学校である。要するに、20歳そこらには司法試験に合格できるようビシバシ鍛えてやるので国家国民に尽くせということだ。衣食住をタダで提供し、そのうえ国からお小遣いをもらえるというのなら、それくらい受け入れるべきなのだろう。
再び静かに開いた扉から本日二度目の駅に降り立つと、そこには呉も顔負けの立派な都市が広がっていた。
「新入生歓迎 ながとみらい船上都市にようこそ 法科高専生一同」
大きな垂れ幕が下がっているあの建物が校舎だろう。ただ、今日はまだ開講日ではないので校舎に行かなくてよく、寮に荷物を送ってあるので荷物整理をせよとのことだ。そしてその寮は、嬉しいことに法科高専のすぐ隣。始業五分前に起きても何とかなるなんて、なんと素晴らしいことじゃないですか。
寮の廊下は、学生なんぞ勉強さえしていればいいと言いたげな殺風景だ。私の寮室はC棟13号室。ルームメイトは三人、その名前はまだ知らされていない。ルームメイトは言わずもがな重要だ。何せこれから五年間もともに過ごさないといけないのだから、事あるごとにいちゃもんを付けてくる姑みたいなのはごめんだ。それから、試験の度に勝手にライバル視され、私にテストの点数で負けたら勝手にキレてくる自称江坂アカリのライバルもごめんだ。ちなみに今の二人は、私が今まで出会った中で嫌いな人間ランキング3位と4位である。
「着いちゃったな……」
何事も一番最初が緊張するものだ。ファーストコンタクト、ファーストインプレッション、ファーストペンギン、初見プレイ、初見殺し。「初め」の名を冠した言葉はたくさんある。ファーストインプレッションが大事、そう思いながら笑顔を作ってみるも、にへら、という効果音が似合う陰キャの笑い方になってしまった。他のルームメイトが全員陽キャだったらこの瞬間、今日から五年間黒歴史が確定するところだった。やはり何事も練習は大事だ。さて、本番に移るとしよう。
「し、失礼します……」
特に返事は聞こえてこない。そりゃそうか、と思う。私はかなり早めに〈ながと〉に乗艦したのだから、他のルームメイトがいないのも当たり前だ。
前言撤回。玄関には一足のローファーが綺麗に並べられている。私もそれに倣って靴を並べ、奥に進む。その先は『共有ルーム』と書かれており、その先には三つの部屋があった。『江坂アカリ』『青山ミヤ』『加古川イチョウ』の三つの名標がそれぞれの部屋に掛けられている。その、『青山ミヤ』の部屋から見覚えのある少女が現れた。
「あら、いらしていたのですね。気づかずに申し訳ありません」
「いっいえ、こちらこそ……」
青山ミヤ(と思われる)少女は、何がこちらこそなのだ、という顔をしながらこちらを眺めている。やめてよその純粋な疑問の眼。
「青山ミヤさんって、もしかして乗艦式の」
「……ええ。光栄にも新入生代表をさせていただいたわ。あなたは?」
「あ、すみません。江坂アカリと言います。地下鉄の『江坂駅』は知ってます?その『江坂』なんですけど」
「市営地下鉄の。存じ上げておりますわ。ということは、ご出身は大阪で?」
言葉の節々にお嬢様を感じさせる。アニメで散々お嬢様は見てきたけれど、彼女の場合、自信と気品に満ち溢れた本物のオーラだ。
「そうなんです。大阪からはるばるリニア新幹線で来たのでもうへとへとです。青山さんは?」
「私は京都です。私もここまで来るのは大変でしたわ」
「えっ、私より遠いじゃないですか。なんか、すみません」
「とんでもないですわ。今なんて大阪と京都はほとんど一緒なものでしょう?」
「いや、それ言ったら主に京都人がブチ切れると思いますよ……」
彼女はふと目を丸くしたけれど、すぐに笑ってくれた。私もつられて笑う。新入生代表としての彼女はまるで正確無比な機械のようだったけれど、彼女にもきちんと喜怒哀楽があるんだと少し安心した。
「加古川イチョウ、ただいま参上ーッ!」
寮のドアが大きな音を立てて開き、こちらもまた見覚えのあるふわふわ金髪少女がずかずかと共有ルームに踏み込んできた。
「加古川、さんですか?まず靴を脱ぎなさい」
さっきまで新入生同士無難なアイス・ブレイクをしていたというのに、青山お嬢様の顔は一気に険しくなる。
「あ、ごめんごめん……ってあれ?そちらはもしや、もしかして、もしかしなくても新入生代表の人?たしか、青山さん?スピーチ良かったよ~。そうそう、あたしは加古川イチョウ。兵庫から来ました!ここってめっちゃ都会だよね~、歩いててびっくりしちゃった……っと、その隣のあなたは……」
「江坂アカリです」
なんだこいつ。話に一貫性がないしとてもうるさい。あと早く靴を脱げよ。最後のルームメイトは絶対にこれから厄介な存在になると確信した。
「アカリちゃんか~、よろしくねっ!」
そして、馴れ馴れしい。まさか青山お嬢に対してもそのテンションで行く気じゃないよね?
「加古川さん、早く靴を」
「ごめん、忘れてた。いやあ、ホント乗艦ギリギリだったんだよね~。あの教官、ちょっと遅刻したくらいでグチグチうるさいんだよ?家族写真撮るつもりだったのに撮れなかったし」
「加古川さん、いい加減にしてください。乗艦式に予定通り、いや十分前には着席しておくことも、寮内で靴を脱ぐことも『ルール』です。あなたも法科高専の学生なら分かるでしょう」
「ミヤちゃん、今の台詞めっちゃ決まってるね!法科高専生っぽくていいじゃん」
ファーストネーム呼び早くない?これが陽キャなの?いやそもそもコイツは陽キャというカテゴリーに入れていいのか?青山お嬢様は、半分が険しい顔、もう半分が少し照れている顔だ。いやいや、そこは照れてる場合じゃないでしょ。
加古川イチョウはようやく靴を置きに行ったけれど、ポイポイと放っただけで、特に綺麗に並べるでもなくそのまま戻ってきた。青山お嬢様は顔を少ししかめつつも咳払いをして、
「私たちの部屋の『ルール』を決めましょう」
と宣言した。たしかにルールは大事だ。ここできっちりルールを作っておかないと、あのふわふわ予測不能人間に何をされるか分からない。お嬢がそこまで考えて言ったのかは分からないけれど、私はそう解釈することにした。
「たしかに、五年間このメンバーで過ごすわけだから、最初にきちんとそういうのは決めといた方がいいね」
お嬢は軽く頷く。我ながら良いアシストができたと思う。
「あのぉ〜……」
加古川イチョウがおずおずと手を挙げる。
「加古川さん、何かしら」
ダメだ青山さん。ここでヤツに発言の機会を与えるとまた何を言い出すか一一
「外、見に行きたいんだけどダメかな」
ほら、こういうことになる。
「加古川さん、それはルールを決めた後にしない?こういうのは最初にルールを決めて、スッキリさせてから遊ぶべきだよ」
「私も同意するわ。またさっきみたいに靴を脱ぐ脱がないで揉めたくありませんもの」
「本当ごめん!でも、今日あたし遅刻したでしょ?朝から何も食べてなくて。そこのコンビニで何か買うからさ、それ食べながら話したいんだよね……ダメかな」
遅刻をしたのは加古川イチョウの責任だけれど、そんなことを言われてしまうと却下しづらいじゃん。もしかしてコイツはそこまで見透かした策士なのだろうか。
「……分かったわ。ただし、戻ったら必ずルールを決めましょう。江坂さんも、それでかまわないかしら」
「……了解」
私たちはもう一度靴を履いて、寮の扉を開けた。加古川イチョウはというと、自分が適当に靴を放り投げたせいで靴を履くのにも時間がかかっていた。まったく、いちいち面倒なルームメイトだ。
初めての投稿です。法律という難しいテーマを扱いますが、楽しく読んでいただければ嬉しいです。




