第98話「“ひとりで”じゃなく、“いっしょに”描く春」
主役:いと・律・あおば
舞台:部室、午後の光の中
午後の部室に、春の光が差し込んでいる。
窓際の机の上に広げられた、大きな生成りの布。
その中央に、ふたつの小さな刺繍が静かに芽吹いていた。
ひとつは、ふんわりと風を含んだような黄色い菜の花。
もうひとつは、淡く、柔らかな空気の流れと光を描いた、風と光の模様。
いとはその布の前に腰を下ろすと、自分のノートをそっと開いた。
桜の花びらのスケッチが、春風に舞うようにページに並んでいる。
「いとの春も、ここに加えてくれる?」
律の声が優しく響く。
いとは、うん、と静かに頷いた。
* * *
最初は、それぞれが“自分の春”を作っていた。
あおばは「伝えたい気持ち」を、菜の花にこめた。
律は「感じた空気」を、光と風で表した。
いとは「続いていく想い」を、桜に込めた。
けれど今、その春たちは、ひとつの布の上で出会っていた。
「色、かぶってもいいかな? この辺、黄色の糸だけど……」
「重ねちゃっていいよ。春の色って、溶け合ってる気がするから」
「じゃあ、この花びらが、あおばの菜の花に紛れ込んで……ふふ、迷子になっちゃった」
糸と針が交差するたび、笑い声がこぼれる。
重なっていくステッチに、ちいさな発見が生まれる。
「なんかさ、春って、誰かといっしょに感じる季節なんだね」
ふと、いとがつぶやいた。
「うん。ひとりで見てた時より、ずっと色が増える感じ」
「言葉にしなくても、伝わる感じするよね」
針を動かしながら、三人は同じ時間を刺していく。
やわらかな光の中で、布に映るのは、三人三様の春──それが重なり合い、調和し、寄り添いながら咲いていく。
* * *
夕方、刺繍布の上には、はっきりと“春”が現れていた。
桜が舞い、菜の花が咲き、風がめぐり、光が揺れている。
それぞれが違って、それぞれが大切にされていて、それでいて、確かに“ひとつ”になっていた。
「完成じゃないけど……」
「もう、春はここにいるよね」
布を広げた三人の手が、そっと重なる。
静かな夕暮れの部室で、誰もが少しだけ誇らしげに、そしてやさしい気持ちで、その布を見つめていた。




