第97話「“わかってる”じゃなく“感じる”こと」
主役:律
舞台:図書室、部室、家のリビング
「春って、なんだろう?」
図書室の机の上に積みあがる本の山を見つめながら、律はひとりごちた。
花の季節、出会いと別れ、新しい始まり──そういう言葉が、検索すればいくらでも出てくる。
歳時記、詩集、植物図鑑、刺繍モチーフの参考書。
頭でわかる“春”は、こんなにもたくさんあるのに。
──どうして、しっくりこないんだろう。
ノートにびっしり書き込んだメモを見つめて、律は溜め息をついた。
先輩たちが卒業して、最後の作品を三人で作ることになった春。
「春をテーマにしよう」って決まったとき、正直、ちょっと困った。
春って、知ってるようで知らない。
自分が“感じた”春って、どこにあっただろう?
* * *
家に帰ると、リビングの窓が開いていた。
カーテンがふわりと揺れて、あたたかい風が部屋に入り込んでくる。
「おかえりー。今日はちょっと春っぽい風だよね」
母の声に、律は思わずうなずいた。
部屋の中には、昼の残り香のような光がまだ残っている。
食卓には、弟の教科書が広げられ、テレビの音が小さく流れている。
そういえば、さっき友達と笑いながら食べたパンの味。
放課後の廊下に差し込んだ西日。
部室でいとの針がリズムよく布を縫っていたときの静けさ。
──そうか。春って、知識じゃなくて、空気で感じるものなんだ。
* * *
次の日、律は部室でひとつの決心をした。
花を刺すだけじゃない。
春風のやわらかさや、日差しのあたたかさ、空気のぬるみ、
あの、なんでもない日々の中にある“季節のゆらぎ”を、ちゃんと布に映したい。
「模様にしよう。風の流れとか、光の揺らぎとか……」
言葉にすると少し照れくさいけど、それでも針を動かせば、きっと伝えられる。
家に帰った律は、リビングの窓を大きく開けた。
ふわりと春風がカーテンを持ち上げ、律の髪を撫でる。
その風に背中を押されるようにして、律は静かに布に針を落とした。
ひと針、ひと針に、感じた春をこめて。




