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糸と針と、わたしたち。  作者: 南蛇井
高校2年生

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96/150

第96話「“言葉”じゃなくて“針と糸”で」

主役:あおば

舞台:放課後の屋上、河川敷の土手、自宅


 春が近づくと、空気の匂いが変わる。


 ほんのり甘くて、風が少しだけ軽くなる。冬の終わりと、新しい季節の始まりの間で、あおばはずっとそわそわしていた。


 だけど、その理由は──風のせいじゃなかった。


 「引っ越すんだって。春に」


 放課後、校舎の屋上で聞いたその一言に、あおばの胸はぎゅっとしぼられた。


 小学校の頃からの友達、千夏ちなつが、転校するという。

 たまに話すくらいの距離になっていたけど、それでも、ずっと心の中には残っていた大切な友達だ。


 「……なんか、変な感じ」


 屋上の手すりに腕を乗せて、夕方の風に揺れるグラウンドをぼんやり眺めながら、あおばは呟いた。


 「言葉にしようとすると、なんかうまくいかなくて」


 ありがとう、とか、さみしい、とか。伝えたいことはいっぱいあるのに、口に出そうとすると、どこか嘘くさくなってしまう。


 そういうの、あおばはずっと苦手だった。


 


 * * *


 


 次の日、あおばはひとりで河川敷を歩いていた。


 冷たい風の中に、少しだけ春の匂いが混じっている。

 見渡すと、土手の斜面には黄色い菜の花がぽつぽつと咲き始めていた。


 その色を見た瞬間、ふと胸の奥があたたかくなった。


 ──そっか。やっぱり、わたしの「ことば」は、針と糸の中にある。


 自分が一番素直になれる場所。言葉よりも、ずっと自分らしく気持ちを伝えられる方法。


 あおばはポーチから、黄色い刺繍糸を取り出して、陽の光にかざしてみた。


 まぶしいほど明るくて、だけどどこか優しい。まるで「またね」って、そっと背中を押してくれるみたいな色だった。


 


 * * *


 


 夜、自分の机の上で、刺繍枠に布を張った。


 白い布の上に、下描きもせず、そっと針を刺す。

 ゆっくりと、丁寧に。迷いながらも、黄色の糸が花のかたちをなぞっていく。


 最初はちょっと不格好だった。でも、不思議とそれが気にならなかった。

 言葉で伝えられないものを、ひと針ひと針に込めていく。


 「……“さよなら”じゃないよ。ちゃんと、“またね”って言いたい」


 布の上に、ふんわりとした菜の花が少しずつ咲いていく。


 あおばの“ことば”は、音にはならないけれど、きっと届く。


 きっと、春風にのって。



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