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糸と針と、わたしたち。  作者: 南蛇井
高校2年生

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第86話「まだ決めなくていい、でも──」

「将来も、それ……続けるの?」


何気ない声だった。けれど、その問いは、心のどこかにひっかかったまま、しばらく動かなくなった。


教室の昼休み。進路表が配られて、クラスのあちこちから大学や専門学校の名前が飛び交う。


「将来の夢は?」「進学?就職?」


“何になるか”を決める言葉が、日々のなかにどんどん混じっていく。


その中で、わたしの刺繍道具は、静かすぎた。



「手芸って、趣味でしょ? 本気でやるには難しいっていうか……」


ある“大人”は、笑いながらそう言った。

否定じゃない。けど、そうじゃないとも言えなかった。


本気、ってなんだろう。


好き、って……それだけじゃ、だめなのかな。


「じゃあ私、ずっと“好きなだけの人”でいいのかな」


そんなことを考えながら、わたしは、部室の片隅でひとり、古いスケッチブックをめくっていた。


書きかけの図案たち。重ねた色鉛筆。にじんだ線。

その間から、ぽろりと落ちてきた、一枚の紙。


——まだ中学生だった頃に描いた、未完成の刺繍案だった。


ただ、花が好きで。

ただ、布に色が咲くのが楽しくて。


そんな理由で描いたものだった。


誰に見せるわけでもない。

未来の役にも、立つかどうかわからない。


でも、胸がふっと軽くなった。



部活のあと、ひとりで歩いた並木道。

すっかり葉の落ちた木々が、冷たい空を透かしていた。


「まだ、決められないな」


心の中で、ぽつりと呟いた言葉が、風に乗ってどこかへ流れていく。


「でも……それでもいいのかもしれない」


迷いながら、悩みながら。

それでも、針を持ち続けていたい。


“好きなだけの人”でも、

その“好き”をやめない限り、前に進める気がした。



夜、自分の部屋。

窓際に置いたスケッチブックを開いて、わたしは新しい図案を描きはじめた。


昔の未完成の花を、今の自分の線で描き直す。

そこにはまだ答えなんてない。けれど、


——わたしの“これから”の手が、ちゃんとある。


柔らかな照明の下で、布と糸がまた出番を待っていた。


「まだ決めなくていい。……でも、私は作るよ」


ゆっくりと、でも確かに。


針を持つその手には、明日へ続く力が宿っていた。



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