第85話「たぶん私は、“伝えたい”」
「手芸部の展示……? うーん、美術展って“絵”のイメージだからさ」
放課後、美術室。壁に並ぶスケッチや油彩画たちの前で、私はぽつんと立ち尽くしていた。
隣では、美術部の子が申し訳なさそうに笑っていた。
「いや、作品はすごく丁寧だし、好きなんだけどね。ちょっと方向性が違うかもっていうか……」
——“絵じゃない”から。
その一言が、ふいに胸の奥まで染みこんで、冷たくなった。
*
次の日の朝。
通学途中、いつもの電車に揺られながら、私はぼんやり窓の外を見ていた。
目に入ったのは、駅の柱に貼られた、小さな広告。
手刺繍で作られたロゴと、細やかな飾り縫いのライン。
目立つわけじゃない。でも、あたたかかった。目が、心が、止まった。
——あ。
ほんの一瞬、胸がざわついた。
誰かの手が、そこにあった。
言葉じゃなくて、でも確かに伝わる“なにか”が。
それって、絵と……そんなに違うのかな?
*
夜。部屋の電気を消して、窓の外を眺める。
小さくスマホが震えて、画面に「いと」の名前。
通話ボタンを押すと、すぐに、いつもの声が耳に届いた。
「大丈夫? 今日、美術部の子と話してたよね」
私は、ごまかすように笑った。でも、そのあと、ぽつりと本音がこぼれた。
「……見てもらいたかったんだ。わたしの作ったもの。うまく言えないけど、伝えたくて」
少し間があって、いとの声が優しく返ってくる。
「それって、絵と同じじゃない?」
静かに、でもまっすぐに響くその言葉に、なぜだか涙がにじみそうになった。
*
通話を終えて、私は机に置いていた刺繍枠を手に取った。
作りかけの、小さな風景。まだ途中の空と、線のない木。
窓を開けて、その刺繍をそっと夜の光にかざす。
「“伝えたい”って、それが……たぶん、わたしの理由」
誰かに届くかどうかなんて、まだわからない。
でも、それでも。私は、針を持ちたいと思った。
言葉にできないものを、縫いとめていくために。




