第80話「“負けた”って、思ってもいい?」
午後の屋上は、風がやや強くて、雲の流れも速かった。
もうすぐ冬が来る。空気にそんな気配が混じりはじめている。
希音と律は、手すりにもたれながら、何も言わずに空を見ていた。
何となく、一緒に帰ろうと決めて、昇った屋上だった。
「……ねえ、希音」
「うん?」
「“負けた”って、思ってもいいのかな?」
律の声は、小さく震えていた。風の音にまぎれて消えてしまいそうなほど。
「みんなが“いい経験だった”って言ってるのも分かってる。でも、わたしは……悔しい。もっと頑張れた気がして、ちゃんと届かなかったことが、ずっと引っかかってて……」
そう言いながら、律は下を向いたまま、制服の袖をぎゅっと握った。
希音はすぐには答えなかった。代わりに、風で飛ばされそうになった校章つきのリボンをそっと押さえた。
それから、やっと言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「……思ってもいいよ。負けた、って」
律が顔を上げて、希音を見る。
けれど、希音はまっすぐ、空を見つめたままだ。
「だって、ちゃんと“勝ちたい”って思ってたんでしょ? 負けた、って思えるくらい、本気だったってことだもん」
希音の声は、風に抗うように、強くて優しかった。
「でもね、律。私は、ずっと“負けた人”のままでいる気はないよ。……あなたも、でしょ?」
律は、その言葉にふっと目を伏せた。
そして気づいた。
自分は悔しいと感じることを、どこかで“負け”と認めたくなかった。
でも、そうじゃない。負けたと思っていい。ただ、それは“終わり”じゃないんだ。
その日の夜。
自分の部屋で、律は机に向かっていた。
ノートを広げ、少し使い古されたシャーペンで、新しい図案を描いている。
何を作るかはまだ決まっていない。ただ、手を動かしたかった。
「……わたし、また縫いたいんだよ」
そのつぶやきに、誰も答えないけれど、ページの上にはすでに一筋の“未来”が走りはじめていた。
針はまだ持っていない。でも、心はもう、一針目を刺そうとしていた。




