第69話「その一針の向こうへ」
合宿三日目。いよいよ、手芸部の4人が挑む全国コンテスト作品が“形”になろうとしていた。
工芸室には、静かな熱気が満ちている。
刺繍枠の中で交差する糸たちが、誰かの“想い”を乗せて、確かに前に進んでいた。
けれど——いとの手は、ある一点で止まっていた。
(これで……本当に、いいのかな?)
完璧を求めているわけじゃない。ただ、自分がここに「何を届けたいか」が、もう一度だけ知りたかった。
対面の席では、さゆりもわずかに迷っていた。
(全体の構成、少し変えたほうが……でも、今さら言ったら、混乱させちゃうかも)
互いに“言えない何か”を抱えたまま、二人はふと目を合わせる。
「……ちょっと、外、行かない?」
いとの言葉に、さゆりは頷いた。
工芸室を抜け、近くの小さな公園へ。
蝉の声が遠くで鳴いていた。夏の日差しが、木々の葉を透かしている。
いととさゆりは並んで、ベンチに腰を下ろした。
「ねえ、さゆり」
いとがぽつりと口を開く。
「私、たぶん……“誰かに託す”って、苦手なんだと思う。
自分でやらなきゃって思いすぎて、結局どこか、全部を預けきれなくて……」
しばらく風が吹いたあと、さゆりが小さく笑った。
「……でも、覚えてるよ。私、あの時——」
視線の先は、いとの指先。初めていとが“構成”を任せてくれたあの日の、記憶。
「あなたが、私に“任せてくれた”とき。怖かったけど、嬉しかった。
力をもらった。いとが“全部抱えなくてもいい”って、初めて思えたんだ」
いとはゆっくりと呼吸を整え、空を見上げた。
「……じゃあ、もう一針、進んでみる」
宿泊室に戻ると、律と希音もそれぞれ仕上げに集中していた。
4人が向き合い、最後の時間を共有する。
糸を引く音、布を撫でる手の音、針が抜けるかすかな響き。
それぞれの“色”が、迷いとともに、重なっていく。
「ねえ」
いとがふと呟いた。
「……これ、全部が完璧じゃない。どこか歪んでたり、重なりすぎてたりするけど——」
さゆりが、刺繍枠の端に残る小さなにじみを見て、優しく頷いた。
「でも、その全部に意味がある。そう思えるよね」
夜。
仕上がった刺繍タペストリーが、机の上にそっと置かれている。
そこには、4人の糸が確かに絡み合い、ぶつかり、譲り合い、そして結ばれていた。
一針の向こうには、誰かの“想い”がいて。
その想いが、また別の誰かに“手渡される日”を待っている——そんな作品だった。




