第65話「先輩の涙」
展示会場の午後。
日が少し傾きはじめた頃、一人の女性が、ふらりと入ってきた。
制服ではない、落ち着いたベージュのワンピース。
足を止めた彼女は、懐かしそうに目を細めて、並んだ刺繍作品をひとつひとつ見つめていく。
「……まどか先輩……」
いとが、その姿を見つけて小さくつぶやいた。
部の創設メンバーであり、いとの最初の“憧れ”だった人。
今は別の町で大学生活を送っているはずだが、連絡もないまま、突然展示会に顔を見せた。
まどかは、最後の壁際で足を止めた。
そこに飾られていたのは、今回のメインとなる合作タペストリー。
それぞれの個性が縫い込まれた色彩。異なる刺し方。
けれど不思議と調和している、温かくて少しいびつな一枚の風景。
そしてその下には、小さな説明プレート。
「この作品は、“関係”を縫いました。
違う色、違う手が重なり合って、少しずつ形になっていった、私たちの時間です。」
その言葉を読んだまどかは、目を伏せたまま、動かなかった。
何かが滲むように、頬をつたう一筋の涙。
それを誰にも見せないように、彼女はハンカチでそっと目元を押さえた。
展示が終わるころ、まどかはそっといとに声をかけてきた。
「少しだけ、歩かない?」
二人は静かに並んで帰路についた。
まだ夏には遠い夕暮れ。蝉の声のない、どこか肌寒い風が吹いていた。
「すごかったよ、みんなの作品」
まどかがぽつりと口を開く。
いとは「ありがとう」と小さく笑った。けれどその声の端に、まどかの揺れた感情が残っているのを感じた。
「……わたしね」
まどかの声が、また風にまぎれるように落ちた。
「高校のとき、あんなふうに“誰かと作る”って、ちゃんとできなかったんだ」
いとは、驚いたように彼女を見つめる。
「技術のことばっかり気にしてて……誰かに合わせるの、苦手だった。
ずっと“自分だけの作品”で勝負しようとしてたの。
でも……今日、見て思っちゃったんだ。――いいなって。ちょっと、悔しかった」
まどかはそう言って、口元を引き結んだ。涙は、もう流れていなかった。
いとは、しばらく黙ってまどかの横を歩いていた。
そして、ふと立ち止まると、小さく手を差し出した。
「先輩のぶんまで、ちゃんと届けるね」
その目はまっすぐで、けれどあたたかかった。
まどかは一瞬、驚いたように目を見開いたけれど、すぐに微笑んで、その手にそっと自分の指先を重ねた。
「……うん。頼んだよ、いと」
過去の悔しさも、未来の願いも、今この“手”の中に結ばれていく。




