第64話「わたしの言葉で語れるかな」
展示会初日。
地域の文化ホールの一角、白い壁に飾られた刺繍のタペストリーたちが、静かに観客を迎えていた。
「じゃあ、いとは説明パートお願いね。さゆりは受付周り、希音と律は来場者対応ね」
顧問の言葉に、律の肩がぴくりと動く。
「……えっと、わたし……うまく、話せないかも」
律は少しうつむきながら言った。隣にいた希音も、軽く眉をひそめる。
「なんかさ、私、言葉にすると自分の想像が狭くなる気がする。なんていうか、言葉で囲っちゃうっていうか……」
律は小さくうなずいた。
わかる、気がする。うまく語ろうとすると、本当の気持ちから遠ざかってしまう。
「……それでもさ」
いとがふっと笑った。
「誰かに“好き”って伝えるって、やっぱり、大事なことだと思う」
言葉じゃなくてもいい。
それでも、向き合うこと自体が、伝えるってことなんだ――そんなふうに、いとは言っているように見えた。
会場は少しずつ来場者で賑わい始めていた。
地域のお年寄り、親子連れ、小さな子どもたち。
律は作品の前に立っていた。
説明しようと口を開くたびに、喉の奥がぎゅっと締まる。
――やっぱり、無理かも。
そのとき、小さな声が耳に届いた。
「ねえ、これって……夜の海?」
見上げていたのは、小さな女の子。律の作品の、深い藍色のグラデーションを見つめている。
「……うん」
律は、思わず頷いていた。
「夜の、海を見たことがあるの。すごく静かで、こわくて、でも、きれいだったから……その感じを、縫ったんだと思う」
気づけば、言葉が出ていた。いつもみたいに震えず、少しだけ、やさしい声で。
「ふーん……わたし、夜の海って、まだ見たことないけど、こわいって感じ、ちょっとわかった」
女の子はそう言って、にこっと笑った。
その笑顔を見て、律はようやく理解する。
――作品が、言葉を生むこともあるんだ。
自分が話せなくても、見た人が何かを感じて、それを言葉にしてくれる。
それを聞いて、また自分も新しいことを見つける。
伝えるって、ひとりじゃなくて、ふたりでつくるものなのかもしれない。
夕方。展示がひと段落し、律は外の空気を吸いに出た。
追いかけるように、希音がやってきた。
「……どうだった?」
「うん……ちょっと、話せた」
律がそう言うと、希音は空を見上げながらつぶやいた。
「わたし、やっぱり……伝えたいかも。誰かに」
「……希音のことば、聞いてみたいな」
そう返すと、希音は少し頬を赤らめて、照れくさそうに笑った。
言葉にするのは、こわい。
でも、伝えたいという気持ちは、たしかにそこにある。
その一歩を踏み出すことが、きっと大事なのだ。




