第61話「ほどけたら、結べばいい」
ミシンの音が止んだ放課後の家庭科室。窓から射し込む西陽が、机の上を金色に染めていた。
いとは、手芸部で使う布を取りに来ただけのはずだった。けれど、ふと目を留めた光景に、思わず足を止める。
窓辺の席でひとり、律が針を動かしていた。
「律ちゃん……?」
声をかけようとして、いとは黙った。
律の手元で踊る糸の色に、見覚えがあった。あれは──希音の好きな、明るいマゼンタ。
いつもなら選ばない色。けれど今、律はその糸を迷いなく通していた。
その指先に、迷いも怒りもない。ただ、静かに、丁寧に。
いとは、心の奥がじんと温かくなるのを感じていた。
そのころ、校舎裏のベンチ。
希音はスケッチブックを開き、鉛筆を片手に黙っていた。視線の先には、律が以前描いていた図案のコピー。
シンプルで、余白が多くて、静かな線。
何度か試してみたけれど、うまくいかない。
「やっぱり、わたしっぽくないかも……でも……」
つぶやいて、ふと笑った。
「合わないと思ってたけど、ちょっとずつ混ざってるかもね、私たち」
その言葉が、風に吹かれてスケッチブックの上を滑っていった。
その日の夕方。部室に4人が集められた。
呼び出したのは、さゆりだった。
それぞれが少し緊張した面持ちで席に着く。けれど、さゆりは柔らかく微笑んだ。
「ねえ。正しさとか自由とか、どっちが正しいかを決めるより……“混ざったらどう”かな?」
「混ざる?」といとが聞き返す。
「うん。お互いのやり方を、ちょっとずつ試してみるの。実験みたいに」
律が目を伏せ、希音が目を丸くする。
いとは、笑って頷いた。
「やってみようよ。混ざるって、私たちらしいかも」
沈黙のあと、律がそっと言った。
「……じゃあ、今度は、もう少し……色を増やしてみる」
希音もにっと笑って、「じゃあ私も、空白、残してみる!」
こうして、試すように──けれど確かに、4人の「手法の交換」が始まった。
数日後、刺繍枠の中。
それは見たことのない風景だった。
にじんだような線が、重なっている。互いの色がまざりあって、曖昧なグラデーションを作る。
でも、そこには確かな“手”の跡がある。
「……なんか、前より“わたしたち”っぽいね」といとが笑う。
さゆりも頷いた。
「正しさも、自由も、そのままじゃ混ざらないけど。針と糸なら、ちゃんと結べるんだね」
小さな一針が、今日も、誰かの心に重なっていく。




