第57話「重ねる、ほどける」
部室には、色とりどりの糸が広がっていた。
大きなタペストリーの布地が机に広げられ、四隅にそれぞれの“風景”が少しずつ刺されている。
希音のパートには、鮮やかなピンクやオレンジが踊るように走り、
律のパートには、繊細で静かなグレーと青のラインが丁寧に重なっていた。
でも――その“間”にあるはずの接点で、小さな違和感が生まれ始めていた。
「ねえ、その影の部分、ちょっと明るめの青で足してもいい?」
希音が、手にしたライトブルーの糸をふわりと揺らす。
「……ちょっと待って」
律が無言で彼女の針を止めた。
「この配色、光と影を分けて作ってたから……明るすぎるとバランスが崩れるかも」
「え、でも、こっち側って“夢の世界”でしょ? 明るいほうが映えると思って……」
「ルールは必要だよ。イメージだけで刺したら、まとまらなくなる」
淡々とした律の言葉に、希音が思わずムッとする。
「……律ちゃんって、いつも正しさばっかじゃん。もっと自由にしてもよくない?」
「それが“自由”なら、私の“静けさ”はどうなるの?」
空気が、すっと冷たくなる。
いとは、ふたりの間にそっと手を置いた。
「……一回、お茶にしよっか」
無理に笑顔を作る。でも、胸の奥には小さな棘が残ったままだった。
その日の帰り道。
いとは律とふたり、夕暮れの昇降口を並んで歩いていた。
「……ごめん。雰囲気、悪くしちゃった」
律がぽつりとつぶやく。
「律は、間違えたくなかったんだよね」
いとの声は、やさしく静かだった。
律は少しだけ歩を緩めると、ぎゅっとカバンの紐を握った。
「……間違えたくないっていうか。わたし……人に迷惑かけるのが、怖いだけ」
その声は、風にさらわれそうなくらい小さかった。
「ちっちゃいころから、“ちゃんとしなさい”って言われてたから。
何かを間違えて、“どうして確認しなかったの”って言われるの、ほんとに苦手で……」
いとは、ふと自分の過去の不安を思い出す。
最初の春、まどか先輩の言葉に救われた自分。
不安の中で、誰かがそっと“見ていてくれる”だけで、安心できた時間。
「ねえ、律」
いとは立ち止まり、振り返る。
「ひとりで背負わなくていいんだよ。だって――“わたしたちの作品”なんだから」
「わたしたちの……」
「間違えたり、失敗したり、思った通りにいかないこともあるけど……。
それも“いまの風景”にしていいんだと思う。
無理に形を整えなくても、誰かと一緒にいるだけで、きっと少しずつ重なっていくから」
律は、しばらく黙ったまま、昇降口の向こうに広がる空を見上げた。
夕焼けが、彼女の横顔をほんのり照らしていた。
「……ちょっとだけ。わかる気がする」
次の日。
部室では、ふたりが黙々と針を動かしていた。
希音の鮮やかなピンクのラインのとなりに――
律は、そっと柔らかな藤色の糸を選び、色を“寄せる”ように一針を重ねた。
その小さな調和に、いとは気づき、そっと微笑む。
まだ言葉にするには早いけれど、
ふたりの間には、確かに“何か”が、ほどけて、重なり始めていた。
To be continued...




