第54話「この糸は、誰と結ぶ?」
春の午後。窓を開けた部室に、少し冷たい風が入ってきた。
机の上には、カラフルな糸巻き、布、そして新しい名前シールのついた道具箱。
「さて、いとちゃん。後輩のサポート、お願いね。わたしは年間スケジュール組んでくるから」
そう言って、さゆりはファイルを手に部室の奥へと向かった。
新年度、本格的な活動のはじまり。
いとは「教える側」になったことに、まだどこかぎこちない肩の力を感じていた。
「いと先輩~! 見てくださいこれっ! スカートの裾にタコの刺繍!」
目を輝かせて布を広げたのは希音。明るく元気で、何を作っても全力投球……だけど、少し行き過ぎることもある。
「わあ、すごく自由な発想だね……えっと、テーマは……?」
「ないですっ! インスピレーションが来たら即、GO!」
「……そ、そうなんだ」
その後ろで、小さくうなずいたのは律。寡黙で、表情をあまり動かさない。手元の刺繍枠をじっと見つめ、何も言わず作業を続けている。
いとはふと考える。
(……どう接したら、いいんだろう)
希音は自由すぎて軌道修正の加減が難しい。
律は何を考えているか分からなくて、声をかけるタイミングがつかめない。
“サポート”って、思ったより難しい。
放課後、中庭のベンチ。
今日の練習が終わったあと、いとはひとり、風に揺れる葉の音を聞いていた。
と、そこに――
「……先輩」
律がそっと現れて、少し戸惑うようにベンチの端に座った。
「ありがとう、今日……。でも……わたし……その……」
律の声はかすれていた。けれど、かろうじて聞こえた言葉は──
「わたし、ちゃんと話せないから……なんか、空気、悪くしてる気がする……」
目を伏せる律。その肩は、微かに震えていた。
数分後、今度は希音がやってきて、パンジーの鉢を覗き込みながら言った。
「なんかさぁ、何作っても『いいね』って言ってもらえるんだけど……逆にちょっと怖くなること、ない?」
「え?」
「“これで本当にいいの?”って自分で分かんなくなっちゃうの。……評価がないって、不安にもなるんだね」
2人の言葉に、いとはようやく気づいた。
自分だけが“上手く関われていない”んじゃなかった。
それぞれが、それぞれのやり方で、居場所を探していたんだ。
その夜、自室の机でいとは刺繍枠を手に取る。
ふと、ある案が浮かんだ。
「──“交換刺繍”」
1人ひとりが、ひと針ずつ交代で刺していく。
言葉じゃなく、針と糸でつながる時間。
そんなやり方なら、みんなで何かを“つくる”ことができるかもしれない。
翌日。
中庭のベンチに、いとは小さな刺繍枠と、数色の糸を持ってきた。
「これ、やってみない? “交換刺繍”っていうんだ。ひと針ずつ、交代で刺していくの」
希音と律は顔を見合わせた。
「何を刺してもいいの?」
「うん。思いついたものを、少しずつ」
律はおそるおそる針を持ち、慎重にひと針。
次に希音が「じゃあタコの足にハートを」とにやり。
いとは微笑んで、花びらをそっと添えるように刺した。
ラスト、部活終わりにやってきたさゆりも、遠慮がちに加わった。
「じゃあ……葉っぱを。繋がっていくように」
それは、ひと針ひと針の交換日記のようだった。
言葉にならない気持ちが、色になり、形になり、布の上に咲いていく。
モノローグ
ひとりでは届かない場所も、
だれかとなら、たどり着けるかもしれない。
この糸が結ぶのは、わたしの気持ち。
そして、だれかの想い。
すこしずつでも、結び直せる。
わたしたちは、そうして“部活”を縫っていく。




