第53話「まどか、ふたたび」
部室のドアが、春の午後に似合わないほど、控えめにノックされた。
「こんにちはー……って、いる?」
いとが顔を上げると、そこには見慣れた──でも少しだけ大人びた──笑顔が立っていた。
「まどか先輩!」
思わず声が弾む。ドアの向こうに立っていたのは、大学生になったまどかだった。
ふわりと揺れる春コートの裾と、手にした紙袋から漂う甘い匂いが、部室に春の風を運んできた。
「春休みでちょっと帰ってきたから、寄ってみたの。はい、差し入れ。焼き菓子屋さんの新作だって」
「きゃー! まどか先輩だ……!」
「えっ、あの“伝説の部長”って……この人!?」
パッと明るく反応したのは、1年生の希音と律。
いとの背後から顔をのぞかせ、目を輝かせてまどかを見つめていた。
まどかは「伝説は言いすぎ」と笑いながら、部室の机に袋を置いた。
「……でも嬉しいな。今でも、こんなふうに笑って迎えてくれるなんて」
しばらく雑談の後、まどかは部室の作品棚に目をやった。
「……わぁ、これ、いとが作ったんだね」
「はい。去年の春……さゆりと一緒に企画した展示で」
「グラデーションのやつ、さゆりがやったのか。繊細で綺麗だね」
まどかはひとつひとつの作品に丁寧に目を通し、懐かしそうに、でも嬉しそうに微笑んだ。
「すっかり、“いとの部活”になったんだね」
その言葉に、いとは思わず目を伏せた。
「……まだ、全然です」
「そんなことないよ。ちゃんと伝わってる」
一方で、さゆりは落ち着かないように視線をうろうろと彷徨わせていた。
まどかがちょっと心配そうに見やると、彼女はぽつりと漏らした。
「……わたし、まだ“ちゃんと任された”って思えてなくて」
「うん。わかるよ。わたしも、昔そうだった」
まどかは深く頷いて、言葉を飲み込んだ。
夕方、文化祭資料室での整理を手伝った後、まどかといとは並んで歩いていた。
春の風がカーディガンの裾をさらりと撫でていく。
「先輩……」
「ん?」
「わたし、ちゃんとできてるのかなって。部長でもないのに、責任感だけ先走っちゃって」
いとは、まどかの横顔を見ながらそっと言った。
「先輩みたいになりたくて。でも、ぜんぜん追いつけてない気がするんです」
まどかは立ち止まると、ちょっとだけ首をかしげて笑った。
「追いつくとか、追い越すとかじゃないと思うよ」
「え?」
「ちゃんとしようとするより、ちゃんと悩むことのほうが、大事なこともあるよ」
まどかの声は、あたたかくて、やさしかった。
「いとは、ちゃんと悩んでる。自分の立場や、相手のこと、作品のこと。そういう悩みは、まっすぐな証拠だよ」
「……そっか」
いとは、少しだけ目を閉じて、風の音を聞いた。
それは、春の音だった。
日が落ちて、部室に戻ると、さゆりが一人で何かをメモしていた。
いとはそっと隣に座り、笑顔で言った。
「まだまだ、わたしたちこれからだよね。……ね、部長さん」
さゆりはびっくりした顔でいとを見ると、次の瞬間、ぽっと頬を赤らめてうつむいた。
「……うん。そうだね」
2人の間に、春の風がまたそっと吹き抜けた。
モノローグ
春は、終わるものじゃない。
誰かが咲かせて、次へと渡していくもの。
まどか先輩がくれた春を、わたしも誰かに――
そう思えるようになった気がした。




