第4話「入部届け」
それは、あの日の体験入部から数日後のことだった。
春の風が少しずつあたたかくなり、校舎の窓からは西日が柔らかく差し込んでいる。
授業が終わった放課後──日向いとは、学生カバンの中にそっと一枚の紙をしまっていた。
「……よし」
自分の中で何かが整ったような気がして、立ち上がる。
向かう先は、あの旧家庭科室。いとが初めて「好きかも」と思えた場所だった。
*
部室のドアを開けると、先に来ていた白石さゆりが顔を上げて、笑った。
「あ、いとさんも来たんですね」
「うん……今日、出そうと思って」
さゆりもまた、制服のポケットから同じ紙を取り出して見せた。
白地に印刷された「部活動入部届」──いととさゆりは、同じ日に同じ思いでこの部屋を訪れた。
少しして、奥からまどか先輩が現れた。お湯の沸く音と一緒に、ふんわりとしたハーブの香りをまとって。
「あら……2人とも、決めてくれたのね」
いとも、さゆりも、こくりと頷く。
「入部届け……持ってきました」
「私もです」
まどかは2人の手から紙を受け取り、優しく目を細めた。
「ようこそ。今日からあなたたちも、“仲間”ね」
その言葉は、ごくシンプルだったけれど、まっすぐで、胸にあたたかく刺さった。
まどかは湯気の立つポットから小さなカップにハーブティーを注ぎ始めた。
部室に静かに香るのは、レモンバーベナとカモミール。優しくて、落ち着いて、心がほぐれる香りだった。
「入部の記念に、乾杯しよ」
3人は湯気の向こうでカップを軽く合わせ、ことん、と小さな音を響かせた。
「なんだか……ほんとに部活っぽくなってきましたね」
「うん。まだ始まったばっかりだけど」
いとはカップを両手で包みながら、少し照れくさそうに笑った。
*
帰り道、校門を出た3人は並んで駅までの道を歩いた。
春の夕暮れが空を淡く染めていて、道の端に咲くタンポポの影が長くのびていた。
「まどか先輩って、最初はちょっと不思議な人かと思ったけど……」
「ね。でも、すごくやさしいよね」
「うん……」
いとは、ふと歩きながらつぶやいた。
「なんだか……これからが楽しみかも」
自分でも驚くくらい自然に出た言葉だった。
入学してからずっと緊張していた心が、少しずつほどけていく感覚。
それはきっと、「好き」を見つけたからだ。
そして、「一緒にやりたい」と思える人が隣にいたからだ。
3人の影が、夕暮れの歩道に長くのびていく。
その影の先には、まだ知らない未来がある。
けれど、たしかに今日──その未来への第一歩を踏み出したのだった。