第38話「まどかノート」
放課後の部室。いつものようにドアを開けると、テーブルの上に一冊の厚めのノートが置かれていた。
優しいベージュ色の表紙には、小さな花のシールと、手書きの文字。
『手芸部のこと ―まどかノート―』
「これ……先輩の字だ」
いとはそっと指先で表紙をなぞる。さゆりも隣に立ち、そっとノートを覗き込んだ。
ぱらぱらとページをめくると、そこには丁寧な文字で書き込まれた、たくさんのことが詰まっていた。
「展示準備は“3週間前”から始めると安心」
「アイロンは湿らせすぎないこと」
「刺繍糸は、光と湿気に弱いから引き出しの中に保管」
「“見せたいもの”より“伝えたい気持ち”を、作品の中心に置く」
実用的なアドバイスだけじゃなかった。展示で苦労したこと、仲間とぶつかったこと、それでも刺繍が好きだと思えた瞬間……。
どのページにも、あのやさしい声と笑顔が、確かに宿っていた。
さゆりはじっとノートを読みながら、ぽつりと口を開いた。
「……私たちが、ちゃんと“受け継ぐ”番なんだね」
いとはその言葉を聞いて、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
「うん。まどか先輩がいたから、私……ここまで来られた。最初はなにがなんだか分からなかったし、道具の名前も覚えられなかったのに……」
自分の成長の陰に、いつも寄り添ってくれていた存在があった。叱るでも、押しつけるでもなく、背中を静かに支えてくれた人。
その想いが、このノートに詰まっている。
その夜、自宅の机に座ったいとは、自分用の新しいノートを取り出した。
何も書かれていない、まっさらな白いページ。そこに、ゆっくりとペンを走らせる。
『いとの手芸ノート』
一行目には、まだ拙い字でこう綴った。
「針は、思いを運ぶもの。まどか先輩が教えてくれた」
カーテン越しに差し込む冬の月明かりが、白いページをそっと照らしていた。
いとの針も、これから少しずつ、新しい“想い”を縫い始めていく。




