第23話「ひとりじゃない展示」
展示会当日の朝、いとは会場前に立ち尽くしていた。
ガラス越しに見える広いロビー。すでに多くの来場者が出入りしていて、受付近くの展示コーナーにも、人だかりができている。
「……大丈夫、大丈夫……」
胸の前で小さく手を握りしめながら、何度もつぶやく。だが、足は地面に根を張ったように動かない。
(行かなきゃ……でも……)
胸の奥で、どくん、と心臓の音がする。昨日まで一緒に笑って準備していたのに、いざ本番となると、どうしてこんなに怖いのだろう。
そのとき、会場の横に設置された「来場者ノート」がふと目に入った。誰でも自由に感想を書き込めるというそのノート。吸い寄せられるようにページをめくると──
「この刺繍、とってもやさしい色で好きです」
「夏の光がにじんでるみたい。何度も見に来てしまいました」
「ひまわりと帽子、私の思い出にも似ていて懐かしかった」
その下に、ちいさな“展示番号15”の文字が添えられている。
──それは、いとの作品の番号だった。
「あ……」
目が潤んだ。張り詰めていた緊張が、ほんの少しゆるむ。
(わたしの、見てくれてたんだ……)
誰かが立ち止まり、誰かが感じて、誰かが言葉にしてくれた。それだけのことが、こんなにも胸を打つなんて──。
足元の緊張がほどけ、いとはゆっくりと会場の中に入った。
展示スペースには人が絶え間なく行き来していた。いとの作品の前でも、二人組の女性が立ち止まり、会話している。
「この子の作品、初々しい感じがして好きよね」
「これ、刺繍よ?すごく細かいわ……ひまわりのグラデーションがきれい」
その声に、いとは胸を押さえたまま、そっと横を通りすぎる。
(聞こえちゃった……)
恥ずかしいような、うれしいような、不思議な気持ち。でも、それは確かに“つながった”瞬間だった。
少し時間が経って、展示の一角に設けられた「作者と話そう」コーナーに立っていたときのこと。
一人の女性が声をかけてきた。
「こんにちは。このひまわりの作品、あなたが?」
いとは少しだけうなずいた。
「……はい」
「すてきだったわ。私、昔こういう景色を見たことがあって……ふと思い出しちゃったの」
そのやさしい声に、いとは「ありがとうございます」と心から答えた。
「この作品、わたしの“夏の思い出”なんです。見てくれて、うれしいです」
ほんの数秒の会話。でも、それだけで世界が広がった気がした。作品を通じて、知らない人と心を通わせる──そんなことが、ほんとうに起きた。
午後、展示を終え、控室に戻ると──
「いとーっ!」
「おかえり!」
まどかとさゆりが、両手をあげて待っていた。
いとが戸惑っていると、ふたりは息ぴったりにハイタッチ。
「すごいじゃん、声かけられたんでしょ?」
「ちゃんと伝わってたよ、いとの夏が」
驚いて、笑って、いとは思わず顔を覆った。
「もう……なんで知ってるの……」
「顔に書いてあるもん」と、まどかがニヤリ。
「……そう見える?」
「うん、ちょっと泣きそうなくらい、うれしそう」
言われて、いとはふっと目を細めた。
たしかに、今日は何度も泣きそうになった。そして、それは全部、悲しい涙じゃなかった。
「ありがとう、ふたりとも……」
ひとりじゃない展示。それは、作品だけじゃない。心をつないで、支えてくれる誰かと一緒に、歩いてきた日々のすべてだった。




