第113話「集大成って、どこにあるの?」
梅雨明け間近の部室は、外の蝉の声が聞こえないほどミシンと針の音で満ちていた。
全国コンクール――
3年生にとって、最後の舞台。
それぞれが“自分の代表作”に取りかかっている。
「ねえ、これ……どう思う?」
あおばが広げたのは、古びた布の切れ端。縁に、誰かの手で縫われた初歩的なクロスステッチが残っていた。
「お姉ちゃんの最初の刺繍。ノートの端に糸くずを挟んでてね、それがずっと気になってたの」
ノートの続きを縫うような、そんな発想だった。
あおばは、亡き姉の作りかけのアイディアを受け継ぎ、それに自分の“現在”を重ねようとしている。
部室の一角で、さゆりは無地の布を前に、ただじっと手を止めていた。
(……代表作って、何? 集大成って……どういう意味?)
これまでの経験も、技術も、失敗も成功も、全部を込める一枚。
そのはずなのに、どこから始めていいのかわからない。
指先が、糸に触れないまま時間だけが過ぎていく。
放課後、さゆりは黙って図書室へ向かった。
行き先を告げたわけじゃない。けれど、数分後、あおばが同じ机の向かいに座った。
「こんにちは、さゆり先輩。勝手に同席、すみません」
小声で言いながら、あおばは文庫本を開く。
いつもの柔らかい笑顔。問い詰めることも、慰めることもしない。
さゆりは、本棚から何となく選んだ装丁のきれいな詩集をめくりながら、ぽつりとつぶやいた。
「……あおばちゃんは、“まとめる”の、得意?」
「うーん、むしろ苦手です」
即答だった。
「だから、“まとめない”ことにしたんです。集大成って言うけど……私は“続きを作る”感じでいいやって」
「続きを……?」
「姉のノートって、途中で終わってて。ページの余白を見てたら、続きを書きたくなって。それで……私の手芸も、そんなふうに“つなげていく”形でまとめたいなって」
さゆりの中で、何かがわずかに、きらりと動いた気がした。
集大成とは「終わり」ではなく、「繋ぎ目」でもあるのかもしれない。
沈黙の続く図書室で、ページをめくる音が響く。
やがて、あおばが鞄の中から小さな布片を取り出した。
薄いレースの縁取りが施された、くすんだ水色の綿布。
「さゆり先輩。これ、余ったやつなんですけど……よかったら、使ってください」
「え?」
「“続きを作る”って、たぶん、誰にだってできるんです。さゆり先輩の手で始める“続き”も、きっと、誰かにとっては大切な始まりだから」
さゆりは布片を両手で受け取った。
指先が、ほんの少しだけ震えた。
何かを締めくくるように縫うのではなく、
何かに向けて縫い始めること。
それも、ひとつの“集大成”だとしたら。
「……ありがと、あおばちゃん」
その夜、机の上に布を広げたさゆりは、糸を通した針をゆっくりと持ち上げた。
(“続き”を、縫ってみよう)




