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糸と針と、わたしたち。  作者: 南蛇井
高校3年生

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112/150

第112話「この針に、名前を刻む」

主役:全員(ゆら中心)

舞台:部室・文化室前・夕暮れの渡り廊下


 夏が近づく匂いが、風の中にまぎれはじめていた。

 放課後の部室。窓は開け放たれ、ミシンの音と、静かな針の運びと、時折こぼれる笑い声が混ざり合っている。


 机の上には、色とりどりの布と糸。

 全国コンクールに向けて、それぞれの作品が、少しずつ“形”になりはじめていた。


 律は細部に入った装飾を確認しながら、あおばはベルトの刺繍に没頭していた。いとは、着色の調整を終えたばかりのフェルトの小物を手に、少しだけ得意げな顔をしていた。


 その真ん中で、ゆらは、手のひらほどの針山を膝に置いて、そっと糸を引いていた。


「……なんか、すごいね」


 ゆらがぽつりと漏らした声に、いとが振り向く。


「何が?」


「こうして、みんなで集中してるの。熱気っていうか……本気の空気?」


「ま、これが手芸部の“夏”ってやつでしょ」


 いとの声に、律とあおばも小さく笑った。

 流れる空気が、いつもより柔らかい。


 ふと、ゆらが言った。


「……そういえば、みんな、どうしてこの部に入ったんですか?」


 ミシンの音が止まり、空気が静かになる。

 少しだけ、過去をたどるように、みんなの目が宙を泳ぐ。


 最初に口を開いたのは、あおばだった。


「姉のノートを見たのが、きっかけかな」


 あおばは、どこか照れたように笑う。


「中学のとき、押し入れから姉の古いノートが出てきてさ。……びっしり書かれてて。手芸のアイデアとか、糸の種類とか。

 読んでるうちに……“この人たち、すごく楽しそう”って思ったんだ」


 続いて、いとが答える。


「私は……誰かに“好きって言葉、信じていいんだよ”って言われたからかな」


 意外にも真面目な声に、ゆらは目を見開いた。


「最初は、ただの逃げ場だった。でも、涼子先輩とか……ここの空気が、“好き”って気持ちを許してくれたの」


 律は少しだけ視線を落として、ぽつりとつぶやいた。


「私は……“作る理由”を聞かれなかったから」


「え?」とゆらが問い返す。


「“どうして作るの?”って、よく聞かれるんだ。でも……ここだけは、理由より、手を動かしてることを大事にしてくれた。

 それが、うれしかったんだと思う」


 その言葉に、誰かが何かを言いかけて、でもやめた。

 夕暮れが差し込んできて、みんなの横顔が淡いオレンジに染まる。


 ゆらはそっと、膝の上の針山をひっくり返す。

 布の裏、目立たない場所に、小さく小さく刺繍された“Y”の文字があった。


「私……ちょっとだけ、名前を入れてたんです」


 皆がそれをのぞきこみ、柔らかく笑う。


「なんで隠したの?」


「なんとなく……でも、誰にも気づかれなくてもいいけど、ちゃんと“ここにいた”って、残しておきたかったから」


 静かになった部室。


 誰も何も言わないまま、それぞれの手が再び動き出す。

 チク、チクと針の音が重なって、淡い夕陽がその手元を照らしていた。


 言葉はなくても、気持ちは確かに、同じところにあった。



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