第108話「“先輩”って、なんだろう」
放課後の教室。
黒板に描かれたラフな下書きの前で、ゆらが色鉛筆を握っていた。
「ここの文字、少し丸っこくして、下にこの子たちの写真、入れてみるのはどうですか?」
「かわいい! あ、それなら余白こっちに残したほうがいいかも!」
隣のまこも身を乗り出すようにして指を差す。
ふたりのやりとりは軽やかで、にぎやかで、どこか眩しかった。
その様子を見ながら、律は小さく笑った。
「……あの頃の私より、ずっとすごいかも」
机の上に散らばる色鉛筆や、ラミネート用の試作カード、飾りの紐。どれも手慣れた先輩がやることではない。けれど、それをいま、あのふたりが楽しそうに自分のアイデアでどんどん進めている。
教室の片隅、後輩たちに見つからないように、律が小声で言うと、
すぐ隣であおばもぽつりと本音をこぼした。
「いつの間にか、追い越されるかもって……ちょっと怖いよね」
後輩の成長がうれしくないわけじゃない。
でも、追いかけられることと、追い越されることの違いを、今になってひしひしと感じていた。
そのとき、背後からふっと笑う声が聞こえた。
「でもそれって、ちゃんと“育ってる”ってことじゃない?」
いとだった。
彼女は、手に紙の束を持ったまま、二人の間に入ってきて軽く肩を竦めた。
「自分のやりたいこと、自分の頭で考えて動けるって、先輩に甘えるよりずっと難しいことだもん。誇っていいよ、あのふたりのこと」
「……そうだね」
あおばが、少し間をおいて答える。
だけどそのまま飲み込みきれずに、何かを探すように天井を見上げた。
その日の夕暮れ。
屋上で、あおばと律がフェンスにもたれて並んでいた。
赤く染まる空。夏の始まりを予感させるような、生ぬるい風。
沈黙が、思ったより心地よかった。
「ねえ、律先輩」
「ん?」
「“先輩”って、何なんだろうね」
ぽつりとこぼした言葉に、律はふふっと笑った。
「ちょっとだけ先に悩んで、ちょっとだけ先に転んで、でも、ちょっとだけ先に立ち上がってる人……かな?」
「うわ、それめっちゃ律先輩らしい……」
二人して、吹き出す。
そのまましばらく、校舎の屋根の向こうに沈みかけた太陽を見つめていた。
「でもさ」と、律が言う。
「わたしたちにも、まだできることって、きっとあるよね」
あおばはゆっくりと頷いた。
「うん。まだ終わってないし、終わりたくない」
新しい春。新しい後輩。
その成長に焦りながら、それでも見守る視線が“先輩”という言葉の正体だとしたら。
それも、悪くないなと、あおばは思った。




