第107話「“教えること”は、知ってることと違う」
部室の扉が軽やかに開いて、ゆらが小さな布の塊を抱えて入ってきた。
「できました!」
ぱっと笑顔で差し出されたのは、自作の針山だった。手のひらにすっぽり収まるサイズで、淡い青い布に細かな白の刺繍が施されている。
「すごい……」と、あおばが思わず声を漏らす。
「昨日、いと先輩のを見てから、自分で布を切って、ちょっと詰め方も変えてみたんです。底のとこ、ほら、厚紙を入れてみて。そしたら安定感が出て」
「なるほど……!」
驚きとともに、あおばの胸に小さなざわめきが走る。
(あれ……わたし、そんな風に説明できてたかな)
前にゆらに見せたとき、自分はどこまで言葉で伝えていたっけ。見せながら、なんとなく「こんな感じだよ」ってやっただけだった気がする。
自分が自然にやっていたことを、どうしてそうするのか、どうすればうまくいくのか。うまく言葉にして伝えた記憶が、ない。
(ゆらちゃん、ちゃんと工夫して、理解して、自分のものにしてるのに……)
「教えるって……難しいな」
ぽつりと漏らすと、後ろから聞こえてきた声があった。
「うん、難しいよ。特に、手で覚えたことって、言葉にするのがいちばん大変」
いとだった。
彼女は、いつも通りミシンの準備をしていた手を止めて、あおばを見た。
「無意識にやってたことって、分解して、言葉にして、ちゃんと“誰かに渡す”ってなると、全然ちがう力が要るんだよね」
それは、優しい肯定の言葉だった。
放課後、ふたりで校舎を出て、夕焼けの差し込む廊下を歩く。
「でも、やっぱり……」と、あおばはぽつりとこぼした。
「伝えたいって思っちゃうんだよね。伝わったとき、嬉しいし」
「うん」と、いとが頷く。
「わたし、たぶん“言葉にする”のが、これからの宿題かな」
「じゃあ、わたしたち、ことばで針を持つ練習中だね」
ふたりの足音が、廊下に軽く響いた。
帰宅後、あおばは手芸ノートの1ページを開いた。
そこに、ゆっくりと万年筆を走らせる。
「伝えることで、自分も見える」
その一文を、いつか後輩が読むかもしれない──そんな想像に、自然と口元がほころんだ。




