第105話「“刺すこと”が、わたしをつくる」
真夜中の自室。机の明かりの下、日下部ゆらは小さく息を吐きながら、針先に集中していた。
輪ゴムで代用した刺繍枠は、頼りないけれどちゃんと布を張ってくれている。布は、タンスの奥から見つけた母の古いハンカチ。端が少しほつれていたが、それも今はちょうどいい練習台だった。
針を刺し、引き抜き、また刺す。そのたびに布の表情が変わっていく。色も模様も、すべては自分の手の動きに従って現れる。
(なるほど……ここ、斜めに引っ張ると布がよれるんだ)
そう気づけば、すぐにノートに書きとめる。手芸部に入って以来、ゆらは毎晩この「反省と記録」の時間を取っていた。
「失敗、というより……気づきかな」
そうつぶやきながら、ノートに小さく〈今日の気づき〉と見出しをつける。
翌日の部室。窓から入るやわらかな光のなか、ゆらはいつものように端の席に座って練習を始めていた。
ふと、その様子を見ていたあおばが、感心したように声をかけた。
「ゆらちゃん、ひとりで進められるの、すごいね」
「え? ……あ、うん。楽しいから」
あっけらかんと返されて、あおばは一瞬、言葉を失った。まったく気負いのないその笑顔に、なんだか胸がざわつく。
すぐ近くでは、律がそっとピンクッションを直しながら、小さくつぶやいた。
「私が最初に自分で刺したときって、どうだったかな……」
その声はかすかに苦笑を含んでいた。
夕方、練習を終えたゆらが、布を大事そうに持って律に見せに来た。
「今日、初めて文字に挑戦してみたんです。まだガタガタですけど……」
広げられた布には、小さな文字が刺されていた。
──わたしをつくる。
それは、整っていない。でも、一針一針に込められた真剣さが、まっすぐ伝わってくる文字だった。
律も、あおばも、思わず顔を見合わせた。ゆらの目はまっすぐに、刺繍と、そして自分自身を見ていた。
その夜、あおばは自分のノートを開いて、ぽつりと一行書きこんだ。
「わたしも、もう一度“刺すこと”に向き合ってみよう」




