第103話「“ようこそ”の気持ちは、布の上にも」
春の午後、窓から射す光が静かに部室を照らしている。
小さな裁縫箱のフタが開く音、糸を巻く指先の動き──空気はやわらかく、ゆるやかに流れていた。
今日は、手芸部の体験入部の日。
1年生の日下部ゆらと双葉まこは、緊張気味に部室のドアを開けた。
中には、すでに先輩たちが待っていて──
「いらっしゃい、ゆっくりしていってね」
そう笑ったのは、2年生の律だった。
どこか凛とした雰囲気を持つ律は、それでいてどこまでも自然体だ。
部室の机には、糸や針、布が並んでいる。
「今日はね、ピンクッションを作ってみよう。針を刺す、ふかふかのやつ。材料は──いと先輩がくれた“余り布”」
「余り布?」とまこが尋ねると、奥の棚から現れたのは、3年生のいとだった。
「そう。形もバラバラ、模様も不ぞろい。でもね、それがまた楽しいの。色を合わせたり、変に混ぜたり」
いとは机の上に、小さな布たちを広げた。
小花柄、ドット、チェック、レースつき──どれも使いかけで、だけど捨てられなかった「かけら」たち。
「この中から、好きな布と糸を選んでみてね」
律の一言に、まこはうきうきと布をめくるが──
「……えっと、どれが合うんだろ。こっち? でもこの糸だと、地味すぎ?」
となりでは、ゆらが色見本とにらめっこしていた。
赤系、青系、黄色系──組み合わせの選択肢が多すぎて、手が止まってしまう。
「……あの、わたし、色を決めるの苦手かも……」
さらにまこは針に糸を通そうとするが、
「……えっ、えっ、入んない、どこ、目どこ~?」と悪戦苦闘中。
その様子を、律は笑わずに見守っていた。
やがて、ふわりと椅子を引いて、2人の隣に腰を下ろす。
「だいじょうぶ。最初ってね、うまくいかないためにあるんだよ」
「えっ……?」
「最初からうまくできるなら、それはたぶん偶然。だけど、失敗って、選んで試せたってことだよ」
律は、自分のピンクッションを見せてくれる。
まんまるじゃなくて、ちょっといびつ。でも、それがなんだか温かい。
「見て、この最初の一針。すごく曲がってるでしょ? でもこれ、残してるの。**“初めて刺した、私の針”**だから」
ゆらはその針目を見て、小さく笑った。
「……律先輩、なんか、やさしいですね」
「ありがとう。でも、“やさしい布”に囲まれてるからかもね」
律は小さく笑うと、ふわふわの余り布の山から、ハート柄の小さな切れ端を拾って差し出した。
「ゆらちゃんはこれどう? 落ち着いた色だけど、かわいさもある」
「……うん、好きかも」
「じゃあ、その布に合わせて、糸も選んでみよう。これとかどう?」
布を選ぶ時間は、静かで、楽しくて、安心できた。
まこも、ようやく針に糸が通り、「おおおお通ったー!」と小さくガッツポーズ。
「じゃあ、そろそろ縫い始めてみようか」
律の言葉で、2人も小さなピンクッションづくりに取りかかる。
とん、とん、と針の音。
思うように進まないところも、笑いながら、ほどきながら、もう一度。
手の中で、ふわふわのクッションが少しずつ形になっていく。
──そして、1時間後。
まこはリボンのついたピンクッションを、ゆらは丁寧に縫いとじた小花柄のピンクッションを手に、顔を見合わせた。
「……なんか、不思議だね」
「うん、最初はどうなるかと思ったけど……」
2人の表情はやわらぎ、春の光のようにやさしくなっていた。
そして、ゆらがぽつりとつぶやく。
「……ここ、入りたいかも」
まこも、嬉しそうに頷いた。
律は静かに、2人の作品を見つめながら微笑んだ。
“ようこそ”の気持ちは、言葉だけじゃなく、布の上にもちゃんと刺されていたのだ。




