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戸惑いの新居


◇  ◇


 それから四日後。

 わたしたちは、ようやく目的地であるネースの首都、アコットへと辿り着いた。

 道中に明かされた話は、予想もしていなかった内容だった。



◇  ◇



 馬はぴたりと止まり、風が舞う。

 鞍の上からわたしを見つめる男は、どこか懐かしいような、不思議な印象を抱かせる面差しだった。


 何者なのかと尋ねたいのに、声が出ない。


 澄んだ灰青色の瞳に見つめられ、どのくらい経っただろう。

 言葉はないのに、なぜか「ようやく、会えた」と言われた気がして、胸がざわつきかけた——そのとき。

 数拍の間のあと、彼は静かに口を開いた。


「我が名はテオフィロ・ローヴァルド。ネース王国第6王子にして、今はこの国の王太子です」


 低く、よく通る声だった。

 

 押しつけがましさのない、けれど決して軽くもない声。

 その声に、なによりその言葉に、驚くと同時に無意識にわたしの背筋も伸びる。

 名乗るとともに、彼は馬上からごく自然に、礼を取った。

 その動きは隙がなく、しかし十分に優雅だ。


(……この人が……王子……?)

 

 そしてわたしの結婚相手?

 

 不思議な気分だった。

 遠い国の王子の結婚話は、形式のように告げられただけで、あまり実感がなかった。

 でも、今こうして対面すると、不思議と胸の奥に何かが落ちていくような気がした。


 唐突な出会いには戸惑うしかなかったが、彼の佇まいには「なるほど」と思わせる雰囲気があった。親しみやすくどこか貴族らしくないのに、ひとつひとつの仕草には確かな気品があって……。

 今まで会ったことのないタイプだ。


 言葉も忘れて、わたしは彼を見つめてしまう。

 すると彼はただ微笑むと、優しく、まっすぐに言ったのだ。


 「……お迎えにあがりました。わたしの姫君」


 ——と。





 その後、彼はわたしたちを近くの陣まで案内してくれながら、迎えに来た理由を、ごく簡潔に語ってくれた。


「待ちきれなかった」と言ったときの、照れたような微笑みは、まだ胸に残っている。

 

 なんの目印もなく、質素な格好で、ごく少ない者たちだけを伴としていたことについても、


『わざと目立たぬようにしたのです。王子である自分が外に出たと知られれば、兄たちの残党が騒ぎかねませんから』


 そう、簡潔に教えてくれた。


 口調は相変わらず柔らかだったけれど、まだどこか緊張を感じさせるその貌を見たとき、ようやくわたしは気づいたのだ。



 この人は、ただ優しいだけの人ではない。

 国王の病をきっかけに荒れた国内を一気に手中に収めた王子。

 静かな決意と得体の知れなさを、その奥に秘めているのだと。


 

◇  ◇



 西の城壁沿い、小高い丘の上に建てられているその屋敷は、白い石造りの外壁に、緩やかな勾配の赤い屋根が美しく調和していた。

 広い中庭には、季節の花々が咲き乱れ、噴水の水音が風と溶け合っている。

 門を抜けた瞬間、あまりの風景に、わたしは思わず言葉をなくした。


(……ここが、わたしの……?)


『一緒に暮らすまでは、ひとまずここで』


 と、案内された屋敷だったが、想像以上の瀟洒な館に戸惑うばかりだ。

 成望国とは違った——いわゆる”洋風”と言われる見慣れない建築様式の建物だが、おそらく広さは実家以上だろう。


 国から付いてきてくれた従者たちも、目を丸くしていた。

 実家で疎まれていたわたしが、嫁ぎ先でこんなに丁重な扱いを受けるとは思っていなかったに違いない。

 わたし自身もまた、こんなに丁寧に迎えられるとは思っていなかった。


 やがて、案内されたのは、屋敷の南側——中庭に面した一角だった。

 陽当たりがよく、風通しのよさそうなその場所に「わたしのための部屋」が用意されていた。


 扉が静かに開かれた瞬間——。

 目の前に広がった光景に、わたしは思わず息を呑んだ。

 そこは、まさに優美という言葉がふさわしい空間だった。


 ここは人を迎え、会うための場所だろうか。

 高い天井には繊細な彫刻が施され、シャンデリアには陽光が反射して、細かな光の粒を壁に散らしている。

 石造りの壁面には金糸で縁取られたタペストリーが飾られ、深紅とアイボリーを基調にした調度品がぴたりと配置されている。

 窓からは緩やかな風が入り、わずかに甘い香の混じった空気が揺れる。



 この国の花や香木を用いた香りだろうか。どこか懐かしさと新しさが同居する、不思議な香りだ。

 足元には、深く編み込まれた分厚い絨毯。歩くたびにわずかな沈みを感じるほどの上質さがある。

 窓辺のカーテンは薄絹と金糸の二重で、風に揺れるたび、光がふわりと散る。


 異国の、見ているだけでわくわくするような品の良い華やかな設えは、何度もため息が出るほどだった。 

 けれど、本当の驚きは、その奥にあった。


 控えめな扉の先——。

 そこにあったのは、わたしだけの宝石箱のような寝室だった。


 天井はわずかに低くなり、照明も落ち着いた光に抑えられている。

 白を基調とした壁には、花と果実の浮き彫りがさりげなくあしらわれ、絨毯もその色に合わせた、柔らかな色調だ。

 大きな窓からは目に穏やかな午後の陽光が差し込み、空気までもが優しく感じられる。


 重厚な天蓋付きのベッド。

 絹のカーテンがふわりと垂れ、寝台には滑らかな織物と厚みのあるクッションが幾重にも重ねられている。

 傍らには読書用の椅子と机。机の引き出しには上質な紙と、銀のペンが収まっているのが見える。

 

 さらには、カーテンと同じ素材で整えられた肘掛け椅子と、小さなティーテーブルまでがあり、その愛らしさはつい腰を下ろしてみたくなるほどだ。


 そして——。



 壁際に並ぶ本棚の一角。

 そこには、装丁の美しい本がずらりと並ぶほか、かつてわたしが幾度となく読み返した物語たちが、そっと並んでいる。  


(……どうして、こんな……)


 もう、言葉がない。

 この場所は、ただの「滞在のため」ではない。

 贅を尽くしているのに、どこまでも落ち着く空間。

 本当に、“わたしのため”に用意された空間だ。


 まるで、わたしのことを“知っていた”誰かが、調度から壁紙、一つひとつの香り、光、色、空気まで、何もかもよりすぐって特別に整えたかのような場所。


(ここは……他の誰でもない……わたしだけのために整えられた場所——)


 ——そう感じると、胸の奥から言葉にできない想いが込み上げてくる。


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