令嬢と騎士と
◇
「みんなあからさまね」
手の中で茶杯を弄びながらわたしが言うと、向かいに座るGDが小さく苦笑した。
はずみで前髪が軽く揺れる。
途端、控えている女官たちが弾んだ声を上げ、慌てて口を押さえる。
「いないもの」として振る舞わなければならない立場としては、大きな失態。
とはいえ「やむなし」だろうと思えば、咎める気にはならなかった。
偶然そこに居合わせたことで、騎士の中でも一際優れた見栄えと家柄を持つGDに給仕をするという幸運を得たのだ。
喜びの声の一つや二つもあげたくなるだろう。
(相変わらずモテること……)
わたしはGDを見つめ、次いで辺りに咲く花々に目を移しながら思う。
視界の端を掠めた女官の耳朶は、花より赤く染まっている。きっと頬も真っ赤なのだろう。
回廊で見かけた時は、緊張なのか恐怖なのかで震えているほどだったのに、彼女らは今はもう、わたしのことなど”どうでもよく”なっているに違いない。
つまり——所詮は”その程度”のものなのだ。
”噂”だから、他に気が紛れるものがあれば、あからさまに興味をなくす。
けれど逆に、だからこそ”噂”は完全には消えずいつまでも燻り、機会さえあれば皆の恰好の楽しみになってしまうのだ。
——噂される側の——一方的に楽しまれる側の気持ちなどお構いなしに。
(まったく……)
思い返して眉を寄せかけ、慌てて堪える。
代わりに、茶杯を口に運んだ。
香りの良い茶だ。
淹れ方も上手い。
嫁いでしまえば、こうした茶もそうそう飲めなくなるだろうと思うと、少し寂しい気がした。
そしてそう思ったことに、思わず笑ってしまう。
この国を離れたくない理由が、よりによって、美味しいお茶を飲めなくなりそうだから、とは。
「どうした?」
するとすぐさま向かいから不思議そうな声が届く。
気安い声に、わたしもまた自然に、「なんでもない」というように首を振った。
何気ないやりとり。
噂があろうがなかろうが、それが本当だろうが本当でなかろうが——もっと言えば、どの程度本当かさえ全く意に介さないままの者など、おそらく数えるほど。
そして今、城内の四阿の一つで桌を挟んで向かい合い、思いがけずお茶を共にすることになったGDは、そんな数少ない一人だった。
先刻、突然呼ばれて振り返り、驚いたのは数秒。
彼は目が合うと周囲の緊張感をふっと拭うように、
「久しぶりだ」
と、懐かしそうに目を細めたのだ。
爽やかに。凛々しくも穏やかな、いつもの口調で。
それからは早かった。
物見高くわたしを遠巻きにしていた人たちは、魔法が解けたかのように”普通に”動き始め、辺りにも相応の秩序が戻った。
と同時に、GDはわたしに「少し話しをしたい」と申し出てくると、たまたまそこにいた女官たちに命じて、この場所を用意させたのだった。
人けはなく、しかし二人きりになったりはしないような形で。
(こういうところも、相変わらずだわ……)
そつがないというか、隙のない、誰もが憧れ、夢見る「騎士」。
わたしは、目の前で美味しそうに茶を楽しんでいるGDを見つめると、
「……遅ればせだけれど、お礼は言った方がいいかしら」
試しに申し出てみた。
さっきは、彼のおかげで、騎士に声をかけたりせずに済んだ。
苛立ちから無用に相手の名誉を損なうようなことをせずに済んだ。あの場の空気を、あれ以上悪くせずに済んだ。
それらを言外にまとめて含んで尋ねると、GDは「いやいや」というように微笑んだ。
「礼など。わたしが話したかっただけだ」
「……そう?」
「ああ。むしろ、礼を言うならこっちの方だ。きみの屋敷に伺おうかと思っていたから、城で会えてちょうどよかった。帰宅が遅れるのは構わなかったかな。わたしの方から使者は出しておいたが、きみも色々と忙しいだろう?」
「構わないわよ。それに……父も母もわたしが屋敷にいない方が喜ぶもの」
人目につくところに出したくはないが、自分たちもまた見たくないのだ。
——勝手なことに。
今までのあれこれを思いながらわたしが言うと、GDは「そうか」と苦笑した。
慰めることはせず、また、「そんなことはないだろう」とも言わないのは、彼はわたしがどう扱われてきたかを知っているからだ。
『塔』で初めて出会った時から。
蘇る記憶を味わいながら、わたしはGDを見つめる。
「……なら、わざわざしたかった話ってなに?」
尋ねると、彼はしばらく考えるように黙る。
やがて、茶杯を置くと、まっすぐにわたしを見て言った。
「他でもない、今回の婚姻のことだ。城に来ていたのも、その報告のためだろう?」
「ええ」
「陛下はなんと?」
「もちろん『そうか』と。婚姻自体はすでに裁可の下りたことだもの。形式的な報告と、国を出る時期をお伝えしただけだわ」
「同行の従者たちや侍女たちに関しては?」
「…………」
「きみが嫁す国は、遠い上、道中は難所もある」
「詳しいのね」
「話が耳に入ってから、いくらか調べた」
「ならきっと、わたしより詳しいでしょうね。でもそれなら、途中、先方から迎えが来るようになっていることも知っているのではなくて?」
「だからと言って、道中の警護が不要になるわけじゃない。それに、聞いた話が本当なら、きみの身分に見合った輿入れとはとても……」
「……仕方ないわよ」
陛下だって、こんな女にわざわざ関わろうとはしない。
有力な侯爵家の娘であっても、腫れ物扱いされているのだ。
下手に触って問題を引き起こすことは避けたいだろう。
確かに、国同士の面子としては豪華な花嫁道中にすべきなのかもしれないが、花嫁の生家がそれを望んでいないなら、わざわざ介入したりはしない。
婚姻を許可したのだって、そのほうが面倒がない、と判断したからだ。
命令ですらなく、だから一切の責任も負わない。なにもしない。
わたしの言葉に、GDが微かに眉を寄せる。
空になっていた茶杯に、珍しくどこか荒っぽさを感じる様子で茶を注ぐと、無言で呷る。
次いで、
「結婚を止める……と言うわけにはいかないのだろうな」
溜め息混じりに言う。
わたしは苦笑しながら、
「無理ね」
と短く応えた。