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プロローグ



「大丈夫?」


 不意に頭上から声が聞こえて、はっと息を呑んだ。

 反射的に振り仰いだわたしの目に映ったのは、眩しく(またた)く二つの星。

 ——そうとしか思えないほどの、美しい瞳だった。

 

 今も(うたげ)が続いているだろう大広間から離れたこの中庭は、(とも)されている(あか)りも数えられる程度だ。

 木々が生い茂っているせいもあり、割合で言えば闇の方が多いだろう。それでも。


 わたしを見つめてくる瞳は、間違いなく明るく、美しく、(さや)かだった。

 転んで擦りむいた両膝の痛みも忘れてしまうほどに。


 否。


 瞳だけじゃない。

 

 流れるような優美さでわたしの(かたわら)にしゃがみ、すぐ近くから見つめてくる相手をよくよく見れば、顔立ちも(まと)っているものも、全てが見惚れるほどに綺麗だ。ふわりと漂った香りまでも。


 歳は同じくらい……だろうか。

 はっきりと判断できないけれど、三つも四つも年下という感じではないし、兄たちほどは年上ではない気がする。

 七歳か、八歳ぐらいだ。感覚的には同じくらいだろう。……たぶん。


 だが、わたしと同じくらいなのはそこまでだ。

 身なりからして、この子はきっと、今夜の宴で(ひん)客として扱われている者に(ゆかり)のある立場に違いない。

 例えば、親が格別に大事にされる身分で、この子もまた……というように。

 そして当然、親からも大切に扱われているに違いない。


 城への同行は許されたものの、人目につかないところにいろ、と言われて、ここにいるしかなかったわたしとは——親に疎まれているわたしとは、似ても似つかない雰囲気だ

 そんな子が、どうしてこんなところに?


 身なりも、子供とはいえ宴の席にいておかしくない豪奢なものだし、親の側で、周囲の人々から、ちやほやされている方が似合いそうなのに。


 ついじっと見つめてしまったためだろう。

 

「大丈夫?」


 再び尋ねられた。

 改めて聞いた声まで綺麗だ。


 そう思った途端、同じ年頃なのに転んで地に突っ伏している自分が無性に恥ずかしくなった。

 明らかに見劣りする格好の自分が惨めになった。


 不意に涙が出そうになって、咄嗟に唇を噛む。

 膝と胸の痛みの両方を堪えて見つめ返すと、息を整え、声が震えないように気をつけながら、


「大丈夫」


 と応じた。

 

 せっかく心配して声をかけたのに、と眉を(ひそ)められるのを覚悟しながら、


「大丈夫」


 と繰り返す。

 


 大丈夫。

 ——大丈夫。

 わたしは大丈夫。


 こんなこと、なんでもない。

 わたしは大丈夫。

 大丈夫。

 大丈夫——。


 今までと同じように、胸の中で何度もそう繰り返しながら。



 しかし。

 そんな風に、失礼なほどにぶっきらぼうに答えたわたしに向けられたのは、厚意を()ね付けられたゆえの不愉快そうな表情ではなく、どこか神秘的とも言えるような、淡い笑みだった。


 ふ、と(やわ)らいだ光を(たた)えた双眸に、仄かに上がった両の口角。

 微笑とも微苦笑とも思えるような、その、なんとも言葉にし(がた)い表情に、心が震えた。


 その面差しは、ただ美しいだけでなく、まるでわたしの強がりなど見通しているかのように、とてもとても優しく感じられたから。

 (いとけな)くも大人びて見えたその貌は、まるで、わたしがずっとひた隠しにしていたはずの辛さまで全て掬い取って、包み込んでくれるかのように感じられたから。


 初めて会ったのに。

 会ったばかりなのに。


 ——なぜ?


 視線で問うても、返ってくるのは変わらぬ微苦笑だ。



 


 お互い声もなく、どのくらい見つめ合っただろう。


 やがて、その子は衣擦(きぬず)れの音とともに立ち上がると、


「膝、血が出てる」


 そう言って、手を差し伸べてきた。

 どこかで手当してくれるつもりなのだろう。


 だがわたしの手は、土に汚れ、荒れている。

 躊躇(ためら)ったが、それでも手は差し出されたまま。


 ややあって、思い切ってその手を取ると、


「うん」


 満足そうな声とともに「こっちへ」と言わんばかりに軽く引っ張られる。

 わたしは、されるに任せた。

 

 

 宴の席から遠く離れ、草を踏んで歩く中庭。繋がれた手は温かい。

 脳裏を、先刻見たあの微苦笑が幾度も巡る。


 あの静かな笑みを、少しだけ困ったような、けれど柔らかな美しい微笑を、わたしはきっと一生忘れないだろう。


 思い出すたび、焦がれるように胸が軋む。

 目の奥が熱くなる。


 どうしてあんな顔を見せたのか、()けば教えてくれるだろうか。

 でも教えてくれなくてもいい。

 いいえ、そもそも訊く必要なんかない。


 わたしが見たものが全てなのだ。

 あの一瞬が全部。

 

 わたしの全部。

 これまでの。そしてこれからの。


 ——それでいい。


 

 繋がって混じる体温。

 歩くほどに濃くなる夜の香り。静寂に溶ける、二人分の呼吸音。


 

 御嬢(おじょう)さま!

 御嬢さま、どちらにいらっしゃいます……!?



 風に乗って、どこか遠くから大層狼狽(うろた)えているような雑音が聞こえてきたけれど、わたしたちは一度も足を止めることはなかった。








こちらでははじめまして。

久しぶりなので緊張しています。

そんなに長くならない予定です。

少しでも楽しんでいただければ幸いです。

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