【短編】鬼原弦蔵72歳、ダンジョン界の伝説
「おい爺さん。こんなところで何してんだよ、大丈夫か?俺は柏所晴基、このダンジョンを冒険している22歳だ」
北海道南部に出現している、巨大なダンジョンを冒険していた青年・柏所晴基。そんな彼は探索していたダンジョンの奥深くで、壁にもたれかかっている老人を見つけた。
晴基は懐中電灯を下に置いてその場にしゃがみ込み、老人に声をかけ、水筒に入った水を優しく飲ませる。
「あ、ああ。すまない。そこで転んで怪我をしてしまって。随分と腰も悪くなってしまったから・・・」
ポケットが前面に複数ついた、多機能ベストを着用しているその老人は痛そうに腰をさする。
「おいおい、本当にかなりの爺さんじゃねえかよ・・・。ここは地下35階ぐらいだぞ?この辺りにまで来ると人全然見ないからかなり深い場所のはずだぜ」
晴基は老人のことを、驚きの込められた瞳で見つめる。
顔も手も皺だらけで髪は白髪で真っ白。体も痩せてしまっており、多くの危険が伴っているこのダンジョンの地下深くには最も相応しくない人物であったからだ。
「ははは、まあ仕事だよ。今の時代、ワシのような老人はこれぐらいのことしかできないからね・・・」
「仕事?もしかして、あんたもここのダンジョンの宝を狙ってるのか?」
この老人とは対照的に鍛え上げられた肉体を誇り、重装備もしている晴基は訝し気に問う。
「いやいや。どちらかというとこのダンジョンそのものの調査だよ」
「ダンジョンの調査?・・・ん?っていうかあんた、もしかして・・・」
床に置いていた懐中電灯を慌ててかざし、晴基の声はどんどんと震えていく。
「ワシの名前は鬼原弦蔵、ダンジョンを調査してる貧乏研究者さ」
「お、鬼原・・・。や、やっぱりあの鬼原だよな!?世界で初めてダンジョンをクリアしたっていう、あの伝説の鬼原だ!」
すると突然、晴基は立ち上がりダンジョン中に響くほどの大声を上げた。
「40年前いきなり世界中に出現したダンジョン!その中で、雷導山の山腹に現れた日本最初のダンジョンをクリアした、調査チームのリーダー!あの鬼原弦蔵なのか、あんたは!」
「ご丁寧に説明ありがとうね・・・。いやはやそこまで有名なのかな、ワシは」
水で喉を潤しながら思わず苦笑いを浮かべる老人・鬼原弦蔵だが、若い晴基がこれほど驚くのも無理はない。
今から40年前の1980年代中盤。九州北部に鎮座している、雷導山の山腹に『謎の空間』が出現。
じきに若き日の鬼原弦蔵を中心として全国から探検家や様々なジャンルの研究者が集結し、その内部を調査した。
そこで判明したのが、この空間は一種の建築物のようになっていること。
その中は明らかに誰かの手によって造られたであろう壁や階段などで形成されている部屋になっており、どんどん地下へと進むような構造だというのだ。
しかもそこには、これまで発見されてきたものとは似て非なる動物、通称モンスターも生息している。
まるでおとぎ話や伝承に出てくるようなモンスターは調査チームの面々に襲い掛かり、幾度となく中断を余儀なくされた。
それでも、多くの犠牲を払いながら、鬼原は世界で初めてダンジョンの最深部へと到着。
こうして最深部から戻ってきた鬼原は瞬く間に時の人となり、日本政府からも表彰を受けるほどの待遇を得たのだ。
「歴史の教科書に載ってるほどだぞ、鬼原弦蔵の名前は!そもそもこの空間を『ダンジョン』って名付けたのもあんたじゃねえか!」
「ははは、褒めたって何も出ないよ」
そう語る鬼原だが気恥ずかしそうに、そして嬉しそうに頭をかく。
「・・・しかし今じゃ、ワシもこんな老人さ。出現しているダンジョンも増えてきて、その全貌を解明するにも体力がもたない。あれから40年。もうワシは前時代の遺産とも呼べる男だ」
「ほら。さっきの水のお礼だ、食べなさい」と言って鬼原は晴基にポケットから取り出したキャラメルを手渡す。
そして晴基は渡されたキャラメルを口に含め、それを確認した鬼原はどこか力なくこう続けた。
「青年。『ダンジョン帰還式典』のワシの言葉は知っているか?『もう誰もダンジョンには入るな。あそこは危険だ』とワシは言った。しかし人間の欲深さは止められないな・・・」
彼はダンジョンから帰還後、記者会見で上記のような言葉を残した。
特に何の知識や経験も無い素人への注意喚起を重点的に促し、クリアした雷導山のダンジョンに再び調査する際にも必ず自分を同伴するように釘も差し。
ところが、それからも日本を含む世界各地には数年に一度の割合でダンジョンが出現。『第二の鬼原』を目指そうと、無鉄砲にもそこへと飛び込んでいく命知らずが後を絶たず。
鬼原による必死の言葉も虚しく、『ダンジョンの最深部』という景色見たさと、今なお流布されている『最深部には宝がある』という噂は多くの人々の冒険心に火をつけてしまったのだ。
ところが何と彼以降、ダンジョンをクリアしたという者は現れていない。
ただのひとりも、だ。
それに鬼原自身もなかなかメディアの前に姿を見せなかったことから、晴基も彼がこれほど老けているとは思ってもなかった。
「最初に足を踏み入れた雷導山の調査チーム、生き残ったのはワシひとりだ。他の面々はモンスターに食われ、ダンジョンの環境でおかしくなり、病気も患い。難儀なもんだよ・・・」
この言葉を聞いた晴基は複雑そうな表情を浮かべながらも、鬼原に声をかける。
「確かに伝説とも言えるあんたからしたらそうかもしれないが、俺らはやっぱり未知の領域に足を踏み入れたいんだよ。ダンジョンの最深部、一体そこはどんな顔をしているのか・・・。ロマンなんだ」
言葉を選んでこう話す晴基に対し、鬼原はしかし優しく返答する。
「まあな。その気持ちはワシにも分かる。いつになっても冒険への探求心は誰しもにバイアスをかけるものなのだな。何十年経とうが人間は変わらない」
そうして「よっこいしょ」と声を出してゆっくりと立ち上がった鬼原は、晴基に向かって笑みを見せた。
「何の縁かは分からないが、こんなところで出会った仲だ。長年の経験からすれば、恐らく最深部はもうすぐ。君も優秀な冒険者のようだな・・・一緒にゴールを目指そうか」
「お、おう!あの鬼原弦蔵とダンジョンをクリアできたとなりゃあ、俺も歴史に名を残せるぜ!」
こうして鬼原と晴基は、共にダンジョンを進むことになった。
◇
最深部へと進んで行く道すがら、晴基は鬼原に様々な質問を投げかけた。
どうしてダンジョンは生まれたのか?
雷導山のダンジョン最深部はどうなっていた?
鬼原以降、世界でダンジョンをクリアできた人間がいないのはなぜか?
そして鬼原もそれに対して全て真摯に答える。
「ダンジョンの発生理由は未だ謎だ。こればっかりはワシにも分からん。ただ、人間を遥かに凌駕する存在が手を加えているのではないかと仮説を立てる。まあ笑い者にされてしまうような論だがな」
鬼原は続ける。
「何度かインタビューで答えているがね。雷導山におけるダンジョンの最深部は、人々が思っているような場所ではない。夢を壊すようで悪いが宝石など置いてなかった。ワシはそのことをずっと話しているつもりだが・・・なかなか信用してもらえないよ」
鬼原はなおも続ける。
「ダンジョン内部は人間の生み出した科学では太刀打ちできない要素も多い。それは君も実感したことだろう。モンスターも凶暴、ワシがクリアできたのは運が良かったからだよ」
そんな鬼原と共にダンジョンを進んで行く晴基だが、ここに来て若干の違和感を覚えるようになっていた。
「(モンスターが出てこない・・・?)」
それまで各階において猛威を振るってきたモンスターに、鬼原と出会ってから全く遭遇しなくなったのだ。
ドラゴンのような凶暴な個体。
フェニックスのような素早い個体。
ゴブリンのような狡猾な個体。
彼はここに至るまで様々なモンスターと対峙してきた。戦いの最中、地面に目を向ければそこには夢破れた者の亡骸が転がっていることも珍しくなく、常に死と背中合わせで。
そのために体を鍛えぬき、貯金をはたいて優秀な技術者に頼み込んで武器や防具も揃えていたのだから。
「人間というのはそれほどにちっぽけで愚かだ。そんな存在が、地球の支配者として大きな顔をして増殖していることはおかしいと思わないかい?ダンジョンをクリアして40年。辿り着いた答えはこれに尽きるよ」
晴基のことを先導するようにスタスタと先を歩く鬼原。
しかしその足取りは、あまりにもスムーズ過ぎる。
確かに色々なダンジョンを探索してきた経験から来る勘なのかもしれないが、この姿はさすがに不自然に見えてしまう。
「(ま、まるで道を分かってるみたいじゃねえか・・・)」
つらつらと言葉を並べながら何の警戒もせずダンジョン内を進む鬼原に、晴基は段々と得体の知れない恐怖を抱くようになっていく。
晴基は、時にまるで迷宮のようになっている場所なども抜群の頭脳を用いて突破し、ようやくこの深さにまで到着していたからだ。
そもそも。
「どうしてこんな軽装備でこんなところまで潜れてたんだ・・・?」
思わず晴基がこう呟くと、それに反応した鬼原がゆっくりと振り返る。
「不思議に思うか?青年」
「あ、あんた・・・何者だよ・・・?」
おかしい。考えてみればおかしい。
息を呑んで体を震わす晴基に対し、鬼原は首を傾げ、怪し気な笑みを浮かべて答える。
「ワシはね、青年。誇り高き『神の使い』になれたんだよ。そしてこれこそが、世界で初めてダンジョンをクリアした者だけが手に入れられる宝と言える物なんだ」
そして鬼原が両手を掲げると、薄暗かったダンジョンは急に明るくなり。
「・・・っ。な、なんだよこれ・・・」
「おめでとう、青年。ここがこのダンジョンの最深部だ」
晴基の前には目を瞑った巨大な人の顔が現れる。
「『神』は世界の均衡を守らなければならない。そのために必要となるのが人間の間引きだ。ワシは40年前、世界で初めてダンジョンをクリアした暁として、『神の使い』としてそれの手伝いをできる立場を授けられたんだよ」
巨大な人の顔は、徐々に口を大きく開いていく。
「世間がバカで助かった。ワシがやめろと言えば言うほど、無鉄砲な者はダンジョンへと飛び込んでいく。それによって・・・『神』が望むペースで間引きは行えている」
「・・・く、くそ!俺が鬼原もコイツも倒してやる!」
震える手で、背負っていた荷物の中からライフルを取り出した晴基は、目の前にいる顔に向かって引き金を引こうと試みる。
だが。
「て、手が・・・指が動かない・・・」
「そうそう。言い忘れていたがさっき渡したキャラメルにはね、特別な薬を混ぜているんだよ」
呆然とした表情を浮かべて鬼原の方を見る晴基だが、そうこうしているうちに、彼の目の前にある巨大な顔は口を開ききる。
その中には不気味に蠢く、人間の腕のようなものが大量にあり。
「ひ、ひ・・・」
「よくぞここまでたどり着いたな、青年。だがここまで来れるほど強く胆力があり聡い君は、世界の均衡を崩しかねない。だからここで間引こう。なあに世界のためだ。その死に誇りを持て」
鬼原がこう言った後、飛び出してきた多くの腕に拘束された晴基は、地上には届かない悲鳴を上げながらもその口の中に引きずり込まれてしまった。
◇
「あれ?お爺さん、こんなところで倒れて大丈夫ですか!?」
北関東に出現している、あるダンジョンを冒険していた青年・大孝翔。そんな彼は探索していたダンジョン深部で、壁にもたれかかっている老人を見つけた。
「あ、ああ。すまない。そこで転んで怪我をしてしまって。随分と腰も悪くなってしまったから・・・」
ポケットが前面に複数ついた、多機能ベストを着用しているその老人は、わずかに口角を上げながら痛そうに腰をさすった。