第一章【六】あの日のレイブランド
レイブランドはため息をついた。
ため息の原因は、ノアだ。
彼女が目覚めてから三日が過ぎた。
体調面は良好で、今もジョーンズの手伝いで近くの畑で切磋琢磨仕事をしている。
腹が立つほど天気がよく、このなかで動いていればあっという間にこんがり焼けてしまうだろう。
(……公爵令嬢とは思えんな)
ふんと鼻を鳴らしながら、レイブランドは目を眇める。
畑はそれほど遠くないので、中庭にいるレイブランドからはノアの姿がよく見えた。
ローリィという小さな村の外れに建つ、ジョーンズの家。
本来ならば滅多にこないここに、今回は三日も滞在している。
だがついに明日、レイブランドはノアを連れてここを経つ。
もう療養の必要は無いと判断したのだ。
むしろ身体が治ってもここに滞在すれば、暇な時間が増えて、考えたくないことを考えてしまうだろう。
今のノアは、現実を受け止め切れていないのかもしれない。
理解していても、納得していても、心が追いつかない状態というのがある。
ましてや、ノアは十五歳。
大きな火事のなか家族を失ったのだから、その痛みは簡単に癒えはしないだろう。
ジョーンズの隣にいるノアは、まるですべてが過去になったかのように穏やかに微笑んでいる。
レイブランドには、それが苦痛で仕方がなかった。
(……カラビアルの話を最初から引き受けていればよかったのだろうか)
ため息をついて、レイブランドは腕を組むと壁に凭れた。
カラビアルとは、過去に一度会ったことがある程度の、知人以下の関係だ。
共通の魔術師の知り合いがおり、その者からカラビアルに協力してやってほしいと懇願されて仕方なくアリザナ国に向かったのが、今回の件のはじまりだった。
基本的に、レイブランドは一人を好む。
人とも魔術師とも、関わりたくない。
自宅も山奥だし、一日の大半を寝ているか研究しているか、そのどちらかで過ごす。
魔術師として弟子をとる気などさらさらない。
だから、カラビアルから弟子の話を聞いたときも、すぐに断った。
――『そうですか、それは残念です』
断られることを、カラビアルは予想していたらしい。
当然だろう。レイブランドにカラビアルに合うよう伝えてきた『共通の知り合い』も、レイブランドが決して弟子を取らないことを知っているのだから。
――(あっさりと引き下がったな。なにか、他に思惑があるのだろう)
そう思ったレイブランドの直感は、当たっていた。
――『でしたらノアを、弟子ではなく嫁にとるというのはいかがです?』
直感は当たったが、内容は予想のはるか斜め上のものだった。
それならば弟子のほうがマシだと思わせることが狙いだろうと、レイブランドはカラビアルの提案をすげなく断る。
しかし。
――『気立てのいい娘ですよ。何より魔術師としての素質がありますから、苦労を分かち合うこともできます』
カラビアルは、意外にもめちゃくちゃ推してきた。
断っても、のらりとまたノアの話題を出しては、彼女を褒めるのだ。
親馬鹿ここに極まれりといった態度だが、カラビアルの目はどこまでも真剣だった。
どうやら、彼女は本気でノアをレイブランドのもとに嫁がせたいらしい。
それがわかったとて、当然レイブランドは頷かない。
お互いの意見が一致するはずはなく、その夜はベリス家の屋敷で泊まることになった。
レイブランドとしてはすぐに帰るつもりでいたが、カラビアルは最初からレイブランドを賓客として持てなすつもりだったようだ。
――『今日は遅い。明日の朝、ノアを紹介しましょう』
いらん。
喉まででかかった言葉を飲み込んだのは、どうでもよくなったからだ。
よほど重要な用件があると思っていたのに、カラビアルからは弟子と縁談の話しかない。しかも縁談が九割だ。
レイブランドは皆が寝静まる頃、そっと屋敷を抜け出した。
時空転移を使ってもよかったが、せっかくアリザナ国に来たのだからこの国でしか取れない薬でも手に入れようと、夜の街に繰り出したのだ。
ベリス家が火事だと知ったのは、人々のざわめきから拾った会話を聞いたときだ。
レイブランドはぎょっとしてすぐにベリス家の屋敷に向かった。
誰も助からない。
そう思うにはじゅうぶんなほど火の手が上がり、離れた場所でも肌がじりじりと焼けて痛むほどだった。
空高く火柱が立ち、火の粉を巻き上げる。
救助された者はいないという。
つまり、カラビアルもノアも、まだ屋敷のなかなのだ。
――(だからどうしたというのだ。俺には関係ない)
そう思った。
だが、気づけば自分自身に防御魔術をかけて、屋敷のなかにある人の気配を辿るように、時空転移していた。
それは、ある種の罪悪感からだったのかもしれない。
転移したその部屋には、カラビアルがいた。
シャンデリアに押し潰された、無残な姿で――。
あまりの痛々しさに、さっと視線を逸らした向こう側。
炎に飲み込まれた廊下をじっと見据える少女がいた。
ノアだ。
直感とでも言おうか、紹介されなくてもレイブランドにはそれがわかった。
だがレイブランドが声をかける前に、彼女は炎のなかに飛び込んだ。
生身の人間が――たとえ魔術師であっても――防御なしに炎に飛び込むなど自殺行為だ。
ノアは十五歳とは思えない気力と精神力で、別館の廊下まで突き進む。
最も安全かつ最短で外に出ることができる道をみちびき出していたようで、足に迷いはなかった。
だが、やがてノアは力尽き、膝をつく。
やっと追いついたレイブランドは、ノアが倒れ込む前に抱き上げてその場で治癒魔術を使った。
ダメ元の治療だったが効果はじゅうぶんで、どうやらノアにも魔術が有効であると知る。
そしてレイブランドは、ローリィの村まで時空転移したのだ。
畑にいるノアを眺めた。
引っこ抜いた青野菜を、嬉々としてジョーンズが持つ籠に入れている。
ふと、ノアがレイブランドのほうを振り返った。
笑顔でぶんぶんと手を振る姿は、やはり公爵令嬢には見えない。
またレイブランドは思考に沈む。
(ノアに関して、おかしなことがありすぎる)
なぜノアは、すでに魔術師の体になっていたのか。人が魔術師になることは、無自覚でできるほど簡単ではない。
なぜカラビアルは、ノアが『魔術を扱うことのできる者』だと知っていたのか。ノア本人さえ知らなかったことを、母親であるというだけでカラビアルが知っているのは不自然だ。
(そもそも、あの火事は何だったのか)
レイブランドは、あくまでノアを救出しただけに過ぎない。
何かとんでもないことが起きたのだと察しているが内情まではわからなかった。
考えれば考えるほど、ノアに関して厄介な匂いしかしなかった。
普段のレイブランドなら、そんな厄介な匂いのする者と関わったりしないだろう。
カラビアルから頼まれたとしても、当時屋敷を出ていたという自責の念がレイブランドのなかにあっても、決してノアを弟子になどしない。
そもそも、時空転移でローリィにやってきたのは、彼女の怪我が治ったあとここで静かに暮らせばいいと思ったからだ。
(やはり今からでも、他の魔術師に頼んでノアを――)
――『私、生きていけるだけの力が欲しいんです』
ノアの真剣な瞳を思い出して、軽く舌打ちをした。
もっとも厄介でよくわからないのは、レイブランド自身の感情のような気がした。
◇
「レイを頼むわ、ノア」
乱れた畑の土を戻しながら、ジョーンズが言った。
彼はいつもとても優しい口調で話をするが、今は特に優しさが込められている気がした。
「あいつさ、数年に一回、顔を見にくんの。でもすぐ帰っちまうし」
「そうなの?」
「そ」
はは、とジョーンズが嬉しそうに笑う。
「私は、レイのことをよく知らんのよ。家にも行ったことねぇし、たまに様子を見にくるとき挨拶するだけ」
「めちゃくちゃ仲良さそうに見えたんだけど」
「ま、あれよ。レイは、俺にとって父親みたいなもんだし」
あんま会えないけど、と続けたジョーンズに、ノアは目をぱちくりとさせた。
「ずいぶん、歳の近い父親ね」
「あれ、レイから聞いてねぇの? 魔術師は長寿種だから、見た目と実年齢は異なるんだぜ」
「……え」
長寿種。
そういえば、魔術師は人ではないと言っていた。
ノアは自分の身体を見下ろす。
「私も、そうなるってことかしら」
「んー、たぶん? 私は人間だし、わからん。まぁ、慣れるもんなら魔術師になりてぇけどさ。レイと同じ時間を生きられるなら、なんだってするし」
ノアは息を詰める。
――レイを頼むわ、ノア。
彼の言葉は、どうやらノアが思っているより遙かに重いようだ。
「……あー、でも、どうだろ」
「なにが?」
「やっぱいいや。私は、人間でいたい。……この村で、暮らしていきたいし」
ジョーンズは、どこか遠くを見るような目をした。
「オヤジがさ、レイと知り合いだったんよ。よく知らんけど、その関係で私のことも気に掛けてくれんの。たまーに来てくれるから特別だけど、結局、早くに両親を失った私を育ててくれたのは、この村なんよなぁ」
「ローリィが好きなのね」
「もち。過疎ってる分、繋がり強いし。自給自足で贅沢できねぇけど、それなりに充実してる」
ふと、ジョーンズが振り返ってノアを見た。
「レイが誰かを連れてくるなんて、初めてなんよ。弟子とか取るような人に思えんし、きっと、ノアは特別なんだろうって思う」
「そうかしら」
「マジで、レイのこと頼むわ。……そろそろレイも五百歳だし心配で」
「え……え? えっ!?」
長寿種と聞いても、一世代くらいの差だと思っていた。
「冗談よね?」
「マジ。私、魔術師の加齢については全然知らねぇけど、山奥で一人暮らしさせるには不安な歳だし」
「心配って……私、何を頼まれたの?」
「レイの介護……?」
ノアは衝撃で固まった。
だが、ここしばらく衝撃的なことが続いたこともあって、ノアはすぐに我に返る。
(でも、そうよね。魔術の師になる人だし。私がしっかり支えないと!)
教えてもらうばかりでは駄目だ。
生活するなかで、ノアも役に立てることがあるだろう。
ノアは、ジョーンズに頷いた。
「任せて、できることはやるから」
安心したように微笑んだジョーンズに、ノアは「任せて!」と繰り返した。
「あ、そこの菜っ葉今夜食べる」
「これね。引っこ抜くわ」
よいしょ、と足元の野菜を引き抜いて、ジョーンズが持っているカゴにいれた。
何気なく、先ほどから中庭でじっとこちらを見ているレイブランドを振り返る。
(あれで五百歳……五百……おじいさん……介護)
任せて、という気持ちをレイブランドにも伝えたくて。
彼と視線が合うなり、ノアは笑顔でぶんぶんと手を振ったのだった。
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