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でい

 私の母は大層美しい人であったらしく、十五を数えるよりも早くその美貌を見初められ、小作人の家から武家に嫁いだ。

後ろ盾も何もない一介の小作人の娘では、嫁いだといっても正妻になれるはずもなく、実質的な扱いは妾としてのものであったという。母を娶った父はまだ開きかけの初々しい花のような母を溺愛したが、当然のことながら周囲の母への反応は冷たいもので、その子である私に対する眼差しも当然のように冷ややかであった。

私が七つの頃に母が亡くなると風当たりは一層強まり、私は使用人の子達と同様に育てられた。しかしそれから五年が経ち、一度も父と呼んだ記憶のない旦那様が亡くなると、いよいよ居場所もなくなった。

半分だけ血の繋がった兄は、亡き父に代わる一族の当主として、情にほだされることなくお家のためを思って私を排した。僅かばかりの小銭を手切れにどこぞなりとも行ってしまえと屋敷の外に投げ出されようとした時、私に目を留めたのはたまたま屋敷に訪れていた商人だった。

聞けば、ある山陰にある農村の豪農が、息子に嫁を探しているのだという。生まれの卑しい庶子とはいえ、名のある武家の血でもある。商人の方の口添えにより、何代も続くという豪農の家に私が嫁いだのは、母より早い、数えで十三の時だった。

「遠路はるばるよくきたな。だが、話に聞いていたよりもまだこまい。たしかに良家の娘らしくこっちじゃお目にかからない肌の白さだが、今のおまえじゃ子供が子供を産むようなもんだな」

 夫となる人は私を見て呆れたようにそう言ったが、そう言う彼のほうも私とそう歳も変わらぬ少年だった。実際、私とは三つしか離れておらず、自分より二回り以上年上の父に嫁いだ母を覚えていた私は驚いた。

「嫁なんざいらんと突っぱねても聞きやしねえ。けど、これだけこまい奴なら言い訳も立つ。いいか、おまえ。おれはじきに戦に出る。そこで首級のひとつでも挙げて出世するつもりだ」

 夫となる人は四男で、上に三人も兄がいた。もともと家を継ぐ立場にはないからと自由気ままに放任されて育てられたらしい彼は、戦国の世における血気盛んな若者の片鱗があった。

「おまえに求めるのは、おれが戦で留守の間、きちんと待つことくらいだ。婆にいびられたら適当に流せ。兄嫁らとはできればうまくやれ。無理なら聞こえない振りでやり過ごせ。なに、おまえはこんな家には勿体ない上等な嫁御だ。早々無下にはされんだろ」

 夫と共に過ごしたのは数ヶ月ほどだった。婚儀にはまだ日が悪いからと伸ばしているうちに隣国で戦が起きて、彼は前々から言っていたように戦へ参加するために出奔していった。残された私に、昔から血の臭いを嗅ぎつけると獣のように飛んでいってしまうのだと、御家の人達は言った。農家ではなく武家に生まれるのが正解だったのではないかと溜息をついた。

 豪農と言うだけあって、新しい家は見渡す限りの田畑がすべてその家のものであった。家門の格式では劣るとも広大な敷地は以前のお屋敷よりも遙かに広い家で、私の出来ることは多くなかった。

「お武家のお姫さんだというからどんな箱入り娘がくるかと思えば、色が白い以外は使用人とまるで変わらないのね」

兄嫁である義姉さん方は、以前の習慣が抜けきれずについ手伝いを探す私をそう評した。以前の屋敷と同じように、ここでもたくさんの使用人が近隣の村から雇われていて、嫁とはいえほとんど夫が家に不在ではやることもない。あちらこちらで戦の狼煙が上がる度に出かけて行っては、顔を忘れかけた頃に血塗れになって帰ってくる夫を出迎える時以外は、兄嫁らや義母の相手をして過ごした。

 日々に変化があったのは、嫁いで一年が経とうという頃だった。

「おう、おはつ。いま帰ったぞ」

「旦那さま。おかえりなさい」

「旦那だと? おまえ、そんな大仰な呼び方はやめろと言っただろ。歳もそう変わらんのだから、畏まられてもむず痒い。呼ぶならそうと名で呼べ」

 おまえはこまいから夫婦めおとというより妹ができたようだ。

 帰る度に私を眺めてはそう言う夫は、数ヶ月に一度戦から帰還すると決まって戦利品を渡してきた。討ち取った武者の刀、紋の入った道具、時々人間などは、持ち帰られて倉の中や屋敷の中に配置され、男はまた時が来れば出て行く。夫婦らしいこともなく確かに夫婦というよりは気安い兄ができたような気持ちにさせる男は、また久方振りに姿を見せた時、泥に塗れた血塗れの生首を持ち帰ってきた。

「先の戦で討ち取った首級だ。首検分に持っていくから、おまえ、暇だったら綺麗にしてくれ」

 首検分とは戦場で挙げた首級の身元が確認できるよう、血や泥を拭って化粧をさせ、綺麗に整えることである。一応は武家の出である私も存在は知っていた。まさか農家に嫁いできてから機会があるとも予想していなかったが、しかし、とにもかくにも夫である男の頼みである。仏様への捧げ物のように三宝台に鎮座する生首と、屋敷も眠る夜半に向かい合う。

行灯によって障子戸にぼんやりと影を映らせる生首。改めて見ると、それは成る程確かに、如何にも名のある若武者と見受けられる端正な面立ちをしている。

 死んだ人の生首でありながら、生き人形のように不気味な美しさがある。まだ腐敗せずに形を保っているからだろうか。考えながら水で浸した手拭いで丹念に顔についた土埃や血泥を拭うと、ますます美貌の輝きは増すようだった。

「きれい」

 掲げ持った生首には奇妙に重さを感じない。とっくりと眺めて思わずつぶやけば、思いがけず言葉が返った。

「そうだろう。我がこれぞと思い選んだ器だもの。首だけになってさえいなければ完璧だったのに」

 どこから声が聞こえたのか。手を止めて、自分以外誰もいないはずの部屋を見回す。

「可笑しな娘御。ここだ。おぬしの目の前」

 視線を戻せば、目の前には生首が鎮座している。先程まで閉じていた目は、いつの間にか開いて瞬きもなくこちらを見つめていた。

「……生きて……?」

「おや、人間は首を切られても生きていられるのか」

「でも、口を利いて」

「人間ではないからね」

 私の頭か目がおかしくなってしまったのか。これは一体どうしたものかと己の正気を疑ったが、その間も元気に生首は物を喋っている。どうやら夢まぼろしでもないようだと理解して、私は困惑した。

「見たところ、尊い御方と存じますが、そちらはどなた様ですか」

「如何にも我はいと高き位にある尊き身。だが故あって現在この首だけの器から出ることが叶わない。おぬし、我に力をお貸しよ」

 とりあえず話を聞かないことには、と私が言うと、生首は朗々と語り始めた。

 いわく、己はいずれ神となるいと高き尊き身の妖しであるが、実体を持たぬ故に体がない。常はこれぞという人間を器として渡り歩いていたが、此度の器を見つけた途端、戦場で討死し、首を取られてしまった。死の間際に器に入ったためか、奇妙に魂が定着してしまい、出るに出られず困っている。このままでは生きる首として不自由に暮らさねばならない。

「力を貸すとは、具体的にどのように」

「なに。我の新しい器となり得る人間が見つかるまで、首をどこぞへやらず、燃やさず、持っているだけでいいのだ」

「しかし、この首はわたしのものではなく、わたしの夫のもので」

「おぬしを器にしてもよいのだぞ。ああだが、おぬしの夫はだめだなあ。ちらと見たが、あれはいずれ鬼神の類いにもなる魂だ。追い出すにも骨が折れる。なに、古来より妻の言うことに夫は逆らえぬと決まっている。おぬしが笑みのひとつも見せてねだれば、夫も首のひとつやふたつも下げ渡そう」

 己も夫も器にされたくないのなら大人しく言うことを聞けと言われ、仕方なく頷いた。そうして実際に生首に言われた通りにしてみると、気が触れたかと打たれるか離縁でもされるかと思いきや、意外にも夫は「おまえもおれに似てきたなぁ」と機嫌良く二つ返事で首をくれた。


「そちら様のことは、なんとお呼びすればいいでしょう」

「うん。我のことは『でい』と呼べ。我の名だ」

 前の首は妻の土産となったため新しい首を取ってこなくてはと夫は再び戦場へと戻って行き、生首のでいは私の部屋に留め置かれることとなった。夫以外は義母も義父も義兄ら兄嫁ら使用人らまでみな揃って生首を気味悪がったため、部屋には誰も寄りつかなくなった。

生首は私の前以外では大人しく口を噤んで死んだ首の振りをしたが、ひとたび人目がなくなるとまさに生きた首であった。

「この屋敷には人の気配が多いのに、おぬしの部屋は静かだなあ」

「わたしが近頃生首相手にひとりで話していると、みな不気味がって」

「気が触れたと思われているのだね」

生首が口を利くのだと言っても信じてもらえることではなかった。近頃の母屋のほうではもっぱら新しい嫁は妖し憑きになったと噂であるらしい。でいと己を名乗った生首自体も私がいない場では話さない。例によって例の如く夫である男は戦場に出ずっぱりで、生首が話すこともまだ伝えられていない。

「旦那さま、双さまにもそう断じられれば、屋敷には置いてもらえなくなります」

「そうは言っても我も話しかける相手は選ぶ。ただの拝み屋や口寄せ巫女程度ならいいが、陰陽師でも呼ばれた日には首だけでは如何ともなあ」

「あまり外に出ないわたしでは、器探しも難しいです。次にソウさまがお帰りになった時に、信じてもらえるかはわかりませんがお話しして、戦場に連れて行っていただくのがよいのではないでしょうか」

 戦場ならば魂が抜けたばかりの新鮮な器を見繕うのに事欠かない。さらにただでさえ気味悪がられているこの上で、生首の気に入る器を探すために彷徨うなどしたら、いよいよ母屋の方々も正気を疑うだろう。

「おぬしの夫、双と申す者、あれはぁよくない。仮の器とはいえ、神仏にも近しい我を斬った。今はまだ子供だが、このまま歳を経れば恐ろしいもののふにもなろう」

「双さまは誠血気盛んなおのこと近隣でも評判です」

 数々の戦場での武功により、都のほうからも家来にと直々に話がきているという。そうなった時、自分はどうなるのだろうかと考えながら、今日も生首の手入れをする。生首は腐ることなく生きたように美しいままだったが、首を斬られた際に長い髪は落ちてしまい、今は肩に付くか付かぬかという童子程の長さである。その肩も首だけのでいにはないのであくまで目安ではあったが。

「おぬしは夫のような武の才はないが、かんなぎの素質がある」

「はじめて言われました」

「昔から、妖しの類いの善いものも善くないものも寄ってきただろう。数奇な相だが、さぞやうまいのだろうと一目でわかる。我も万全であったなら、ぺろりと一口だったのに」

 食べ物として見られていたことにそこで初めて気づいたが、生首だけの相手は確かに今は手も足も出せないのか、口惜しげに言いながらもこちらを害する素振りはなかった。

「新しい器を得たら、わたしを食べるのですか」

「うぅん。考えておく。腹は減っているが我は恩知らずではないので、おぬしくらいなら見逃してもよいが、おぬしが一番うまそうなんだよなあ」

 味見もしていないのにうまいかうまくないかがどうわかるのかと、特に炊事が得意でもない身では不思議だったが、かつて共に働いていた古い使用人達は慣れだと言っていた。恐らくでいの言葉もその類いのものなのだろうと考えた。

「双さまはどうですか。美味しそうですか」

「あれはぁだめだ。いかにも食あたりする人相だ」

 食ってほしいのかい、と尋ねられて首を横に振る。興味本位で尋ねただけだ。すっかり遠巻きにされ、生首しか話し相手のいなくなった私は、暇を持て余していた。

 夫である男、双は相変わらず戦場を駆け回っている。いつもよりも屋敷に戻らない期間は雨月の霧雨のように長引いた頃、使用人らの噂を聞いた。五つほど山を越えた遠い先の戦場を最後に、双の足取りが途切れてしまったという便りが届いたのだという。もともとほとんど家に寄りつかない男ではあったが、三男が帰らないまま日が経つにつれ、屋敷の人達は薄々と双が死んだと思い始めているようだった。

「この家の者達が、おぬしをどうするか考えているようだぞ。生家に返すか他に使い途があるか、話しているのが聞こえた」

 教えてくれたのはでいだった。母屋からは随分距離が離れているのに動けない生首がどう聞いたのかと不思議に思えば、「この屋敷の敷地内くらいの声は聞こえる」と当たり前のように返される。

「おぬし、どうするのだ」

 どうとは。私は首を傾げる。嫁げと言われて嫁ぎ、待てと言われたから待っているのだから、帰れと言われたのなら帰るのではないだろうか。もっとも生家が再び自分を迎え入れてくれるとも思えなかったので、その後のことはわからない。

「どうしたいともないのか?」

「思いつきません」

「ふうん。どうするにせよ、我のことは連れていくように。ここに置いていかれたらここの者どもはあっという間に我を火にくべそうだ」

 一月、二月経ち、三月経つ頃には、みな双は死んだものと扱い始めた。もともと農家らしくない奇矯な振る舞いの子、それも三男である。嘆き悲しむような空気もそこそこに、みな双の残していった小さな嫁御をどうするか話し合い始めた。居を置く部屋と母屋は離れていて、その頃には生首に話しかける娘に進んで構う者もいなくなっていたため、耳に入ってくる声は自分以外にはひとつしかない。だが、そのひとつきりの声が、日がな一日お喋りに屋敷のことを仔細つまびらかに教えてれたため、屋敷で起こることはすべて伝わってきた。

 そろそろ腹を決めたようだなぁ、と生首が欠伸混じりに言った翌日。

 私は、屋敷の人達が最早用済みとなった私の扱いをどうするつもりか教えられた。

「不貞?」

「嫁いできた若い娘は、家を空けてばかりの省みない夫のせいで心を病み、妖しに取り憑かれてしまった。姦通した男の首を切り、その生首を手元に置いて語りかける姿は、誰が見ても気が触れている。大人しくついてきてもらおうか」

 まさか首を浮気相手に仕立てあげられるとは思うまい。首しかないのにどのように姦通するというのだろう。そもそも夫である双が持ち帰ったものだと丁寧に説明するまでもなく、荒唐無稽なでっち上げで私を排すつもりであることは明らかだった。

 流石に自分が浮気相手にされるとは思っていなかったのか。押し入ってきた家の者達の口上が終わるやいなや、それまで人前で口を利いたことのなかった生首が、堪えきれなかったように笑い出した。

「ば、化物!」

「腐敗臭もしないからおかしいと思っていた! やはり、それは妖しだ!」

「その娘は取り憑かれた! 早く縛って、陰陽寮に早馬を」

「拝み屋ではだめだ。陰陽師にきてもらわなくては」

 口々に恐れを語りながら、手がこちらへと伸びてくる。美しい生首は、自分に触れようとした手の主に、笑顔を見せた。

 魂を吸い取られそうな、美しく、妖しい魔性の笑みだった。手を伸ばしかけていた女中が、呆けたように顔を赤らめ、動きを止める。その一瞬の隙を、化生は見逃さなかった。

「おぬしらごときが、この我に触れられるかよ」

 ぱっ、と花のように赤が散った。血飛沫だと気づいたのは、遅れて上がったぎゃあっという叫び声によってだった。

 部屋はにわかに騒然となる。悪戯げに目を細めた生首の舌には、噛み千切られた指が乗っていた。

「指が! 指が!」

「助けて、化物に殺される!」

「わはは。わははは。うるさいやつらだなあ」

 混乱の渦が取り巻いて、皆が混乱している間に、私は急いで行動を取った。

 定位置となった床の間の三宝台の上から生首を取り上げ、草履を突っ掛け、外へと走り出る。背後から怒鳴り声が聞こえたが、ここで捕まっては無事では済まないという直感に背中を押されて、振り返らずに走った。


 どうやら屋敷の人々は山狩りをすることにしたらしい。悟ったのは、屋敷の裏手に広がる山に逃げ込みしばらくのこと。遠くから徐々に近づく声の話を聞き取った生首が教えてくれた。

「山狩りとは、罪人扱いではないか。我をなんだと思っているのだ人間どもめ」

 実際に人の指を噛み千切っていたではないかと言おうか迷ってやめた。慣れない山中の夜闇を走り回って体力も気力も消耗していたせいで、口を開く気にならなかった。

「こまった。これからどうしましょう」

 太い木の根の上に座り込み、溜息を落とす。生首は膝の上に抱えていた。

 都育ちで物を知らない私にでいが教えてくれたところによると、山狩りとは村で殺人や盗人が出て山に逃げこまれた際に、村人総出で追い立てることを言う。耳をそばだてたでいが聞き取ったところによれば、夜も深いというのに、今も山中には篝火を焚いた男衆が入ってきているらしい。

「親兄弟はいないのだったか。行くあても?」

「あいにくと追い出された身ですので」

 ここでも追い出されてしまったと零すと、自分で逃げてきたんじゃないか、と呑気にどちらでもよい事実を訂正される。

「どちらでもよいことはないだろう。少なくとも、おぬしのその頭が考えて、おぬしのその細い腕が我を抱えて、その小さな足がここまで駆けて、それで今だ。いや意外だったな。おぬしはまた言われるがままにするかと思ったのに」

 現状を理解しているか怪しい愉快げな口振りの生首を見下ろす。誰のせいでと文句のひとつも言うべきところかとは思ったが、邪気のない人外を見ているとそのような毒気はすっかり抜かれて出てこなかった。

「だって、でいは死にたくなさそうだったから」

 物心ついた時からそうしてきたように、言われるままにするのもいい。自分だけならば。特に他に行きたいところも、したいことも思いつかなかったから、そうすることにも不満はなかった。

 けれどもそれは自分の場合の話であって、でいは無関係だ。生首の彼は、自分の足がないから逃げたくとも逃げられない。私が代わりに足となってあげるしかない。

 私の言葉が意外だったのか、生首はそれを聞くと、すっかり黙ってしまった。

 お喋りなでいが黙り、すっかりと疲れ果てた私も口を閉じたままでいると、周囲を取り巻く山中のざわめきがよく届いた。木の葉が風で擦れる音。不気味な虫と鳥の鳴き声。これからどうしようかと考える。

 慣れない山中を駆けてきたせいか足は痛み始めていたが、そうこう休んでいるうちに、はっとなったようにでいが急かした。

「人間どもがこちらへくるぞ」

 立ち上がってまた山の奥へと進んでいく。獣道もない生い茂った草木の間を掻き分ける。墨を落としたような暗闇だったが、両手に抱えた生首が不思議と白く光るようで、足元を照らしていた。どのくらい歩いたか。意識がぼんやりとして夢とうつつが曖昧になり始めた頃、ぽっかりと壁を抉る穴を見つけた。

「洞窟がある」

「獣が冬眠に使う穴か。少し休んだらどうだ」

 意外な気遣いの言葉に、でも、と躊躇う。来たことがないほど山深くに踏み入れてはいたが、いつ追いつかれるかもわからない。立ち止まっている余裕はないのではと思ったが、「それではじきに倒れるぞ。今はおぬしの非力な二本足しかないのだし、使い物にならなくなったら困る」と生首がしきりに休むよう勧めてくるので、洞窟に入った。

 壁と壁の間にくぼみを見つけ、腰を下ろすと、足の裏がじんじんと熱を持ったように痺れた。

 そうしてほっと息を吐き出して。生首を抱え込んだまま、いつの間にか意識はうつらうつらと船を漕いでいたらしい。にわかに頬を照らす炎の熱と、引き戻された意識が間近に吐き出さる生臭い息を感じ取った。

「おぉ、これが本物の武家のお姫さんかぁ。見かけるたびにこの生っ白い肌に触れてみたいと思ってたんだ。里にゃあこんなおなごはおらんでな」

 手足が動かない。気づけば上にのっぺりとした重たい影がのし掛かっていた。興奮したような荒い息遣いが首筋に触れる。口振りから、村の男衆だとわかった。押し倒された衝撃で膝から転がり落ちたのか、生首の姿が見当たらない。

「まだまだ子供じゃねえか。わしゃもちっと肉付きがなけんと」

「ンだ。なら、おめぇは見てりゃあいい」

「そりゃあねぇべ。こない上等なおなご、こんなことでもなけりゃ一生触れねぇや」

 剥き出しの岩壁に押しつけられた体が痛む。禿げかかった男の姿は影になって真っ黒で、視界の壁となって周囲を見回すことができない。

「でい」

 ふと、僅かに男達の体の向こうに落ちた生首が見えた。乱暴に払い除けられたのか、土の上に転がった生首は斜めに倒れていたが、その瞳は開いている。光は男達の持ち込んだ篝火の仄かなそれしかなかったが、まるで夜闇の中の月の如く、でいの眼球は金色に爛々と輝いていた。

 不意に、歌が聞こえた。

 男達も声を拾ったのか、動きが止まる。

「なんだぁ?」


 でいだら きんきら

 まなこひかりて

 でいだら でんでら

 まなこひかりて

 でいだら でてくる

 でんでら でい


 べえ、と赤い舌が覗く。

 でいの開いた口。麗しい顔で、甘い妖しい眼差しで、誘い寄せた女の指を食い千切った口。

その中から、女の肥えた白い指が顔を出す。口の中に残っていたそれが、ぺ、と地面に吐き出された。

「さ、おいで。化生共」

 ゆっくりと唇が言葉を形作る。歌の出所が生首の口だと気づいた男達は、にわかに騒然としかかっていたが、今は縫い止められたように動かない。魔性の口から言葉がまるで実体を伴って吐き出されると思っているかのように、取り憑かれた様子でその口を見つめている。地面からにわかに湧き出してきた、赤黒い泥にも気づいていない。

「おぬしらの餌がきているよ」

 金色の眼球が瞬く。甘い声の最後の言葉が舌の根を飛び立った直後。それを合図とするかのように、水飛沫のように泥が洞窟に溢れた。


「呑み込む前でよかったなぁ。血は抜いてしまったが、柔らかく新鮮な女の肉は、やはり撒き餌として優秀だ」

 生首が、口の中をもごもごと動かす。やがて出てきた舌の上には、引っ掛かっていたと思しき、爪の一欠片が乗っていた。

 狭い洞窟内に溢れ出した土塊は、男達を呑み込んで消えていた。

「どうだ。首だけであろうが舌さえあればこういうことも、」

 でいの言葉が途切れる。変わらず洞窟内には夜闇が閉じ込められたように暗かったが、金色に光る人外の瞳は光景をはっきりと映し出しているようだった。

火の消えた篝火を灯していた木の棒が、真っ二つに折れている。騒ぎの拍子に折れて、断面が鋭い刃先になった木の棒の先が、これまた騒ぎの最中に運悪く私の腹に刺さっていた。

「これはしまった。当たり所が悪かったかぁ」

 体のない生首は、首を捻るような動作で跳ね起きると、ぴょんぴょんと兎のようにこちらへとにじり寄ってくる。

「傷が深いなあ。ずっぷりといってしまっている。人間はこの程度でも死ぬのだったか?」

 これは困った、これは困った、とうろうろと顔を揺らす度に私が切り揃えた艶やかな黒髪がしゃらしゃらと揺れる。

「どうしよう。おぬし、死にたくないか?」

 幼子が死にかけの虫を観察するように、覗き込むでいの眼差しには邪気がない。だくだくと腹に開いた穴から血が流れ出て、口を開くのも億劫だった。小首を傾げると、金色に爛々と輝く瞳が丸くなる。

「そうか。わからないのか」

 そうか、そうか、とつぶやいて、少し考えるように黙り込む。

「なら、我の器となるか」

 いよいよ視界が霞みはじめる。膜が張ったような瞳に、暗闇の中、金色に光る眼が滲む。その光は、じいっと一心に私を見つめているようだった。

「おぬしは蕩けるように美味いだろうから死ぬのなら食いたいが、我は恩を知らぬ獣の如き化生ではない。おぬしが事切れる前に我が中に入って器となれば、体は生き伸びる。おぬしは良くしてくれたから、百年は気をつけて壊さぬよう大事に使ってやるぞ」

 生首の口振りは、先程女の指を噛み千切った時とも、男衆を誘い込んだ時とも違い、魔性の響きはなかった。何故か真摯に尋ねているのだとわかる。私はぼんやりと考える。体は生きるということは、今こうして考えている私は死ぬのだろう。悩むことがあるかどうかを悩む。

ふと、以前お寺の僧侶がしていた説法を思い出した。煩悩すなわち菩提。悟りは悩みの先にあるゆえに、悩む自分がいることこそが、極楽への往生に繋がる。悩み、煩悩、死にたくないかどうかわからないという悩みは、それこそが死にたくないと思う心なのだろうか。

「死にたくないなら、名を渡せ」

「……名……?」

「『はつ』という名はどう書く」

 きんきら、きんきら。暗い闇夜に月がふたつの光を放つ。

 息が熱く、早く、小さくなる。途切れかけの命を間近に感じながら、私は小さく息を吸い込んだ。

「……『初』」

 舌の上に出した名前を、ぺろりと舐められ、食べられて、骨の髄まで吸われたような感触があった。

それを最後にふつりと意識は闇に沈んだ。


 目が覚めたら双がいた。

 私の嫁ぎ先の夫である。まだ年若い少年は、あまり屋敷に帰らないせいで見るごとに少しずつ背が伸びている気がする。

 目を開いた私を見て、「おう、起きたか」と八重歯を見せて笑う。寝かせられていた上等な綿布団から起き上がり、その顔をまじまじと見つめたが、やはり夫に違いなかった。

「生きておられたのですか」

「おお。便りの行き違いでもあったのか、戻ってみれば死んだものとされていて、どいつもこいつも幽霊でも見たような顔をする。おまえがいないからどうしたと聞けばしらばっくれたが、おまえの腹ン中の声に洗いざらい話されて、いよいよ白くなっていた」

「腹?」

 言われて見れば、確かに腹部に布が巻かれていた。手当てを施された痕がある。触れてみたが、傷口はすっかり癒えて塞がっており、「私はどれほど意識を失っていたのですか」と尋ねたら「三日程」と双は答えた。

「ちょうど山越えをして戻る途中だったおれが、洞窟に倒れているおまえを見つけた。なにやら腹から出血して、傍に生首が落ちていたから、もしやこれの仕業かとぶすっとな」

「ぶすっと」

「おれの槍で突き刺したら、そのままぐちゃぐちゃの血のようになって、おまえの腹の中に沈んでいった」

「腹に」

「化生に取り憑かれたかと思い、陰陽師のもとに連れていこうとしたら、腹から声が聞こえてきやがる。事情を話すというから連れ帰り、おまえが眠っている間に話を聞いた。おまえ、おれが死んだと思われたせいで、苦労かけたな」

 伸びてきた手に無造作に頭を撫でられ、髪を掻き回される。やはり夫というよりは兄のような存在を思わせる手付きに、黙ってされるがままになりながら、自身の腹を見下ろした。

「でいは。ここに、私の腹の中に?」

「うん。我ならここだぞ」

 名を呼ぶと、腹の中から返る声がある。流石に仰天して固まった私に、双が「ややができちまったなあ」とからからと笑った。

「器にしたのでは。どうして、」

「いや、我もそのつもりだったのだが。おぬしの体に入ろうとしていたら、我の首を斬ったそこな男が通りがかってまた問答無用で我を斬りおった」

そのせいで、器を乗り換えるつもりが不完全に魂が癒着して、ひとつの器にふたつの魂になってしまったのだと生首でなくなったでいが溜息交じりに語る。器を変えたでいは、今はそれこそ赤子のように私の腹の中に留まっているという。

「我や、化生共のような魑魅魍魎は常世より生まれ出ずる。人の世である現世とは黄泉路で繋がり、日が隠れ暮れかけた大禍時おおまがときに災禍として現るる。女の胎もまた、黄泉路に繋がる場所だから。妖しが潜む異界としてか、なんだか入れてしまった」

「出て行けと言ったが、おまえの腹を裂かねば無理だと言いやがる」

 だから諦めて放っておいたのだと、あぐらをかいた上に肘をついた双が言う。

「おれとおまえの子もまだのうちに、なんてことをしやがるんだと思ったが、聞けばおまえが助かったのはそいつのお陰だと言う。ならあまり無下にするのもなあ。ともかくおまえの話も聞いてからにしようと目が覚めるのを待っていたのに、おまえときたらぁ、三日も起きずに」

「だから、言っただろう、聞かん童だなあ。もう初は普通の人間とは違うモノになったのだから、なんと言おうと死ぬまでは離れられぬと」

「でい、双さま」

 呼びかけるとふたりともぴたりと口を噤んでこちらを見た。実際に向いた視線は一対だったが、何故か腹の中、でいもまたこちらを見ている気がした。あの金色の瞳で、じいっと。

「どうしてこんなにお屋敷が静かなのですか?」

 双が黙り、腹の中から声が上がる。

「我の力が体に満ちているから、わかるのだね。今のおぬしは我と同じものを感じ取り、我が見聞きするものを聞くことができる。まさに我が子と母の如く、一心同体というわけだ」

 確かに今の私は、意識が途絶える前とはあらゆるところが異なっているようだった。耳をそばだてれば遠くの物音も聞こえ、人の匂いも嗅ぎ分けることができる。私が嫁いだのは豪農の屋敷だった。常にたくさんの使用人がいてざわめきに満ちていた屋敷の中には何の音もしない。

「おれじゃないぞ。おまえのややが、腹が減ったと鳴いて生気を吸った。やめろと言っても聞かんし、ばたばたと倒れて半分程減り、もう半分程は逃げ出した」

 無意識に腹に手をやる。一見今までと変わった様子もない真っ平らな腹越しに、魔性の声が聞こえた。

「母を思う子は祟るものだ」

 私を殺そうとは思わなかったのか、と双に尋ねる。

ここに私の居場所はなかったが、双にとっては血の繋がった親兄弟のいる生家である。ご家族を壊してしまいましたか、と重ねて問うと、双は片肘をついたまま、仕方なさそうにかぶりを振った。

「そうは言うが、もともとおれはおまえを案じて帰ってきたんだぞ。おまえに結んでもらった紐が解けたから、おまえに何かあったのではと思って、急ぎ山を五つも越えて。家族というが、おれにとってはおまえもそうだ。おれに申し訳なく思うなら、これからはおまえが他の全員分、おれの家族になれよ」

 私はなにか恐ろしいことをしてしまったのではないかと考えた。だが、双もでいも平然としていて、相対していると何が悪かったのかさえよくわからなくなってくる。

 嫁いできてから一度も夫婦のような触れ合いはなかったが、双は私を妹のように可愛がってくれていた。そして今、血の繋がりもない自分のことを家族と呼んだ。

「それに、おれはそろそろ都に居を移そうと思っていたんだ。聞いて驚けよ、戦で武功を挙げすぎて、大名のみならず朝廷までもから声がかかった。おまえを連れて行くつもりだったが、身軽になってちょうどいい」

 そちらが双にとってはより重要な本題なのではないかと思ったが、機嫌良さげに抱き抱えてくる双と「我もいるぞ」と腹の中から存在を主張するでいを、私の家族と呼べるのなら、それは嬉しいことのような気がした。

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