復讐を求めて
「うわああああああああッ!」
端を発して出たのは喉が潰れんばかりの叫び声であり、目の前に転がった一つの眼球が、目の前に存在する壁の染みが最愛の、大切な──姉、セナであることを理解することを拒んだ。
それでもそうだとしても、この現実は揺るぐことがなくしっかりと目の前にある。
「姉さん! 姉さん! セナ姉さん──ッ!」
必死で散らばる姉さんをかき集めるが返ってくるのは肉同士の擦れ合う音ばかりで、いつもの間の抜けたような優しい声は返ってきてくれなかった。
嗚咽が僕の口から漏れ出て、視界が歪んで真っ赤な床が波打つ。
手が血で赤く染まっても、どれだけ泣いたとしても姉さんは帰ってきてくれない。
だって、僕の背中で姉さんは潰れて死んでしまったんだから。
「ああああああああああッ!」
大声を上げて崩れ落ちた僕は世界を恨んで、恨んで、こんな世界嫌だと声を上げて否定した。
いつも助けてくれた姉さんが、いつも甘やかしてくれた姉さんが、いつも笑いかけてくれた姉さんが──。
こんな死に方あんまりだ。
『おいおい、どうしちまったんだ?』
死だまりの中、散乱したゴミを避けて通るかのように僕の隣に立ったアーム・クランチが呆れたような声で僕の顔を覗き込んでくる。
そんな彼の顔をぐしゃぐしゃの顔で見上げる僕に鼻笑いで気にも留めない様子の彼は言った。
『綺麗に潰れちまったな。人間同士でこうも違うかね』
滴る姉さんの血だまりが靴底に付いたことを気にしたのか、汚れていない壁に足を擦りつけて汚れを落とす。その姿に、その彼の姿に僕は言い表せない怒りが噴出し彼に掴み掛っていた。
「ふざけんな! そんな風に姉さんを扱うな! お前が……お前がちゃんと守ってくれなかったから、こんなんになっちまったんだぞ!」
『な、なんだてめえ! 離しやがれ!』
驚いた様子を見せるアーム・クランチは狼狽しているようであったがその表情は変身している為に容易に読み取れない。
せめて彼に罪悪感があれば、謝罪の言葉でもあれば姉さんは──僕は救われた。
だが、彼は、アーム・クランチはセナ姉さんをゴミのように、ただの汚れのように扱った。
血の気が引いていた体に熱が急激に戻って、頭が痛いくらいに血が上って絶叫していた。
「返しやがれ! 僕の家族を!」
全力で拳を振り上げて彼を力任せに殴りつけていた。拳は悲鳴を上げて、皮膚が裂けて新鮮な血が溢れ出てくる。
途轍もなく痛くて、声から苦悶の声が漏れていた。弾丸をもはじき返す装皮に生身の人間の拳なんて脆弱なものはすぐに壊れてしまう。それでもそんなことは些細な事だった。
殴らずに入られない、殴り続けなければ気が済まなかった。
『っ! いい加減にしろ、おめえが背中で潰したんだろ!』
鬱陶しくなったのか掴み掛る僕の手を振り払って突き飛ばす、ブチブチとお腹から嫌な感覚が伝わってくる。アーム・クランチは動揺しているようであった。
善意であろうともそれが真に誠実な心から行われる行為であるのなら、諦めは付いた。
しかしアーム・クランチの態度はまるで遊んでいるかのような軽薄で、そして独善に満ちた態度の様であるのだから。
この怒りは間違っているか? この憤りは埒外か? そんな身勝手な正義であるならやらないでくれ。
姉さんの眼球がギロリとこちらを見ており、僕の息を切らした激しい深呼吸にコロリと転がってその青い瞳が指示した。
『当たり散らすのも、よく考えてからにしろ。てめえの管理不足だ』
僕はその視線の先のモノを掴み取って、アーム・クランチに向けていた。
『おい、おいおいおい……それ向けちまったら、お前、殺すぞ?』
震える手で悪党が握っていた拳銃をアーム・クランチに向けていた。
こんなもの使い慣れていない、持ったことも殆んどない。それでも少なくとも拳よりも少しは彼を傷つけることは出来る武器だ。
『そいつ置けよ、坊主。さあ──』
指で地面に置けと指示をしてくるが僕の腕はしっかりと拳銃を支えて、その銃口を向けて──。
パン、パンパン、パン。
腕に抜けてゆく小気味好い衝撃と共に放たれる弾丸が彼の装皮に着弾して火花を散らせる。プチプチと下腹部が悲鳴を上げる。
金属的な甲高い金切り音が響くが、その外皮には僅かな後だけが残るばかりで傷と言う傷はついた様子がなかった。
『そうかい。じゃあ死ねよ』
拳を振り上げた時、最後に一矢を報いるために引き金を引いた。
パン、と言う銃声が吠え、弾丸が腰に装着された器具に着弾して器具が弾け飛んだ。
腰からその器具が外れた途端、鎧甲冑のようなその攻撃的な姿が、糸が解けるようにボロボロと装皮が剥がれ落ちた。
これで彼を殺せる。
そう思ったが、それ以上に僕の体の方が先に限界を迎えた。
グチッ、という異音が聞こえた瞬間、腹からボトボトと音を立てて腸があふれ出してくる。
何事かと思い見下ろせば、口からいきなりゴボッと音がなり血の塊が滝のように出てくるではないか。
「え? ……えっ?」
理解が追い付かなかった。もうすぐなのに。
アーム・クランチも急に腸を零れさせ、血を吐いた僕に引いた様子で後ずさった。
目の前に転がってくる妙な器具に腸が混ざり、僕はそれを必死に戻そうと手でかき集めるが、触れたと同時にその感触は目の前を真っ暗にさせた。
眼を剥いて、前のめりに倒れたて死体の中で僕の流す血と、他人の血が混じり合ってもうどこからがどこが僕のモノなのか、どれが僕の体なのかも分からなかった。
血の流れに流され、僕の指先にぶつかる姉さんの眼球が愁いの視線をこちらに向けていた。
悔しかった。この怒りを抱くことが間違いだったのか。
こんな理不尽は裁かれるべきなのに、こんな不条理は断罪されるべきなのに。
口から流れ出る血と共に目尻より溢れる涙は鼻先を伝い落ちる。
許さない──。ピーピーと機械音が聞こえる。
赦さない──。血肉が溶けてゆくような感触がする。
ゆるさない──。視界を覆う赤黒い管が僕を包んでゆく。
『裁かれろ、僕の手で』
………………
「どうなってんだよ……なんでお前が変身出来てんだよ!」
アーム・クランチが声を張り上げて、目の前の光景を否定した。
何とも悍ましい風景であった。辺り一面に転がった死体が、血肉が、荒れ狂う竜巻のように血風血河の渦巻きを見せ、病院という舞台がさらにその風景を地獄と見せていた。
嵐の目の中に立つ、皮膚を剥がれた筋肉繊維を丸見えにした怪物、その顔は先ほどの坊主であったがその顔は恐ろしい位に変容し、『地獄の悪魔』としか形容のしようがない怪物と姿を変えた。
嵐が収まりと同時にむせ返るような湿度に満ちた熱気がアーム・クランチに押し寄せ、その全容が見える。
赤々とした筋肉が精密に編み込まれた体、所々黄色味がかった骨が顔を覗かせ刺々しい角を見せている。腹部は伽藍と空洞で、内蔵物の一切が姿を消していた。頭蓋には骨が露出しその表面を赤黒い血管が張って脈動し眼孔は少なくとも目は収まっていない、そして額にあるその体とは対照的な青色の一つの目がギロリとアーム・クランチを睨んでいた。
『──お前は、この俺が裁く』
鋭利に伸びた指がアーム・クランチを指さした。
度を越した恐怖で、今までにないくらいに足が震える。目の前にいるヤツは民間人だったはずだ。
人の皮を被った悪魔なのだとしたら納得してしまうほど、今こちらに来ている怪物は人外じみている。
最大の武器である変身器具を失ったアーム・クランチであったが、その体は少なくともヒーローと呼ばれるように民間人よりも頑丈に出来ている。弾丸は防げずとも、金属バット位ならフルスイングでもへし折るくらいの頑丈性だった。
ファイティングポーズをとって迎え撃つ姿勢を示したアーム・クランチだったが。
「ぐッ……ギャッ!」
奇妙な声が漏れてしまう。それも止む無しであった。
突如として目の前より消失した『悪魔』が顔を掴んで一直線に押してくる。
尋常な筋力ではない。日頃のウェイトトレーニングで百キロ近いアーム・クランチが浮き上がり、その態勢のまま押して走っていたのだ。
腕力も、脚力も、こいつの全身が力で溢れている。
力任せに片腕でアーム・クランチを持ち上げ、走る先にある壁に激突させる。
「──ゴッ!」
衝撃に吐血してしまう。しかしその驀進は止まることを知らずに進む。
激突の衝撃でヒビの入ったコンクリの壁が音を立てて崩れ、突き抜けた。その力の任せるがままに次々と壁を突き破り突き進んでゆく『悪魔』がその手を離したときには、アーム・クランチの戦意とうに消失していた。
背骨が折れて、全身から血が溢れ出て頭蓋骨の一部は崩壊し頭の形は歪に変形している。
手足は明後日の方向に向けて折れ曲がり、ヒューヒューと風の鳴くような息遣いで何とか立ち上がれているのも偏にヒーローという『人種』の賜物であり、その体のつくりからして通常の人間の構造とは隔絶されたモノだった。
だがそれでも、この目の前の『悪魔』には太刀打ちするには脆弱なものだった。
「ま”、ま”て、俺が、俺が悪がっだ。ゆるじで──」
容赦のないその悪魔がアーム・クランチの襟首掴んで引き摺る。
その先はどこでもなくただの病室で、窓を殴り割ったそいつはアーム・クランチを突き出して宙釣り状態で人とは思えない声でいう。
『お前の罪を死んで詫びろ──』
ふと目線がそいつの腰に伸びた。ひどく歪にゆがんだ器具が脈動している。
その器具には見覚えがあり、そして手に馴染みのモノであった。
「お前、ビーローだったの、が?」
『俺はお前を殺す奴だ!』
その手が僅かに緩む瞬間に、アーム・クランチの悪運が味方をした。
真っ逆さまに地面に向かって落ちてゆく、走馬灯も何も見ないただ世界が逆転して落下してゆく。
そんな時に不意に体が浮き上がり、空へと舞った。
『きったな? アーム・クランチ?』
「スガイ・ライド──」
周囲の風が優しくアーム・クランチを包んでくる。流線的なフォルムをした水色の装皮が太陽に輝きまるで湖の水面のように空の青色に溶け込んでいた。
同じヒーロー。ファイブ・ヒーローズの一人、『スカイ・ライド』だった。
「どうじてここにいる」
『どうしてもなにも? 装備のビーコンが途切れたから急いできたんですよ?』
妙な疑問形の語り口でつらつらと言うスカイ・ライドの目が嘲るような色を含んでいることをアーム・クランチは見逃すことはなかった。
その真意を一瞬にして読み取ったアーム・クランチは焦ったように病院を見て、後悔したような声を漏らし、そして安心したような様子であった。
「ぐっそ、罰点だ」
怨嗟の声を上げて、こちらを睨む『悪魔』から遠ざかる事に安心したがこの先に起こるであろう会議に大きなため息が漏れた。
………………
『GAAAAAAAAAッ!』
最早人の声とは程遠い声で吼えたジャックはその体に満ちる万能感が体を駆け抜けたが、それを上回るように怒りが溢れ、気が狂いそうになっていた。
この止めどなく沸き上がる感覚に体がどうにかしてしまいそうだった。
腕が膨れ上がるような、足が伸びるような、頭が割れそうな、腹の中身が消えたような。
奇妙で奇天烈な感覚が全身を駆け巡り、無限に満ちる気力が体を動かさずにはいられなかった。
誰もいないのに、誰も相手にしないのに体を振り回して医療器具をひっくり返してベットを蹴飛ばして、扉を砕いて暴れまわった。
こんな事をするのはもう辞めたのに。何故だろうか、こうしていると気分がよかった。
何かを壊すと少しずつスッキリしてゆく。
『GYAAAAAAAAAAAッ!』
叫ばずにはいられなかった。悲しさからくる声でも怒りから来るでもない、ただ叫んで憂さを晴らすことで満たされる感覚。
意味のない破壊で生まれる楽しさに、目の前が明滅する。
しかしその原因だけは忘れることなく、空を飛んで逃げ去る怨敵の後ろ姿に悔しさのあまりに絶叫している。
地団駄を目一杯踏んで、その力のあまりに床のタイルはひび割れ、捲れあがっている。
壁を一心に殴りつければ壁が悲鳴を上げて微々割れる。
もうこの感覚を理解するのもやっとな状態な時に、その声が聞こえた。
「ひどく荒れてるじゃないか。青年」
爽やかな笑顔で、歩み寄るその姿はまるで舞台衣装のようなふざけた格好であった。
シンプルな柄のライダースジャケットで下はピッチリとしたズボン。背中には深紅のマントを付けていた。
その顔は争いを好まないと言わんばかりの表情で、両手を広げてまるでハグでも求めているようであった。
「君のような者は初めて見るね。新人くんかな?」
演技でもしているような言い方で、その仕草もまるでとってつけたような嘘じみた雰囲気すら醸し出している。
見覚えはあった、それどころか毎日のように見えている。
テレビCMでも、雑誌でも、ネットトピックスでも毎日のようにその貌は見ている。
ヒーローの頂点が、全人型生物の頂点が目の前にいる。
ファイブ・ヒーローズのリーダー『シヴァルド』だった。
「さあ、強盗の犯人ももう死んでいるようだし、事件は一件落着だ。早く行こう、マスコミが待っている」
ニコニコとした表情でそう語るシヴァルドは、敵意も何も感じさせずに僕の隣に立って肩を叩いた。
きっと彼の言う通りなのだろう。外ではマスコミが人だかりを作って、フラッシュを焚いている筈だ。犯人たちは実際に僕の目の前でアーム・クランチに殺されて事件は解決している。
だが、だがしかし、僕の中では『一件落着』はしていないのだ。
『GAAAAAAAAAAA!』
咆哮を上げてその腕を払いのけ力任せに近くのソファーを引き裂いて、その文言の理不尽さに、暴れて、吼えて、慟哭した。
すべて丸く収まっているわけではない。
アーム・クランチの不注意でセナ姉さんが死んだんだ。壁にへばりつく羽虫のように、見るも無残に、見るも惨たらしく、潰れて死んでしまったんだ。
こんな事、許されるのか。いいや許されてはいけないのだ。
鉄槌を、正しき鉄槌をあの男に下さなければこの気持ちの僅かでも救われている。だがそいつは逃げた。
両腕を振り上げて、地面を渾身の力で叩きつける。
あまりにも強い力に叩きつけた一点から周辺のタイルが剥がれ飛んで隕石でも落ちたかのようなへこみが生み出された。
瓦礫の暴風にシヴァルドが腕を軽く振って、触れずに瓦礫を払いのける。
大きなため息をついて、指を床に向けた瞬間に──。
『GA──』
見えない力に押しつぶされた。まるで頭上からとてつもなく大きなモノに敷き潰されたかのようなそんな重みが僕の上から圧し掛かってくる。
「少し落ち着こうじゃないか。あんまり大きな音を立ててはヒーローの名が廃るぞ?」
全身の筋繊維が千切れたのか、力が入らずにだらりと呆けてしまう。
理解が追い付かないし、何より俺は今どうなっている? 。
歩み寄るシヴァルドが僕を立たせて、僕の腕を肩に回して引き摺って歩くように外へと向かう。
正面玄関を出た途端にフラッシュの嵐が僕の目を瞬時に潰してくる。
マイクが我先にと向けられた、様々な質問が一斉に飛び交ってくる。
「シヴァルド。今回はどのような事件で!」
「被害の状況をお教えください!」
「そちらの方は新しいヒーローなのですか? お名前を!」
シヴァルドは笑顔でその人だかりを分け入ってゆく。まるであの惨状を置く面にも出さない様子は流石ヒーローと言うべきなのか。
スッと顔を伏せて、僕の耳元で囁いた。
「──笑顔で。手を振って」
顔を上げたシヴァルドは屈託のない笑顔でマスコミに向かって手を振る。
どういった心境でこんな対応ができるのか。あの地獄で、あの事態で、人が死んでいるのに笑って答えるのか、僕には理解できなかった。
ふと目線が僕の腰に落ちて、何かを理解したのかその表情をまた笑顔の仮面で覆い隠した。
「皆済まない。彼は新人で披露しているんだ! 今日はここまでにしてくれ!」
僕を労わるような言い方で、OSE社の待機装甲車両の背部扉から僕を乗せてその向かい側に座ったシヴァルドは息をついた。しかしながらその顔からは笑顔が消えていない。
「まったく、マスコミも困ったものだ。──さてと、君は誰だい?」
徐に腰の器具に手を掛けたシヴァルドがそれを力任せに引きはがす。
ブチブチと纏わりついた血管が千切れて、鮮血が舞い上がったそのハンサムな顔が僕の血で染まった。
器具が引き離された途端に全身の感覚が正常に戻り、肌色の皮膚が腰の器具の位置から全身に広がるようにしてまた僕を包み込んだ。
「が、がっ……はっ──」
まるで息ができない。肺の位置がおかしい、腹にあるような感覚だった。
脂汗がどっと体中から噴き出して、とうとう僕の意識がぷっつりと消えしまったのだ。