絶望との共存
平穏な日々をおくれているのはヒーローがいるからだ。
英雄的な行為を実践できる、人ならざる力を持った人々が悪意に対決して、僕たちのような弱い人々を守っているからだ。
ヒーローたちは専用の装備でその英雄的な姿に変身して、僕たちの思いもよらない人命救助を行う姿は勇敢で、荒々しく、そして大胆不敵に僕たちを救ってくれる。
様々な能力で、誰もがしり込みしていしまう窮地を撃ち砕き、踏破する佇まいは子供たちだけでなく大人たちも熱狂させ、ヒーローとはまさに世間の羨望の的、「アイドル」だ。
そんな、ヒーローたちの中でもひと際輝きを見せる五人の英雄がいる。
──ファイブ・ヒーローズ。
その者たちの力や功績は他の者たちを引き離しそして牽引する道標だった。
途轍もない剛力と膂力であらゆる不可能を握りつぶす剛腕ヒーロー『アーム・クランチ』
周囲の空気を操り空を高速で駆け颯爽と現れる『スカイ・ライド』
雷を操り、雷鳴とともにすべてを粉砕する『サンダー・ロード』
あらゆる生物にその姿を変えて、敵地に潜入して生還する『シェイプ・オールド』
そしてそれらを束ねる最強のヒーローで、全てのヒーローたちの頂点。徹底的な攻撃力と徹底的な防御力、そして極めつけはその超能力であらゆる状況を打開する存在。『シヴァルド』
彼らが現れて世間は大きく変わった、飲料水のラベルには彼らの笑顔があり、銀幕の映画スターとしてその舞台に立ち、音楽や芸能事には彼らは必須の存在だ。
正義の顕現。誰もが待ち望んだ絶対正義に。この町の『オーロヴィル・シティ』の街は守られている。
………………
「経過も良好のようだね。傷跡ももう全然見えないよ」
オーロヴィル・シティ中央病院の診察室で、僕は服を捲り上げ腹部を大きく先生に見せていた。
聴診器が押し当てられるくすぐったい感覚で僕は身をよじってしまった。
「アネラさん。お薬はきちんと飲んでます?」
先生は聞いてくる。
「ええ、忘れずに」
「また事故しないでくださいよ。御職業はバイク関係? ツーリングでも?」
「ええ、姉さんと」
僕は素直に答える。僕は各地をバイクで回ってそれをブログに上げて日金を稼ぐ生活をしている。
不自由はない、定職ともいえない職業だがそれでも生きてはいける。
「あんな大きな事故。私としても久しぶりでしたよ。お話ししましたっけ? アネラさん、ここに担ぎ込まれた時腸が半分千切れて飛び出したてたんですから」
「あんまり気分のいい話じゃないですね。でもへそ曲がりになった笑い話にはなります」
僕は笑って見せる様子に医者先生は安心した様子であった。
こんな事になってたの数か月前の話だ。
姉のセナと共に叔父の家のあるオーロヴィル・シティを走っている最中にトラックとの衝突事故に、姉は足を失い、僕は姉のバイクに絡まる形で数メートルを飛翔して割腹することになったのだ。
バイクは全損して、僕たちも重症だった。
ふつうそんな事になってしまえばひと時を争う事態だが、オーロヴィル・シティは最先端医療が発達していることもありすぐに培養臓器の移植手術を受ける事ができ一命をとりとめたのだ。
「あんな状態の人はそうそう担ぎ込まれないよ?」
「でしょうねえ」
僕は腸のすべてを移植して最新の再生医療をふんだんに使って、退院を今日許されて最後の検診を受けている最中だ。
「姉さんの足の具合はどうなんですか?」
「リハビリに手こずっているみたいだけど、長くはないよ。すぐに退院できる」
「それならよかった」
くるっと回って今度は背中に聴診器を押し当てられて心臓の音を聞く先生は、念押しのようにいう。
「アネラさん。お薬だけは忘れずに飲んでくださいね。今は免疫適合の最中ですから。激しい運動も厳禁です、お腹がまた裂けることには、なりたくないですよね?」
僕は苦笑いで答える。
僕の腹の細胞の状態は非常に不安定なのだという。処方される薬は移植された細胞と僕の細胞の適合を促進させる薬効があり、こんな状態の僕を何とか原形をとどめてくれている。
医者先生が言ったように気分がいいからバスケットボールをしようだとか、あ、いけねえお薬飲み忘れとか、そんな事をすれば因果応報で、僕の腹は自然に裂けてまた腸を零れさせるかもしれないのだ。
そうはなりたくはないと思いながら先生は診察を終えて、軽い注意事項と、様々な説明をして僕は晴れて退院を許された。
僕はそのまま三階のリハビリ病棟へと向かって、目的の人物を探す様にキョロキョロと探す。
「ジャック」
「セナ姉さん」
どこか間の抜けたような優しい声色の呼び声の方向を見ると手すりにしがみ付いて歩行練習に精を出す女性の姿があった。
細い目で、ぽわぽわとした雰囲気が特徴的な人で僕から見ても姉さんは女性として見れば魅力的に思える。学生時代は良く男たちに絡まれていたが、俺という虫よけで良くその場をしのいでいたのを覚えている。
僕は姉さんが無理に車いすに移動しようとしているん姿に駆け寄って手助けする。
ゆったりとしたベージュのカーディガン姿で、栗色の綺麗な髪の毛が汗で肌に張り付いているのが身内であってもドキッとさせられる。
「ジャック、先生はなんて?」
「経過良好だって。今日から退院だ」
「そうなんだ。なんだか残念、ジャックと一緒に寝るの機会なんて何年もなかったのに」
残念そうにむくれる姉さんは車いす腰をゆっくりと落ちつけて愚痴ってる。
もちろんいやらしい意味でもない。姉弟のスキンシップで小さなころはよく姉さんに寝かしつけられていたから姉さんは僕の硬い頭の感触を恋しがっていた。
「変ないい方やめてくれ。──姉さんの経過はどうなの? 足の調子は?」
「うぅん、あんまりよくないかな。ジャックがいなくなっちゃうから夜が寂しいのです」
「いい加減弟離れしてれよ。ツーリングだって付き合わなくて良かったのに」
可愛らしくぷくぷく膨れてゆく姉さんの顔に、僕は少し心配になってくる。
僕がやっているツーリング旅だって、本当は一人でやる筈だった。しかし姉さんは大手企業の採用も蹴って僕について来たなのだから驚きであり、僕を溺愛しているのは僕自身からでも理解できた。
僕の家族はもう姉さんだけだし、こうして構ってくれるのはうれしいがどこかくすぐったい。
「一足先に叔父さんのとこに行ってるよ。バイクも見繕わないとね」
「私今度はアメリカンがいいなあ。ジャックはいつも通りのシュッとしたの?」
「スポーツタイプね。いや、費用の事もあるし今度は三輪にしようかと思うよ」
僕はそう言って、スマホの画面を見せて説明をする。
「これなら姉さんを後ろに乗せて走れるだろ? 二台全損は出費としてもキツイし、姉さんバイクの運転下手だからコケることもない」
「私だって少しはうまくなったんだからね」
リハビリを切り上げて、車いすを押して三階にある病室に戻る。病院の病床の都合で窓際の個室を宛がわれて快適と言える。姉さんを抱えて、ベットに横にするとふと懐かしむよう青色の瞳が細まり言い出す。
「ジャックも大きくなったね」
「なんだよ。急に」
「私を軽そうに抱えてくれて、男の人って感じ?」
「男日照りで弟に発情するなよ」
もう、と言って軽く僕の肩を叩く姉さん。本来ならもう家庭に入るにはいい時期に来ている姉さん、綺麗で自慢の姉で、婚約者もいたのにそんな事よりも僕を選んだのだから少しの罪悪感を抱えている。
学生の時は迷惑ばかりかけた。特にと言って誇れた特技もなく、就職からも逃げてその日暮らしの俺に付いて来てくれる姉の存在程僕の中での割合は日に日に増えてゆく。男女関係という意味ではない、家族として大切なのだ。
「ジャック、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「ジュース買ってきてくれない?」
ペロッと舌を出して、頼んでくる姉さんの顔に僕は苦笑してしまった。
………………
病院の一階のコンビニエンス・ストアで姉さんのいつも飲んでいるスポーツドリンクをカゴに入れ、僕自身の飲み物も手に取る。エナジードリンクのラベルにはファイブの一人『サンダー・ロード』がプリントされており、彼も常飲していると言う謳い文句がデカデカと書かれている。
やっすいうたい文句、と僕は言ってレジに会計に持ってゆく。
くちゃくちゃとガムを噛みながら「会計は?」と聞いてくる定員に僕は電子決済と言ってスマホの画面をレジにスキャンして会計を済ませた。
数ヶ月もこの病院にいれば検査の場所も、トイレの仕方も手慣れたものだ。
コンビニエンス・ストアを出て陽ざしが眩しく差し込んだ吹き抜けエントランスのテレビに映る、ニュースに目が留まる。
『きょう午前、オーロヴィル・シティ銀行の窓口で発生した強盗を、ヒーロー・エンターテインメント所属ヒーローのスチーム・フリーズが犯人を取り押さえたと、一部逃走を図り現在も──』
ファイブ・ヒーローズ、その元請けと言えばいいのか。オールスター・エンターテインメントのヒーローの輝かしい功績がニュースのトピックスを飾っていた。
ヒーローを語ればファイブは欠かせないが、まだ大々的に脚光を浴びていないヒーローもいる。いると言っても百人もいない数だが、それでも細々と活動する者たちもいる。その者たち、ファイブも含め英雄というコンテンツをすべて包括、支援、管理している会社が『オールスター・エンターテインメント《OSE》』だ。
世間はみんなOSEの商品、ヒーローに首っ引きだ。映画俳優はヒーロー、玩具もヒーロー、日用品もヒーロー。
ヒーロー、ヒーロー、ヒーロー。
一日で『ヒーロー』と言う言葉を使った回数を数えれば枚挙に暇がない。それだけこの街では彼ら認知され浸透して応援されている。
他の州から来た僕たちには縁遠いと思っていたが、こうして見ていると少し心のどこかでワクワクしている自分もいる。夢を与える者、悪を踏み砕く者が彼らなのだ。
と言っても彼らは天上の存在で、僕のような興味のない者たちにはエンターテイナー感覚で関わりがない。購買にも興味を示さないし、欲しい商品の宣伝人間でしかなかった。
エナジードリンクの蓋を上げて口を付けた時、微かに聞こえるサイレンの音が徐々に大きくなり、入口に車両が見えた。
あれでは歩道に乗り上げてしまうのではないかと思うほど速度を上げてドンドン近づいてくる姿は遂には手前に入口手前まで来ても速度を落とすことはない。
手にしているドリンクを落としても気にする余裕はなく、伏せて頭を抱えて蹲った。
「っ?!」
建物全体が揺れ動いたと錯覚してしまうほどの轟音と振動で、入口に使われているガラスが砕け散り破片が飛散して、瓦礫と悲鳴の混沌が病院のエントランスに一瞬で生み出された。
聴力が車の突進の爆音に耳鳴りで奪われ、甲高い音に視界も揺れている。恐る恐る顔を上げて、混乱する意識の中で周囲を確認する。
「────」
患者が必死な顔で逃げていく様子が見える、それと入れ替わるように入口に集まる警備達は腰に収めている拳銃を抜いて構えるが突如としてつんのめって倒れる様子が見えそれを追うように現れた覆面が片手に握る銃を倒れた者に向けて撃っていた。
銃? 銃──銃! 。
気が動転してすぐには状況を理解できなかったが、徐々に理解は追いついてくる。
──テロだ。
「──っ」
逃げる事が先決だ。戦おうとか、取り押さえようとかそんな事は頭の隅にも思い浮かばず、恐怖で震える足を抱えて、必死で、今の僕が出せる全力で逃げる事を選択した。
だが、思考の片隅に残っている道徳心がその足を病院の外ではなく、三階の姉の病室へと足が進んでいた。
「はっ、っは……ああっ!」
心臓がうるさいくらいに脈動し、その恐怖から足先から寒気が上ってくる。今すぐここから逃げなければならない事は理解できている。しかしそれと同時に姉さんを失うことも怖かった。
医者も看護師も、患者を非難させようとベットを移動させてんやわんやの大騒ぎになって廊下はひどい混雑であった。
人混みを掻き分けて、姉さんの病室に飛び込んだ。
「ジャック……! さっきの音なに!?」
「姉さん。テロだ! 早く逃げよう!」
顔を蒼白にして口を覆う姉は、おろおろとした様子であった。
車いすに手を掛けるが廊下の混雑を目にしている為にろくに動くこともできない。
外をちらりと見れば正面入り口に特殊警察部隊の装甲車両がこちらに向かっているのが見えるが、待っている暇はなかった。
荷物なんて後でどうにでもなる。肩に掛けたボディーバックを投げ捨てる。
「姉さん、背中におぶされ。逃げるよ!」
「う、うん……」
姉さんを背負って、急いで病室を出る。
喧しいくらいに病院内に鳴り響く警戒アラートの放送で、皆焦りを募らせている様子だった。
右も左も喧騒の声で何も分からないくらいで、僕たちも今できる事と言えばこの建物の安全な場所に逃げ込むか、ここから出ていくしかなかった。
正面はテロリストが入り込んでいて逃げるとしては論外、となれば裏から逃げるしかないのだ。
「ちょっと、ちょっと看護師さん。裏口ってどこだ!」
「いいからエレベーターに乗って! 早く!」
肩を押され、大型エレベーターへと誘導されるままに大勢の群衆に揉まれながら停滞してしまう。
人々の罵声が渦巻くエレベーターの入口は動けないベット患者が優先的に担ぎ込まれているようで、僕たちは動けずじまいでどうしようもなかった。
押され潰され、凄まじい熱気の中で僕たちは待機中にいた時に金切声を上げる一人がいた。
「やめろ撃つな!」
その声と共に、銃声が幾回も鳴り響きその群衆からは裂けんばかりの悲鳴と人の津波が僕たちへと押し寄せる。
とっさに伏せて姉の頭を抱え込んで、背中で守るように蹲った僕。
遠慮なしに背中にぶつかる人々の脚が痛みを感じさせたが、それ以上に人が次々と倒れていく気配が僕を襲い、人が身近で死んでいく事に愕然とすると同時に恐怖した。
全身が震えて止まらない。血の気が引いて体が寒い。そして『死』という未知の感覚に足から引きずり落されるような感覚に支配された。
姉さんは僕を強く抱きしめて震えて神に祈る言葉を言い続けていた。
銃声が鳴りやんで、人の気配が消えた時心のどこかで『もうダメだ』と思った。
この場にいるのは僕と姉さんと銃声を鳴らした犯人だけだった。
強く瞳を閉じて、せめて苦しみのない死が来るようにと祈っていた時だった。
僕の人生での最大の救いであり、絶望となる人物が現れた。
床を打ち抜いて、直接登ってきた英雄が。
切れ目で獣じみた雰囲気の男。その姿は恐れを知らず、自信がその勇ましげな表情から一心に感じれる程に圧倒するようなオーラが僕たちを押しのけるように放たれていた。
見せつけるようによくわからない器具を取り出し、腰に構えた。
「──変身」
その言葉と共に器具が音を鳴らしてその男の姿を変容させてゆく。
器具より伸びる血管か、それとも木の根のような赤黒い管が全身を覆い隠し、まるで虫の繭と思わせる姿に変わった。管は内側へと消えゆくように薄らぐと、それの姿を華々しく現した。
甲冑を思わせるような金属質な装皮が全身を固め、そして顔すらも周囲を威圧するような表情を浮かべた勇士がいる。
ゴキ……ゴキ……と僕たちにも聞こえるような拳の鳴る音が響き、拳骨が固められた。
「ヒーロー……、アーム・クランチが来てくれた……!」
意識もしていない言葉が口から洩れ、歓声すら上げようになる。
僕はゆっくりと立ち上がってこんな状況でも初めて笑顔が漏れた。
『成敗してやるぜ。悪党さんよ──!』
アーム・クランチは近くにあったソファーを悪党の一人に投げつける。
片腕で軽々と悪党へと投げる様子はまるで小石でも投げているのかと思うほど重さを感じさせないが、その重みはケタ違いであり、そして何より速度があった。
ボッ、という音と共に悪党の頸がソファーの脚に接触し潰れてしまった。
ファイティングポーズを構えたアーム・クランチが走り、悪党へと接敵する。
僕の隣をすれ違う瞬間に僕が邪魔だったのか、アーム・クランチが僕を押しのけた。
『邪魔だ!』
猛烈な勢いで僕は背中から壁に激突して意識を明滅させたが、その様子だけはしかりと見えていた。
悪党の迎え撃つ銃弾が雨のように撃ち込まれるが、その装皮は見た目の通りで鋼鉄のように固く弾丸は弾かれた。
力強くジャブが撃たれ、悪党の体を貫通する。
軽やかなステップ、無駄のない攻撃が次々と悪党を屠り、容赦なくその命を刈り取ってゆく。
悲鳴を上げる悪党の一人の顎にストレートが入り、漫画でもそうそう見ないであろう、首が数回転して跳ね飛んだ。
悪党の手から零れた拳銃が僕の足元に転がって来て、僕は咳き込みながらそれを確認した。
血で真っ赤に染まった拳と、悠然と立つその姿。英雄的行為、ヒーローとして問われる姿。
僕はそれを彼に見た。
──しかしそれは一瞬で奪われた。
『そこの生存者。血塗れだが大丈夫か?』
「え……?」
血塗れ? なぜ? 。僕は血を流すようなことはされていないし、弾丸の一発も受けていない。健常者のそれだ。
だが、血は確かに浴びていた。
後頭部からじっとりと胸元に向かって流れてくるどろりとした血が背中の全部を染め上げて。
撃たれた? そんなまさか、痛みなんて感じていない。なのに──。
振り返ってその後ろの壁には大きな血の染みがこびり付いており、そこには見た事ある服と、見た事ある髪の毛があった。
血で赤く染まったカーディガンが、べったりと栗色の長い髪の毛が、血糊で壁に張り付いている。
理解できないふりをしたかった。理解できなかった方がよかった。
壁に手をついてその染みに僕は叫び出しそうな感情を抑えて真実を否定しようとした。
だが現実は非情だった。
天井にまで散ったその肉片の一部が僕の頭に落ちてきて、そして悪党の落とした拳銃の隣に転がった。
それは眼球だった。
それはそれは綺麗な──真っ青な青色の瞳孔をした。
遂に僕の口からは絶望の叫びが漏れ出ていた。