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「ダメだ」
シェイナと同じ燃えるような赤毛に、緑の瞳をした二人の少年が並んで首を振る。次の週末にロンドンへルースと二人で行きたい、という要望は案の定、兄のエドワードとショーンによってあっさり却下された。
「その次の週末でもパーティーには間に合うだろう? その日は俺たちも大丈夫だから、それじゃあダメか?」
シェイナが兄たちにこうして我儘を言うことは少ないので、兄たちもなんとかロンドンに行けるようにはしてやりたいと思ってくれているのは分かる。だからシェイナもそれで妥協しようと思ったのだが、ルースは折れなかった。
「それじゃあギリギリになるじゃない。もっと余裕を持って用意しないと。それに、ロンドンなんて近くなんだし、何回も行っているんだから大丈夫よ。シェイナと別行動するわけでもないし。過保護もいい加減にしてよ」
第一、あんたたちとドレスを選ぶなんてゾッとする、とぴしゃりと言い放つルースに、思わず唖然とする。兄たちもシェイナのためとはいえ、ドレスが売られているような店に入るのはやはり少し抵抗があるらしく、黙り込んでしまった。
「……エリックが行くのはどうだ?」
「ちょっ、俺だってそういう店は抵抗あるんだけど」
今まで黙っていた金髪の少年が口を挟む。だが彼が意見を言い切る前に、ルースが反論する。
「エリックだって五年なんだから、それなら私たちだけで行くのと変わらないじゃない。だったら私たちだけで行っても構わないわよね?」
男女差別する気なのか、とルースが発案者であるショーンを睨みつける。兄たちに対してここまで強い態度でいられるのは、この学校の生徒では彼女しかいないのではないか、とシェイナは半ば他人事のように成り行きを見守る。
正直、シェイナの中でパーティーへの憧れは、昼間にキールたちと会ったときからかなり薄れてしまっているのだ。好きな相手が他の女の子と踊っているのを眺めるなんて、苦痛すぎる。もし、彼がマリアと付き合っていないのだとしても、自分が選ばれる可能性は無に等しい。彼に近づきたくて、真剣に打ち込めることを探したが何も見つからないし、外見も地味であか抜けないままだ。彼の存在は、あまりに遠い。
「ちょっと、談話室で険悪な空気出すのはやめてもらえる? 揉め事は余所でやって頂戴」
話し合いが行き詰ってきたところで、第三者の声が割り込む。いきなりのことに揃って声のした方を向くと、栗色の髪をした女子生徒が休日にも関わらず制服姿で、腕を組んで立っていた。
「……ミレイラか」
うんざりしたような口調でエドワードが漏らす。
「別に揉めてないって。話し合いをしているだけだ」
「ならもっと穏やかに話し合って頂戴。新入生たちはまだ慣れていないんだから、怖がらせるようなことはしないで。泣きつかれる私の身にもなって。アンタのせいで私は忙しくなる一方よ」
先ほどの考えは訂正しなくてはならない。ルース以外にも兄たち、特にエドワードに強く意見できる人物がいた。この寮の寮長兼生徒自治会の会長である彼女、ミレイラ・クリフォードは先の理由で非常に貴重な存在であり、周囲からも頼りにされている。
「なんで全部の原因が俺にあるような言い方なんだよ?」
「そもそも首席のアンタが断ったから、次席の私に寮長と自治会長の仕事が回ってきたんじゃないの」
「普通科首席と次席よりもお前が選ばれたことについては、俺は何も関係していない。とんだ言いがかりだ。そりゃ確かに基本は成績順で役職が決まるけど、断ることはできる。それをしなかったのはお前だ」
だから俺は悪くない。
そう言い切る兄に、シェイナだけでなく二人の幼馴染も自然とため息が出た。
「……すみません」
魔法科の首席のみならず次席までもが自治会入りを断るなんて前代未聞だ。もしそんなことをしたら、普通科の生徒たちからも苦情が出て、今の制度が成り立たなくなってしまう。ただでさえ、エドワード、ショーンと七年と六年の魔法科首席が連続で自治会入りを拒否して話題になったのだ。にもかかわらず、大きな問題に発展していないのはミレイラがしっかり統率してくれているからだ。
「シェイナちゃんが謝る必要はないわ。どうせ、こいつがまたシスコン拗らせただけでしょう?」
で、今回は一体何が問題なの?
渋るエドワードに代わってルースが事情をすると、ミレイラは呆れたようにため息を吐く。
「……相変わらず過保護ね。私は五年生の時にはもう一人でロンドンまで行っていたわ」
「お前とシェイナじゃ可愛さが違う」
一緒にするな、と暴言を吐く兄をシェイナは咄嗟に咎めるが、ミレイラはエドワードの態度にも慣れているのか、気にした様子はなかった。安堵すると同時に、申し訳なくなってしまう。
「ほんと頭にくる奴ね。まぁ、心配になるのは分からなくもないけど……」
だったらさ、と彼女は続ける。
「私と行く?」
「え?」
思いがけない提案に、その場にいた全員が呆然としてしまう。
「寮長が付き添うとなればアンタたちも納得でしょ?」
確かに、彼女以外の適任者は他にいない。エドワードも彼女には気を許しているようだし、シェイナとしても憧れの上級生であるミレイラと一緒に出掛けられるのは嬉しい。
「でも、良いんですか? それに、ミレイラ先輩も実習があるんじゃ……」
「六、七年生合同で人数が多いから、班分けして実習しているのよ。私の班は今日が実習だったから、来週はロンドンの大きな本屋に行こうと思っていたの。ちょっと用事に付き合ってもらうことになるけれど、それでも良いのなら」
「是非! 是非お願いします!」
勢いよく食いつくルースに少し遅れて、シェイナも頷く。
「お兄ちゃん、良いでしょう?」
ルースと二人で詰め寄ると、兄たちは揃って舌打ちをしてから、渋々ながらも頷いてくれた。
「正直、かなり助かります。お願いします」
「……シェイナに何かあったらただじゃおかないからな」
ショーンとは対照的に横柄な態度のままのエドワードをシェイナがすかさず嗜める。すると、「まぁ、頼むわ」とほんの僅かに態度を改める。そんな様子を見て、ミレイラはおかしそうに笑った。
「さすがのエドワード・グレイスも妹には敵わないのね。ま、この件はこれで解決ってことで。いい加減、面倒事は控えてよね。こっちも忙しい時期なんだから」
「あぁ、そういえばパーティーの実行委員も自治会が兼任しているんでしたよね」
エリックの言葉で、シェイナもその事実を思い出す。そんな忙しい時期に、自分たちに付き合わせても良いのだろうか。でも元からロンドンに行くつもりだったと言っていたし、甘えておこうか、と思案する。だがそんなシェイナの気持ちを察したのか、ミレイラは気にする必要はないと言ってくれた。
「元々ロンドンには行く予定だったんだし、気分転換にもなりそうだから私も楽しみにしているわ。あ、そうそう。後で正式に掲示を出すけど、パーティーの日が一日ずれたのよ。金曜の夜にする予定が、土曜になったの。間違えないようにちゃんと覚えておいてね」
微笑みながら告げられた事実に、頭が真っ白になる。他の面々も、ミレイラを見たまま固まってしまっている。
「日にちが変わったって、どうして……?」
エリックがわずかに声を震わせながら尋ねる。
「業者の都合だって。私も実習から帰ったらいきなり理事長と校長に呼ばれて言われたのよ」
それじゃ、今からいろいろ調整のためのミーティングがあるから。そう言って踵を返すミレイラを呆然と見返す。兄たちが心配そうにこちらを見ているのは分かったが、反応を返す余裕はなかった。
浮かび上がっていた気分が一気に落とされる。
どうして、こんなことになるのか。
キールとマリアの姿を見たくないとか、なんだかんだ言いつつも、やはり楽しみにしていたのだな、と思う。だけど、今からいくら期待しても無駄なことだ。シェイナは今回のパーティーには行けない。
パーティーは、満月の夜に変更されたのだから。
*****
「本当にすまないね。どうしてもその日でないと、準備やらの都合が悪くって」
向かいの席に座った年配の男はわざとらしくそう言った。本当にこの男はすまないと思っているのだろうか。
彼の隣に控えた中年の女性もそう感じたのだろう。シェイナと同じ目でその男、この学校の理事長を見ている。
「悪いけど君には……」
「分かっています」
パーティーには参加せず、いつものように地下室にいろ。そんなことは言われなくとも分かっている。
「流石、魔法科の首席なだけあって聡いね」
嫌味な口調。
この男に対する嫌悪感で胸がいっぱいになる。入学することを認めてくれたのには感謝している。しかしシェイナはどうしても彼を好きになることはできなかった。いつもなにかと理由をつけては意地悪なことを言われる。ルナシーをというより、彼はシェイナ自身を憎んでいるのではないかとさえ思うこともあるくらいだ。そんな彼の前で、礼儀よくすることはできても、愛想よくはなかなかできない。特に、今回は。
しかしそんなシェイナの様子などものともせず、彼は思い出したように口を開いた。
「そうそう。君がいつも使っている地下室だが、今回は別の場所を使ってもらいたいんだ。人の出入りが多くなるからね、本館ではなく旧館の南側にある地下室を使ってくれ」
「理事長!」
聞かされていなかったのだろう、彼の傍らで黙っていた女性は声を荒げる。シェイナも彼の言葉に驚きと戸惑いを隠せなかった。
たしかに、いつも使っている本館の地下室は、パーティー会場である講堂に近い距離であり、誰かと出くわしてしまう可能性がないとは言えない。だから今まで講堂を使う行事と重なったときは、本館の医務室の奥にある個室を使っていた。今回使えと言われた旧館は、外観こそ立派ではあるが、幽霊屋敷などと生徒の中では噂されるくらい、寂れて管理もろくにされていない。これに悪意がないといわれて誰が信じるだろうか。
「そう怖い顔をしないでくれ。私も次からはこんなことがないように気を付けるよ」
手のひらを握り締めて睨みつけるシェイナに向かって、理事長はわざとらしく薄い笑みを浮かべた。反省の色など全く見られない。本当に次があるのかさえ疑わしい。
「もう失礼してよろしいでしょうか?」
嫌悪感に満ちたこの空気に耐え切れなくなり、シェイナは震える声で言った。
「あぁ、構わないよ」
その答えを聞いて、即座に席を立つ。
「失礼します」
早く理事長室を出たかった。
零れそうになる涙をシェイナは必死に堪える。いま泣いてしまっては、暫く泣き止めそうにない。それに、彼の前で泣くだなんて真似は絶対にしたくなかった。
悔しい。
理事長に対してなんの抵抗も出来ない自分が嫌で仕方がなかった。下手に抵抗したら、自分がルナシーであることを全校生徒にバラされないとも限らない。そんなことをしたら、せっかく五年間穏やかに過ごせた時間が無駄になる。自分だけならまだいい。兄や親友たちを巻き込む結果になりかねない。それに、エドワードは今年で卒業。最後の年に、問題を起こしたくはない。
どうして自分はルナシーなのだろうか。
なぜ、こんなにも苦しまなければならない。
「シェイナ」
理事長室を出ると、そこにはエリックがいた。
「大丈夫か?」
シェイナの顔を覗き込みながら、優しく声を掛けてくれる。その声はとても温かく、心地良い。理事長に対する嫌悪感に満ちていたシェイナの心に、ゆっくりと染み渡っていく。
「……エリック、ありがとう……」
彼がいなければ、自分は今頃この場で泣き崩れていただろう。
エリックに肩を抱かれ、静かな廊下を歩く。
自分を支えてくれる親友の存在が、本当に有難かった。
そのまま、支えられるようにして、エリックたちの部屋へと連れて行ってもらう。本来ならば寮の部屋は学年ごとに分かれているのだが、何かあった時などに集まりやすいよう、エドワード、ショーン、エリックという学年がバラバラの三人が同じ部屋を使っていた。できるだけシェイナがルナシーであるという秘密を守れるようにとの、校長の配慮だ。
加えて、男子部屋と女子部屋の行き来は基本的に禁じられているが、もはや黙認されている。血縁者の部屋にしか訪問していないということもあるが、寮長であるミレイラがなんだかんだ言いつつも、理由を詮索せずになにかと融通を利かせてくれるのだ。
「お兄ちゃんたちは?」
シェイナが呼び出された後はいつも部屋にいるのに、珍しく誰もいなかった。
「今回は呼び出しのこと、黙っておいたから。ルースは図書館」
そう言って、エリックは座るように促す。シェイナはエドワードの使っているベッドに腰掛けた。
「で、理事長は何て?」
目の前に椅子を置いて、エリックはそれに座る。心配そうにシェイナを見る目はとても優しい。
泣きたくなるのを堪えながら、シェイナは先程のことを伝えた。
声が震え、何度も言葉が途切れた。それでも、ありのままを語る。
エリックは相槌を打つだけで、何も言わない。
しかし、徐々に力が込められる握った拳から、彼の怒りが伝わってくる。いつもは穏やかな翡翠色の瞳も、険しく陰っていた。
どうしてだろう。
目の前の親友はこんなにも自分を想ってくれているのに、世間や理事長はそうでないのだろうか。ルナシーだからと、なぜそれだけの理由で自分たちを差別するのか。人種差別はいけないと言う一方で、ルナシーのような危険分子を排除せよと主張する。
みんな同じ、人だというのに。
「……シェイナ、泣いても良いんだぞ?」
話が終わると、優しくエリックは言った。
「てゆうか、泣け。エドたちの前じゃ、泣きづらいんだろ? 今のうちに泣いとけ」
そっと抱き締められる。その温かさに、張り詰めていた糸が切れた。
兄たちに知らせなかったのは、このためだったのだろう。いつも自分を守ってくれる兄たちの前で泣くことを、シェイナは出来るだけ堪えていた。エリックはそれを知っているから、必要な時にはこうして泣けるようにしてくれる。どんなに自分が怒りを抱えていても。
「……私、ルナシーなんてもう嫌だ……!」
エリックの服を強く握り、そう訴える。家族の前では言うことができなかった言葉を、シェイナははじめて親友にぶつけた。
差別されることには、いくら経験しても慣れることができない。
我慢することには慣れていたはずだけど、流石にもう限界だった。ルースやエリックに出会って、やっと安らげる場所を見つけたと思っていた。自分も普通の人間なのだと思えることさえあったというのに、それは一瞬で打ち砕かれた。結局はルナシーなのだと、そうとしか世間からは見られないのだと思うと、悔しくてならなかった。
他の同級生たちと同じように、パーティーを楽しみにしたり、憧れの相手に夢見たりすることすら許されないのだ。
涙が止まらない。
こんなに泣いたのは久し振りだ。
「泣けるだけ泣いとけ。んで、思いっきり食べて寝ろ。エドたちには、俺から話す」
小さい子にするように、頭を撫でられる。その感覚が心地いい。
「大丈夫だ。俺たちがついてる」
だからシェイナは独りじゃない。
そう言い切るエリックの存在が本当に有難い。
「……うん」
シェイナはエリックの背に手を回し、服の生地をギュッと掴む。
独りじゃない。
エリックもルースも、兄たちもいる。
たとえどんなに虐げられようとも、こうして支えてくれる人もいるのだ。世の中がルナシーに対して冷たくとも、全てがそうだというわけではない。自分を守ろうとしてくれる人がいることを、シェイナはちゃんと苦しみの中でも理解していた。
きっと大丈夫だ。
明日からは、また笑える。
だからどうか今だけは、この優しさに甘えていたかった。
気が付くと、部屋の中にエリックの姿はなかった。泣き疲れて眠ってしまったのだろう。シェイナは兄のベッドに横になっていた。
起き上がり、壁に掛けられた時計を見ると、いつもなら夕飯を食べている時間だった。部屋の中に誰も居ない理由にも頷ける。
瞼が重い。
あんなに泣いたのは本当に久し振りだ。だけど、お陰で気分は楽になった。
「起きたか?」
ゆっくりと部屋のドアが開き、エリックが顔を覗かせる。シェイナが起きているのを確認すると、中に入ってドアを閉めた。
「みんなは?」
「夕飯食べに行ってる。シェイナの分は後でルースが持ってきてくれるよ」
そう言って、エリックは濡れたタオルを差し出す。それはひんやりとして冷たかった。
「目、冷やしとけ。すごい顔してるぞ?」
「失礼ね」
目を閉じて、そこにタオルを当てた。ひんやりとして気持ちが良い。
エリックはシェイナの隣に腰を下ろした。ベッドのスプリングが少し沈む。
「エドたちには話した」
「……どうだった?」
上を向いて、目にタオルを当てたまま訊ねる。
「ブチ切れて大変だった。けど、理事長室へ殴り込みには行ってないよ。シェイナがそれを望んでないことも分かっているし」
「……そう」
それを聞いて安堵する。
理事長室に殴り込んだりしたら、シェイナがルナシーだと他の生徒たちに知られるどころか、兄たちまでもが退学になりかねない。自分のせいで兄たちがそんなことになるのは嫌だ。
「でも、その分デイルさんに電話してかなり抗議してたけど。腐っても本家の当主ならちゃんと分家のヤツの行動を見張ってろ、って」
「もう……デイルさんにはお世話になってるのに」
デイルは三十代前半という若さではあるが、ルナシーの人権を擁護する非営利団体の代表であり、シェイナたち一家も昔から世話になっている。しかし世間の風潮に逆らって活動をしているため、シェリンガム家の侯爵位を継ぐ当主でありながら、実権は分家の出である理事長が握っているのが現状だ。デイルの知らないところで今回のような事態が起こってもおかしくはない。
「でもまぁ、デイルさんも謝っていたって。シェイナと話がしたいって言ってたらしいから、後で電話いれとけ。みんな心配してる」
「うん。分かった」
改めて、自分のことを考えてくれている人がたくさんいるのだと実感する。きっと、両親にもこの話はいっているだろう。夕食を食べた後にでも、電話をしにいかなければ。
「……シェイナ」
「なに?」
「本当に良いのか? これで……」
真剣な声。
シェイナはタオルを外して、エリックを見る。
「どうしようもできないもの。諦めるしかないわ」
「キールもか?」
エリックの口から出た名前にはっとする。
忘れようと、考えないようにしようと思っていたのに。
「どういう意味?」
軽く睨みつけるが、エリックは動じない。
「アイツが好きなんだろ? このままで良いのか? 下手したら、次のパーティーのときにも同じようなことが起こるかもしれない。それでもまた、どうしようもないって諦めるのか?」
「ルナシーだって知られたらそれこそお終いよ!」
「だから隠し続けるのか? これからもずっと」
「そうよ!」
「アイツがお前を好きだとしても?」
エリックの言葉に思わず固まる。
(……キールが……、私を?)
そんなことがある訳ない。
だけど、エリックが自分に嘘を吐くことも考えられない。
頭の中が、真っ白になった。
「冗談はやめて。それに、キールにはマリアがいるじゃない」
動揺しながらもそう言ったが、エリックは態度を変えない。
「アイツらはそんな関係じゃないよ。ただの親戚同士でしかない」
「そんなの、分からないじゃない。それに従兄妹同士なら結婚も出来るのよ?」
「誰が従兄妹同士なんて言った?」
少し悪戯っぽくエリックは言う。そして彼が続けて言ったことは、シェイナにとって信じ難いことだった。
「マリアはキールの母親の妹、つまりキールの叔母だ」
「……嘘」
マリアがキールの叔母?
そんな馬鹿な話、信じられる訳がない。
「嘘じゃないよ。前に俺とルースで調べた。キールと、その周りの奴らのことも」
何がきっかけでルナシーということが知られるか分からないので、シェイナに近付く者は徹底的に調べられる。そのことは知っていた。その作業をルースやエリックが手伝っていることも。だけど、キールまで調べられているとは思わなかった。彼と話すことと言えば勉強のことくらいだし、それ以外で話したのは三年生のときの出来事が最後なのだから。
「これは俺らが勝手に調べたことだから、エドやショーンは知らないし、キールのことも話してない」
キールはシェイナに近付いたけど、シェイナからも近付いたしな。そう優しくエリックは言った。
確かに、学校に入ってからシェイナが自分から近付いた人物は、キールがはじめてだった。たいした努力もせず、ルナシーの能力ゆえにあらゆることの出来る自分とは対照的に、努力して目標を掴もうとする彼に惹かれたのだ。
彼のようにまっすぐ前を向いていたい。その気持ちがあったから、理事長にどんな嫌味を言われても、今まで頑張ってこられた。
「キールなら大丈夫だ。シェイナを差別したりしない」
小さい子をあやすような口調。そして、絶対的な自信が含まれている。それも調べ上げた結果なのだろうか。
そんなことを思っていると、腕を引かれた。エリックの胸に額があたる。
包み込むように、優しく抱き締められる。
温かい。
「シェイナ。……もう少しくらい、我侭になれ」
「え?」
「お前はルナシーだけど、その前に一人の人間だ。辛いのを我慢する必要もない。人を好きになったらいけないなんてこともない。望むことをやって良いんだ」
背中にあった腕は肩に移動し、見つめ合う形になる。
「俺もルースも応援する。だから、欲張ってみろよ」
言って、彼は優しく笑む。
(……本当に、良いの……?)
ずっと望んでいた言葉を言われ、おさまっていた涙が再び溢れてくる。
欲張って良いのだろうか。
兄たちがいて、エリックやルースといった友人がいる。ルナシーである自分には、これで充分だと思っていた。
だけど、許されるのならば、キールに近付きたい。
目の前で笑みを浮かべている親友に、シェイナは小さく頷いた。
*****
「エリックはこれで良かったの?」
夕食を食べてから、食器を片づけるついでに電話をしてくると言って部屋を立ち去ったシェイナを見送り、ルースは幼馴染に尋ねた。
「なにが?」
「シェイナとキールがうまくいったとして、アンタは後悔しないの?」
「今更それを言うか?」
お前だって、キール寄りじゃないか、と苦笑され、返事に困る。
ルースとてシェイナを応援したい気持ちはある。しかし、エリックも大事な幼馴染なのだ。付き合いの期間で言うのならば、シェイナとのものよりもずっと長い。だから、エリックの性格もよく理解しているつもりだ。
「……シェイナさ、変わったよな」
「うん」
三年生の頃からだろうか。元々真面目ではあったが、ある時を境により熱心に物事に取り組むようになった。積極性が出てきたし、怪我をしたときや具合が悪いときに少しずつ頼ってくれるようになったのもそのあたりからだ。そして、キールと関わることを嫌がらなくなったのも。
詳しいことは話してもらっていないが、シェイナはキールに苦手意識を持っていた。だからキールがシェイナに何かと勉強の質問をしに来るのも、正直ルースは良く思っていなかった。シェイナが本気で嫌がっていないし害はないだろうと口出しはしなかったが、万が一のことがあれば叩きのめしてやろうと思っていた。なのに、ある日突然シェイナの表情が変わった。
「……私たちじゃ、ダメだったのかな……?」
シェイナは大事な友達だ。だから、ルナシーだからと消極的になる彼女を変えたかった。いろいろ連れまわしたりもしたけれど、やはりどこか一歩引いているシェイナにイライラしたこともあった。ルナシーだから迷惑を掛けてはいけない。みんなは優しいから付き合ってくれている。そんな態度が腹立たしかった。自分たちはシェイナが好きだから力になりたいと思っているのに。
シェイナがルナシー故に辛い思いをしてきたことは聞いていたし、時間をかけて付き合えばきっと変わってくれると願っていた。結果、シェイナは変わりつつある。家族でも、自分たちでもない第三者によって。
「俺たちだけじゃダメだったし、キールだけでもダメなんだと思う」
「……うん」
「だから、シェイナのためにできることをしたい」
時を経るに連れ、社会の厳しさを知る。そしてその度にシェイナは傷付き、自分で自分の自由を制限してしまう。これをしたい、でも迷惑がかかる。自分はルナシーなんだから我慢しなければならない、と。ルナシーである前にシェイナはシェイナだし、自分たちの大切な仲間なのに。
「俺はキールに協力するつもりじゃない。シェイナに味方しているだけだよ。癪だけど、キールに賭けるしかないんだと思う」
確かに、もう七年ほどシェイナとは一緒にいるけれど、シェイナが他人のことでここまで悩んだり必死になったりしているのを見るのは初めてだ。浮ついた憧れからくる感情ではないことは、そのことからも分かる。だからこそ、なんとかしてやりたい。それに勝手な考えだけれども、この一件を無事に乗り越えたら、何かが変わるような気がする。それはルースもエリックと同じ考えだ。
「にしても、ちょっと物分りが良すぎじゃない?」
「そうでもないさ。見込みがないと思ったら、割り込ませてもらうから」
どこまでが本気かは分からないが、この幼馴染ならやりかねないとも思い苦笑する。
「ま、私たちが手伝ってダメならキールもそこまでってことよね」
あのシスコン兄弟や周りの大人たちの説得、ルナシーという事情ゆえに付きまとうややこしい事柄はこちらで引き受ける。
だから、どうか、シェイナを救って欲しい。
もっと自由に生きていいのだと、彼女にそれを伝えるには、自分たちは近すぎるのだ。彼女をずっと見てきたからこそ、遠慮もしてしまう。だけど、キールは違う。事情を知らない人間が何を、とシェイナは思うかもしれない。しかし、だからこそできることがあるのではないだろうか。そう期待するしかない。
「うまくいくと良いわね」
「いくさ。きっと」
「うん」
大丈夫だ。そう、ルースは改めて自分に言い聞かせた。
*****
実家に電話を入れると、母のオリビアが出た。シェイナがショックで寝込んでしまったと兄たちが大袈裟に話したせいでかなり心配されたが、もう落ち着いたということを伝えるとホッとした様子だった。
「明日、お菓子を焼こうと思っているの。月曜には届くだろうから、みんなで食べてね」
「うん。ありがとう」
一年生の頃からずっと、嫌なことや落ち込むことがあると、母は必ず手作りの焼き菓子を送ってくれる。それはいつも一人では食べきれないほどの量だから、兄たちや幼馴染たちと一緒に食べる。そして、みんなでお茶を飲みながら美味しいお菓子を食べていると、不思議と元気が出てくるのだ。
母と話し終えてから、今度はデイルに電話をかける。しかし急な来客があったとかで、代わりに彼の秘書のようなことをしている青年が出た。デイルと話せないのは少し残念でもあったが、彼のことも気になっていたので、シェイナとしてはちょうど良くもあった。
「身体の具合は大丈夫なのですか?」
「平気です。お兄ちゃんたちが大袈裟なだけ。ロイドさんこそ、無理して働きすぎてないですか?」
「大丈夫ですよ。それに、この仕事は自分のためでもありますから」
だから多少忙しくとも、苦に思うことはない。そう言う彼も、ルナシーの一人だった。もっとも、生まれた時からルナシーのシェイナとは違い、彼はある事件で満月の晩にルナシーから傷を受けたことがきっかけで後天的にルナシーになったのだが。
ルナシーにもいくつか種類がある。シェイナのように他人に害を及ぼさない者もいるが、中には狼人や吸血者となって自我を失い、人々を襲い、直接牙や爪で傷つけられた相手をルナシーに変えてしまう者もいる。もちろんそういった悲劇が起きないように対策は練られているが、ロイドの場合のように発生率がゼロになったわけではない。そういった事実がより一層、人々がルナシーを厭う原因となっていた。
「今回のことは、我々の力不足が招いた結果でもあります。申し訳ありません」
「そんな……デイルさんやロイドさんたちのおかげで、私は学校に通えているんです。今回のことは運が悪かっただけで、仕方がないですよ」
「仕方がなくなど……!」
普段物静かな彼が、珍しく声を荒げる。特に、シェイナに対して強い口調で意見することは今までになかった。そのことに、思わず肩が跳ねる。
「……すみません」
シェイナの反応が電話越しでも伝わったのか、ロイドはすぐに謝罪する。
「ですが、『仕方がない』などという言葉で片付けてしまわないでください。それは、あなたがご自分の幸せを諦めてしまうということですから」
パーティーに憧れて、はじめての参加を楽しみにしていた事実まで否定してしまうことになる。そして、叶わなかった悲しみを『仕方がない』で済ませ、差別されることに馴染んでしまってはならない。周囲からは何度も言われた言葉ではあるが、同じルナシーと言う立場の彼から言われると、違った力強さがあった。
「あれほど、楽しみになさっていたではないですか。綺麗なドレスを着て、一瞬でも良いから、例の少年の目に留まることができれば、と」
「そしてあわよくば一曲、って。私、ロイドさんの前ではかなり夢見がちな話もしてましたね」
彼の口の堅さのせいか、ルナシー同士という絆のせいか、幼馴染たちにも言わないでいたキールへの想いを、ロイドにだけはずっと以前から話していた。敏い彼には隠し事ができなかった、ということもあるけれど。そして、浮かれた子どもの戯言などと片付けず、ロイドはいつも丁寧に耳を傾けてくれるのだ。
「まだ機会はあります」
「……はい」
もしも、次の機会があったとして、そしてエリックの話が本当だとしたら、どうなっているだろうか。後でがっかりすることになる可能性も高いのだから、期待しすぎない方が良いとは分かっている。だけどやっぱり、ロイドの言うとおり、楽しみにする気持を捨ててしまいたくはなかった。
一方、怖い気持ちも捨てきれずにいる。皆が皆、ルースやエリックのように受け入れてくれるとは限らない。むしろあの二人が特殊なのだ。そのことは、良く知っていた。
矛盾した二つの感情。自分の中で上手く整理がつかず、心が重くなる。
「どうかなさいましたか?」
考え込んで黙ってしまったシェイナを心配したロイドに声をかけられ、慌てて我に返る。
「大丈夫です。今日は一日でいろんなことがあったから、ちょっと疲れただけ。ドレスを買いに行ったらキールとマリアに会うし、結局ドレスは買えなくて、ミレイラ先輩と来週ロンドンに行くことになったんですけど、そしたらパーティーの日が変わって。理事長は意地悪だし、エリックは変なことを言うし」
本当に長い一日だった。明日が日曜日で、授業がないのが幸いだ。寝ていたこともあってだいぶ落ち着いたけれど、ゆっくり過ごす時間が欲しい。
「変なこと、とは?」
「キールも私と同じ気持だとか、そういう……」
自意識過剰な発言に取られそうでもあるが、相手はロイドだしと開き直って、エリックに言われたことをそのままに伝える。すると意外にも彼はエリックの発言をあっさりと肯定した。
「キール・ハーコートがシェイナを好ましく思っていても、別に変な話ではないでしょう」
「え? どうしてですか?」
「私の知る限り、シェイナ・グレイスほど素晴らしい女性はいないからですよ」
恥ずかしい台詞をあっさりと言ってしまう彼に思わず苦い顔をしてしまう。そうだった。彼も兄たち同様、シェイナに対する評価が身内ということを差し引いても異様に高いのだった。
「それで、どうするのですか?」
「……正直、自分でもよく分からないんです。キールにもっと近づけるなら、って思いはするけれど、漠然としすぎているというか、現実味がいまいち沸かなくって。今まで深く考えずに憧れているだけだったから」
叶わない夢で、子どもの空想のようなものだった。それを現実として扱う日が来るなど思いもしなかった。
「なぜです?」
「なぜって……。彼がキール・ハーコートで、私がシェイナ・グレイスだからですよ」
キール・ハーコートと言えば、賢くて、整った顔立ちに黒髪と深緑の瞳が良く似合っていて、スマートな物腰の好男子だ。リーダーになるなど、目立った行動をすることは少なく、そういった役割は彼の親友のウィリアム担うことが多いが、華があって人の目を引く存在。あのマリア・トーマスと並んでも引けをとらない男の子などそうはいない。対してシェイナ・グレイスと言えば、グレイス兄弟の妹で、勉強ができるだけの地味な赤毛の女の子。それだけだ。
「私に言わせれば、あなたはそれだけではありませんがね。彼にとっても、そうなのでしょう」
自分で気が付いてないだけで、シェイナにも魅力は多くある。お世辞だと分かり切っているけれど、そう言われて悪い気はしなかった。
「……彼のことを、現実として扱うのが怖いですか?」
見透かしたような静かな口調で、ロイドが問う。
「そりゃ……、そうですよ」
大丈夫だと思いたくても、嫌でも昔のことを思い出してしまう。キールを信じたい気持ちはあるが、そう簡単な話ではない。
「エリックには好きにすればいいって言われたけれど、自分がどうしたいのかもよく分からなくって」
もやもやとした気持ちばかりが心を支配する。
「あまり深く考えることはないのでは? 私はキール・ハーコートと会ったことはありませんが、話を聞く限りでは出来た少年のようですし。それにあなたは、分別のないような者に惹かれるような人ではないでしょう」
まさかロイドからキールの後押しを受けることになろうとは思っていなかったが、だからこそ彼のことばが嬉しい。いい加減な励ましを口にしない人だと分かっているからこそ、心強かった。
「万が一のときは、エドワードたちだけでなく我々もいます」
だから必要以上に構える必要はない。そう言われて、まだまだ決断は下せそうにないけれど、少し気持ちが楽になった。
*****
「ドレスを思い切って赤にしたから、ネイルは大人しめの色合いが良いかしら?」
でもゴールドのように華やかな色も憧れる。そう言って、キールのベッドを占領して雑誌を眺めながら相談を持ちかけてくる同い年の叔母に、思わず頭痛がしそうになった。
「俺に聞くなよ」
マリアの爪の色なんてどうでも良いし、どうせ自分の意見など反映されないのだから、巻き込まないでほしい。それにそんなことよりも、こっちは他のことで頭がいっぱいなのだ。だいたい、女子が男子の部屋に入るのは禁止されている筈ではなかったか。身内なら大目に見てもらえるけれど、キールとマリアが甥と叔母の関係であることはほとんど知られていない。
「あれ、マリアまた来てたの?」
この叔母をどうするべきかと考えていると、幼馴染でルームメイトのウィリアムが戻ってきた。手に持っているビニール袋にはどうやら、大量のお菓子が詰め込まれているらしい。休みになると彼はこうやって、お気に入りの品や新商品を買い集めてくるのだ。
「パーティー用のネイルをどうしようか考えていたのよ。ね、ウィルはどういうデザインが良いと思う?」
「そういうのはキールに聞けよ。どうせ塗るのだってキールにやらせるんだろ?」
うんざりとした様子を隠すこともなく、ウィリアムはそうあしらって買ってきたお菓子を棚に仕舞っていく。彼の言う通り、今までに何度も、手先が器用ということからキールはマリアのネイルを塗らされてきた。おかげで今ではちょっとしたデザイン入りのでも対応できる。しかし今は、そういうことを考える余裕はない。
「キールは今忙しくて相手してくれないのよ」
「あぁ? 机に向かってボーっとしてるだけじゃん」
小難しい本を開いているのはいつものことだし、と顔を顰めてウィリアムは付け加える。
「今は落ち込むのに集中しているから、私のネイルの話なんて頭に入ってこないみたいよ。さっきから生返事ばっかり」
「落ち込むって、……シェイナか! 何かあったのか!」
ウィリアムは急いでお菓子を全て仕舞い込んで、勢いよくキールの座っている椅子を回転させて、ついでに机から引き離し、自分はマリアの隣に座って小さな輪を作る。マリアも雑誌を閉じて、身体を起こした。そして、居心地が悪そうにしているキールの代わりに口を開く。
「今日ドレスを買いに行った店で、シェイナとルースに会ったのよ。それで、キールは珍しく挨拶以外のことばを頑張って口にしたの。『パーティーに行く相手は決まっているのか?』って」
「おお! 頑張ったじゃないか!」
急成長を遂げたとでも言わんばかりに、ウィリアムが声のトーンを上げて、続きを促す。
「そしたらシェイナは『まだ決まってない』って言ったのよ。もうこれってチャンスじゃない? だって、ルースは居たけれど、お店には私たち以外の生徒は誰もいなかったし。それでキールが思い切って誘おうとしたんだけど、それより先にシェイナがこう言ったのよ。『でも多分、エリックと行くと思うわ』って」
「……あぁー……」
ドンマイ。そう言いたげな目線を向けられて、余計に気分が暗くなる。なぜ改めて現実を突き付けられなければならないのか。
「やっぱりあの二人ってデキてるのかな?」
「前に聞いたときは否定されたけど、今回のパーティーがきっかけになる可能性は十分にあるわよね」
「だよな……」
溜息を吐いて、何か言いたげにウィリアムがこちらを見てくる。
「……なんだよ?」
「や、報告しときたいことあるんだけどさ、これ言ったらお前寝込むかも」
でも言いたい。そんなウィリアムに呆れたような目を向けながら、マリアが話すように促す。
「さっきさ、廊下でシェイナとエリックが歩いてるのを見かけたんだよ」
「それで? あの二人が一緒にいるなんて今更珍しくないじゃない」
「それがさ、今回は様子が違ったんだよ。ぴったり寄り添ってさ」
エリックがシェイナの肩に腕をまわし、それに甘える様子で歩いていたらしい。
気が遠くなりそうだ。
どうやって誘うべきか悩んでいる間に、決着がついてしまうとは。きっとシェイナはこれから先も、パーティーにはエリックと行くだろう。そうなると、もう自分の出る幕はない。
「まだ諦めちゃだめよ!」
いきなり発せられた大きな声に驚いて顔を上げると同時に、マリアに正面から両肩を掴まれる。
「今日の夕食の後、シェイナに言いなさい!」
「や、でも……」
「でもじゃない! そんな風にうじうじしてばっかりだからアンタは駄目なのよ! パーティーまでにはまだ時間があるから、逆転の可能性があるかもしれない。それに、シェイナがエリックと付き合ったとしても、それはアンタが何もしないで終わっていい理由にはならないわ。せっかくあの薔薇だって、間に合ったんでしょ? 渡せないまま、今までの努力を無駄にしてしまったら駄目!」
このままで終わらせてしまったら絶対に後悔する。マリアの言うことはもっともだ。
うまくいくかもどうかも分からないことに本気になったのは、これがはじめてだった。シェイナの特別になりたいと、その証に特別な薔薇を贈りたいと努力を続けてきた。ここで諦めたら、また『どうせ駄目だ』と、すぐに見切りをつけてしまう自分に戻ってしまうに違いない。
とにかくもう、自分にはやるしか選択肢は残されていないのだ。当たって砕けることになろうとも、何もしないままでいた場合、二人の幼馴染たちは自分を軽蔑するだろう。見限ってしまわれるかもしれない。そしてそれは、キール自らにとっても同じことだった。