第九話 危機2
「久しぶりだなお嬢ちゃん」
男は私を一瞥すると野卑た笑みを浮かべた。
派手な綾羅綿繍の衣を身にまとった放免だった。
「随分と小綺麗な格好をして見違えたぞ」
どうやら先日成王丸と親しく話していた放免のようだった。
「どうしてあなたがここに」
「なにたいした話じゃないさ」
男はふんと鼻を鳴らす。
「あの成王丸が俺に隠し事をしているみたいだから気にくわなくてな。あとをつけさせてもらったらすぐにぴんときたぜ」
「巷じゃ常磐井殿のご落胤が清水寺に匿われていると言ったがな」
実際は違うんだろと男は笑った。
「お前が何者かは知らないがおそらく高貴な身分の人間なのだろう」
成王丸もつまらないことに足を突っ込んだなと男はいい放つ。
「まあお前の身柄を確保して、欲しがってるやつに渡すってのが俺の算段だが」
それもつまらないかなと男は付け足す。
「浅黄様早く逃げてください」
尼は私を放免から引き離し外に出そうとする。だが。
「そう簡単に逃げられると思うなよ」
男は低く笑った。
「浅黄っていうのかお前。たしか夜叉丸とか名乗っていた様な気がするが」
「俺も検非違使の下っ端だ。手柄をあげてお偉いさんから報奨を得れば満足させてもらえるかな」
「私をどこに連れていくつもりですか」
「その前にお前を味わうのもいいかもな」
男が下卑た視線を向けてきて思わず身震いした。
そうだ。こんなときは。
「放たれる風さながら白刃のごとく」
手刀で相手に呪文をかける。母に教えてもらったものだ。
これが実際に攻撃に変わるのかはわからない。
でも賭けてみるのもひとつの手だった。
すると。
「なんだこれは……?」
男の体にはいくつもの切り傷ができていた。
母が使っていた呪文と比べると少し威力は弱かったが効果はあった。
私は心にうちで母に感謝した。
(ありがとう母様)
私に力を残してくれて。
今まで力があるのかさえわからなかったが今になって呪術を使えるようになったのは幸運だった。
「貴様巫女かっ」
「女だと思って甘く見たら痛い目に遭いますよ」
私は続けて母に教わった別の呪文を詠唱する。
「東海神、西海神、南海神、北海神,四海の大神、千鬼を退け、災禍を打ち祓いたまえ。急々如律令」
最後は懐にいれていた呪符を投げつける。
「くっ」
男は苦しそうに息を漏らす。どうやら呪術は成功したようだ。
「浅黄さまっ」
尼が心配そうにこちらを見るが今は彼女に説明している暇はない。
「このガキがっ」
男は苦し紛れに七曲の鉾を降るが私はそれを右に左に受け流し先程と同じように呪符を投げつける。
「これでわかりましたか」
はあはあと息をあらげ男はこちらをじっと見つめた。
「あなたには即座にかえってもらいます。もちろん私の事は秘密にして」
どこに連れられようがきっと私はもとの生活に戻れないだろう。
それに浅原が私を狙っていることに代わりはない。
男にしたがってもいいことがないのは明白だ。
「わかったよ。嬢ちゃん」
男はヘラヘラと笑い出す。
「もう金輪際ここには近寄らない。だからひとつだけ言わせてくれ」
私は呪符を男に向けて間合いをとる。だが男は気にした風もなく。
「お前のあとをつけていた男。浅原といったっけな。お前の居場所に感づいているぞ」
「あの男のことを知っているのですか」
「ああお前のあとをつけているうちに知り合ってな。酒を酌み交わした仲だ」
放免と浅原が親しくしているとは予想もしていなかった。
「俺もあいつも一度お上から痛い目に会わされているからな。情報を明け渡した」
その台詞に頭がいたくなる。
「どうしよう」
「浅黄さまっ。その男の言うことを聞いてはなりませぬ」
「このまま浅原がやってきたら……」
浅原のことを考えると身が震える思いだった。私のあとをつけてじっと見つめる暗い視線を思い出す。あれは思い出したくもない嫌な記憶だった。
「そうだ。浅原は俺の情報をたよりにここ寂光院に忍び込んでくるはずだ」
「やつは残虐な男だ。ただじゃすまされないってことを覚えておけ」
なにせ一緒にいる間に幾人か切り捨てる場面もあったからなと付け足す。
「どうしよう……」
私が頭を抱えていると男はニヤリと笑う。
「じゃあな嬢ちゃん。俺は帰るぜ」
そろりと足を後ろにやり静かに帰ろうとしていた。
だが次の瞬間。
ふすまからもう一人男が現れる。
独特な形の太刀を手にし、私たちの前に立ちはだかる。
浅原だった。
「あなた騙したのねっ」
「いや。俺は事実を話したまでだが」
放免は愉快そうに笑った。
「まさか今来るとは思わなかったさ」
ニッと笑い私の首筋に鉾を当てる。
「これで形勢逆転だな」
「浅黄さまっ」
尼が私を助けようと近寄る。
「やめてっ。あなたは早く逃げてっ」
私一人のために尼の身を危険にさらすわけにはいかなかった。
「しかしっ」
尼の思いもむなしく浅原は彼女に切りかかる。
「お願い。やめてっ」
私は無惨に切られた尼を助けようと声をあげる。
「どうした急に殊勝になって」
放免は私の右手から呪符を奪い腕をつかんだ。
「離してっ」
腕を捕まれながらもじたばたと暴れたが男の前では無力だった。
「きれいな顔してなかなかのじゃじゃ馬だな」
顎を捕まれ顔を近づけられる。
「いやっ」
子供がむずがるように首を横に振ると浅原は口を開く。
「遊ぶのもそれまでにしてもらおうか」
「おお悪いな。つい楽しくてな」
浅原は切り捨てた尼の上を跨ぎ私のほうへと一歩、二歩と近づいてくる。
「私はさるお方に持妙院統の血族を皆殺しにする役目を任じられてな」
「それでそなたには悪いがその命頂戴することになった」
たんたんと告げる言葉は恐ろしいもので私は思わず目を瞑った。
(お願い母様。私を救って)
心のなかで彼女にすがっても現実では意味をなさなかった。
でも落ち込んでばかりはいられない。
なにせ尼と自分の命がかかっているから。
だから思いきって啖呵を切る。
「女相手に二人でかかってくるなんて卑怯じゃありませんか」
放免はひゅっと口笛をならす。
「おうその強気な態度嫌いじゃないぜ」
浅原は眉をひそめたが私は話を続けた。
「一対一で戦わせてください。そしてあなたたちが勝てばそちらの言うとおりにいたしましょう」
「面白いことになったな」
放免はやる気のようだった。だが浅原は気むずかしそうな顔をする。
「ここで切っても変わらないのにどうしてわざわざ面倒なことをするんだ」
どうやら浅原は反対のようだった。
「それは勝負っていうのはそういうものだからな」
放免は自身ありげに答えた。
「致し方ない。それでは私とこちらの放免二人で勝負を挑むことにしよう」
その言葉とともに首筋に当てられた刀が離れていく。
次の戦いが始まろうとしていた。