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弦売りの男  作者: 野暮天
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第八話 危機

「それで浅黄さんは今日も今日とて外に出られないのかい」

そうなると暇よね、と尼は呟く。


前日に犬神人たちが集まって清水寺に常磐井殿(後深草院)のご落胤がかくまわれていると噂をたてることになった。


「それにしてもあんなことをして清水寺の貫主が怒らないのでしょうか」

勝手に噂をたてられて浅原が乗り込んできたら清水寺側は困るはずだ。


「それに私もいつまでたってもお邪魔させていただくわけにもいかないし」

急に不安になってきた。私ごときがこのような厚遇を受けてよいのだろうか。


「あんまり心配なさらんな」

尼はにっこり笑って私の頭を優しく撫でる。


「成王丸たちがどうにかしてくれるでしょう」

だからそれまで待つしかないのと尼は言う。


「待つのが今のあなたにできる唯一の事よ」

でも、と付け足す。


「こうも待ち続けると待っている側も疲れちゃうわね。これが終わったらうんとわがままを言ったらいいわ」

成王丸にわがままを言う。難しそうな話だ。あの無愛想で不器用な男が付き合ってくれるとは到底思えない。


「十日が過ぎれば終わってしまう契約ですから」

「あらあなた本気でそれを言っているの?」

尼は驚いたようだった。


「もしお金のためだったら成王丸はこの仕事を引き受けていないと思うわ」

だって報酬はぎりぎり相場並み。この寂光院に預ける費用も考えればすでに赤字だ。


「彼があなたの仕事を引き受けたのはね」

尼はぽつりと言う。


「独り身のあなたが心配だからよ」

十五にもなって身寄りもなく宿を転々としてその日暮らしをしている。

その姿がどこか自分と重なったんじゃないかしらと尼は言った。


「恐れ入ります」

私は自分の思慮の浅さを恥じた。


「まあはっきり言わない成王丸も悪いんだけれど」

あの人も大概不器用な男だからと尼は笑った。


「それにしてもあなたが帝の妹宮様だということには驚いたわ」

尼は改めて丁寧に頭を下げる。


「これからは言葉を改めないといけないわね」

「いえどうかこのままで」

母が常磐井殿の寵愛を受けたと言うことで私自身は偉くなったつもりはない。


「とはいっても今の鎌倉の将軍久明親王の妹宮でもあらせらるのだから」

随分と立派な言われようだが私には分不相応に感じられた。


「では浅黄様と呼ばせていただくことだけでもよろしいかしら」

それ以外は前と同じようにとお願いした。


「浅黄様は歩き巫女をしていらしたのでしょう。普段はどのようなことをしていたのかしら」


今は歩き巫女の仕事は少なく宿の手伝いをして給金を得ているのでその質問は懐かしいものだった。


「普段は地方を渡り歩いて祝詞を述べさせていただいたり、呪術で病気の人を助けたりしていました。私はあまり上手ではなかったのですが唄や躍りを地方の貴族の前で披露することもあって」


母は唄や躍りが得意で見る者すべてを圧倒した。


「私はいつも舞台の袖で母様の舞を眺めていました」


さぞ綺麗だったのでしょうねと尼は呟いた。

「はいそれはとても」


思い出すとすこしだけ切ない気分になる。

だってそれは今は亡き母との思い出だから。


「母様は私の憧れでした」

きれいで優しくて慈愛に満ちた人だった。


母の残してくれた鈴をちりんと鳴らす。

「それは?」

「母の形見です」

これは母が生前大切にしていたものだ。それを譲り受けて今も大事に持ち歩いている。


「浅黄様はお母様をとても大切になさっていたのですね」

尼は優しく微笑みかける。どうしてかそういう目をされると涙がこぼれそうになった。


「申し訳ありません。急に涙が」

「こういうときは泣くのがいいのです」


ずっと泣いたらいけないものだと思っていた。

泣いたら自分が弱くなった気がするから。


弱い自分では母が心配してしまうから。

ずっと涙をこらえて生きてきた気がする。


おかしい。


どんなに辛いことがあっても苦しいことがあっても泣くことだけはないと思っていたのに。

尼の優しさに触れ、母との思い出が去来し涙がポタリと落ちた。


「浅黄様、これからはそうやって泣きたいときに泣けばいいのです」

「でも……」


嗚咽が止まらない。堰を切ったように涙が溢れてくる。

「うっ……くっ……っ」


情けないと思いつつも流れ出てくる涙を止める術を私は知らなかった。

よしよしと尼は私の背を優しく撫でる。


「浅黄様は大人であるつもりでもまだまだ子供でいらっしゃいます」

「そう……ですね」

尼の仕草はどこか母を思い出させるものだった。


「成王丸はその辺りがわかっていないから」

気が利かないのよねと呟いた。


「成王丸は仕事熱心なのはいいのだけれど」

女性に対する配慮に欠けているからと付け足す。


「あなたも仕事に付き合わされたクチでしょう」

おそらく死体の処理のことを指しているのだろう。


あのときのおぞましい気持ちはいまだに残っている。

どうして人が簡単に命を落とすことがあるのだろう。

どうしてそれを何事もなく片付けることができるのだろう。私には理解できなかった。


「でもひとつだけわかってほしいのは成王丸は不器用だけれど悪い人間ではないってこと」

それはなんとなくだが伝わってきたことだった。


こくりと私は首をたてに降った。

「辛いことを思い出させて悪かったわ」

尼は頭を下げた。


「いえ。こちらこそ無作法をお許しください」

「ふふっ浅黄様ったら」


尼は小さく笑う。

「なにか失礼でも」

「いえ。あなたも不器用な方だなと思いまして」


袖で口許をかくして笑う姿はどこかみやびやかでその艶やかさに心引かれた。私にはそうした魅力はないのだろうと思うと急にしゅんとなる。


「私だって……いつかは一人前になってみせます」

歯切れ悪く後半を告げる。やはり尼や犬神人が言ったように私もまだ子供なのだろうか。


「それは楽しみね」

立派なお姫様になってくださいなと笑われる。


「どうか好いた人と一緒になれますようにと私からも祈っておきますわ」

何気なく言ったその台詞に私は頬を羞恥に染めうつむいた。


「好いた人だなんて」

「あら成王丸以外にはまだ見つからない?」

「はい……その」


少しだけ成王丸のことがいいかもしれないと思ったのは内緒にしておこうと思った。

「それは秘密……」

しかし私は最後まで言うことができなかった。


ドンとふすまが叩かれる音がする。


「浅黄様すぐに隠れて」

尼が声を張り上げ私を部屋の隅へとつれていく。


だが。

それと同時に男が入ってくる。


「おう久しぶりだな嬢ちゃん」

男は低く笑った。私は今最大の危機を迎えていたのであった。

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保元・平治の乱をテーマにした
『常磐と共に』
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