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弦売りの男  作者: 野暮天
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第六話 理由

再び犬神人の装束に身を包んだ私は寂光院を去り京の町を歩いていた。

場所は賀茂川のほとり。

午後の日差しは強かったが川のそばを歩いているせいか涼しいかぜが時おり吹き気分はよかった。


「尼の格好だと外に出られないからな」

着替えさせた理由を告げられ私は苦笑した。


「それだったら小袖でもよかったのでは」

「悪いが追ってに姿を見られるわけにはいかないんでな」


「では犯人がわかったのですか」

「大体な」

男はうなずくと私の手を引いた。


「犯人は浅原だ」


名前に聞き覚えはなかった。

「まあ話は歩きながらしようじゃないか」


今は正応三年。大覚寺殿(後宇多天皇)が譲位なさっていまの帝(伏見天皇)が治める時代だ。

「いまの帝が命を狙われている、という話は知っているか」

「いえ」

それだとしたら天下の一大事だ。

「だったら六波羅に伝えなければ」

「それはいけない」

「どうして?」

武士の沙汰は六波羅が担当すると言うのが原則だった。それを無視していいのだろうか。

「浅原の背後には三条実盛がいる」

「三条とは」

「大覚寺統系の公卿だ」


公卿が絡むとなると六波羅は関与できなくなる。

そして大覚寺統系の公卿である三条実盛がいるということは。


「背後に亀山殿がいらっしゃる可能性があるということですね」


いまの時代は少々厄介だ。父帝(後嵯峨天皇)の寵愛が亀山殿(亀山法王)に向けられたと嫉妬した常磐井

殿(後深草院)により帝を交互にたてるはずがいまの帝(伏見天皇)の時に院政を停止し天皇親政となった。

本来なら我が子が即位するはずだった大覚寺殿が不満なわけがない。


「それで話は余計にややこしくなるんだがな」


「お前が何者かに狙われているといっていただろう」

「はい」


「お前の母親は常磐井殿の愛人だったんだよ」

「つまり?」


「お前はいまの帝の妹宮になる存在だ」

「……そんな馬鹿な」


母は父の名を決して語ろうとはしなかった。それがどうしてこのような状況で教えられることになったのだろう。

「女将に話を聞かせてもらった。そうしたら最後は渋々だったが教えてくれたよ」


「お前の母君の名は乙前、後白河院に今様を教えて差し上げたかの乙前から名を借りたそうだ」

母は唄も踊りも上手だった。彼女が舞う姿には誰もが目を奪われた。

歩き巫女だからどこかにとどまることはなかったが今考えてみれば帝の寵愛を受けた母は私の身を案じたからかもしれない。

もし自分の子が高貴な者の血を引いているとしたら権力の争いからは遠ざけて人並みの幸せを願ったのかもしれない。

私も母のように歩き巫女としての一生をなにも知らずに遂げていたのかもしれない。

「ありがとう成王丸」


彼女は男にはだらしがなかったから本当の父親などわからないとばかり思っていた。

母が残してくれた鈴をちりんと鳴らす。


「ああそれもお前の母上の形見だそうだな」

他にも母があの日買ってくれた弦がある。


「これは俺たちが売ってる弦だな。なんだ昔から持っていたのか」

「私が幼い頃母にねだったのです」


それに犬神人から買った弦が二本ある。


「こんなに弦をもって何に使おうかしら」

「お前が武家なら文字通り弓矢に使えたんだろうがな」


幸か不幸か私は歩き巫女だ。


「母に聞いたときは綿を打つのだとうかがいました」

「ああそうだ。これで綿糸を作るんだ」


俺も実際にやったことは数回くらいだけどな、と犬神人は笑った。


「あなたって不思議な人ね」


ぽつりと彼に対して話しかける。


今まで謎だった自分の出生の秘密を知ることができて心の中のつかえがなくなった。

母は優しかったが奔放な女性で時おりそれに寂しさを感じることもあった。


「とまあ感傷的になるのは結構だがまずは浅原だな」

亀山殿が何を吹き込んだのか私まで狙われることになった。


「なんでも昔亀山殿はお前の母上に横恋慕していたらしい」

だから秘蔵っ子であるお前には並々ならぬ思い入れがあると言った。


「憎い男の娘だからな」

そして最愛の人の娘でもある。


同時に二つの感情に挟まれて亀山殿は浅原に私の捜索を命じたのだろう。

「だが浅原は危ない。今みたいに呑気に歩いていたら刀で切り殺されかねないぞ」


あいつには怪しい話があると男は付け足した。

「浅原は霜月騒動で連座して北条氏に所領を奪われている」


霜月騒動とは安達泰盛一族が平頼綱によって滅ぼされた事件である。

これにより多くの外様御家人が没落していった。


「所領を奪われたのが原因なのか浅原の挙動が怪しいという話を聞く」

お前もつけられてなにか疑問に思ったことはないかと訪ねられる。


「そういえば」

彼の所有していた刀は妙な形をしていた。

「調べてみる価値はあるな」


もしかしたらあの刀が何かの手がかりになるかもしれない。

「六波羅には伝えなくていいのですか」

「今は確証がない。それに今俺たちが動いたら検非違使の方まで話が及ぶ可能性がある」


朝廷の管轄する検非違使と幕府が管理する六波羅。

検非違使を経由して亀山殿に私たちが敵に気づいているとばれてしまうことになるだろう。


そうしたら浅原以外の資格が送り込まれることになる。

また浅原は武士といえども浪人の身の上だ。六波羅が相手をしてくれないとも限らない。


「悪いが今は犬神人の格好で我慢してくれ」

これは気休めにしかならないけどな、と男は付け足した。

話を変えようと私は何気なく尋ねてみる。


「今日の仕事は?」

「午前中に済ませてきた」

どうやら気を使ってくれたらしい。


「この間みたいな反応されたら俺が困るからな」

前言撤回。気を使ったのではなく自分のためだったのかと私の中の彼の評価が下がる。


「まあ散歩はこれくらいにしておいて残りの八日もしっかりと働かせてもらうぞ」

「そうでした。十日で一貫ですからね」

今日のところはこれでおしまいということなのか。


「明日できることは明日やればいいのさ」

「それって今日できることは今日すればいいってことではなくて?」

「あんまり気負いすぎるとろくなことがないぞ」

男は笑って私の手を引く。


その瞬間胸がざわつく。変な感覚だった。

尼と話していたことを思い出す。犬神人は恋の相手にならないのかと。


それは今でもわからない。

だけどこの感情を大切にしたいと切に願った。


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保元・平治の乱をテーマにした
『常磐と共に』
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