第五話 目覚め
夢の中の私は幼い姿だった。
母のそばについて回りきゃっきゃと声を出して笑う。
まるで何事もなかったかのように。
だけど私は知っている。これがつかの間の夢だと。
気がつけば場所は女将の宿への帰り道だった。
いつものように慣れた道を歩いていると背後から男の気配がする。
男は直垂を身に付け腰に刀を携えている。つまりは武士なのだろうと察しがつくが。
足早に進むと男もそれに応じて歩を進める。いかんせん女の一歩は小さい。すぐに追い付かれてしまう。
(まずい)
私は急いで先に進もうとするがその先は行き止まりだった。
振り返ると同時に男が刀を振りかざすのがわかる。
「覚悟ッ」
男の低い声が鳴り響く。
ああ私は死ぬのだと悟る。どうせ死ぬのならもっと自分のしたいように生きればよかったと後悔する。
まだ十五歳だというのに。
このような終わりを遂げるというのは納得がいかなかった。
でも。
天の上にいる母ともう一度会えるなら。それも悪いことではないかもしれない。
あの優しかった母に会いたいと深く思った。
ちりんと鈴がなる。母が残してくれたものだ。
その音色に胸が締め付けられる。
「母様」
そう呟くと刃が胸を貫くのがゆっくりと目にはいる。
あの男はたしか。
どこかで見た覚えがある。
でもそのどこかがわからない。
そうして胸に痛みを感じながら意識がおぼろげになったのだった。
目が覚めると私は板敷きの上にいた。
(嫌な夢を見た)
私が男につけられて殺される夢。
前日に本物の死体を見たせいかやたらと鮮明な夢だった。
(忘れよう)
今日からまた犬神人と行動をともにすることになる。あの性格から上手く相手にできる自信はないが自分で雇った男だ。仕事はきっちりとやってもらうことにする。
私は身支度を整えると尼が声をかけてきた。
「あさげの支度が整いました」
私は尼たちに混じって食事をとることにした。朝に出てきたのは粥と漬け物が少々。簡素な食事だった。
「ごちそうさまでした」
食事を終えるとしばらく時間にゆとりがある。
犬神人が来るのは午後になってからだと教えられたので尼と会話をすることにする。
といっても彼女も庭掃除やら片付けやらで忙しい。
私も協力できるところは協力した。厄介になるのだからこれくらいしておかなければ。
冬というだけあって寒さもあり尼たちは昼間は休んでいた。
ということで私も世話になった尼のいるところにお邪魔する。
「あの少しお話をうかがってもよろしいでしょうか」
「なんなりと」
尼はにっこり微笑む。
まずは一番気になっていたことを尋ねる。
「どうして成王丸と懇意になさっているのですか」
「まあそれが気になっていたのですか」
尼はふふっと笑った。
「それは女の秘密よ」
簡単に返されてしまった。
「でもあなたのような方が親しくするような相手だとは思えなくて」
少し失礼な言い方になってしまったが話を進めることにした。
「まあ浅黄さんったら面白いお嬢さんね」
「女には色々あるのよ」
そう呟くとどこか遠くを見るように視線を遠くにやる。
「私は昔宮中でとある高貴な方に仕えていたの」
「でもその方が亡くなってね私は行き場をなくした。そのときに成王丸が助けてくれたのよ」
「女一人で生きていくのは大変でしょう。宮中でこれって言う方と結婚できればよかったのだけれど」
行き遅れたのかしらと尼は笑った。
「本当は一緒になりたいと思う人はいた。でもお互い叶わぬ夢だったの」
酸いも甘いも噛み分けた彼女のような人物でも叶わないことがあるのだと初めて知った。利発で美しい彼女にいったいどんな過去があったのかを詮索するのは野暮な気もした。
「ふふっ私の昔話なんて聞いてたってつまらないでしょ」
「いえ」
「まあ可愛らしいこと。私もあなたくらいの年頃だったら恋のひとつでもしていたところなんだけど」
うらやましいわと付け足されると私は困ってしまった。
「恋だなんて」
今まで巫女としての仕事や他の雑事に忙しくて恋愛なんてしている余裕はなかった。
「相手はいないの?」
宿の主人は女将の夫だし客はすぐに去ってしまうから恋愛対象ではない。
そう答えると。
「あらじゃああなたの近くにいる殿方は成王丸だけじゃない」
尼は手を叩いて笑った。
「ねえ成王丸のことはどう思ってらっしゃるの」
「どうって」
「乙女の恋のお相手にどうかしら」
尼は手を合わせてこちらを見つめる。
「冗談じゃありませんよ。どうして私が成王丸とどうこうしなければいけないんですか」
「あらその可能性は選択肢に入っていなかったのかしら」
からかうような口調で尼は続ける。
「浅黄さんが相手にしないのなら私が立候補しようかしら」
「やめておいた方が懸命です」
なにしろ思いやりや気配りに欠けた男だ。性格はともかくずっと顔を隠しているせいで人相もわからない。
「もう浅黄さんったら堅物なんだから」
尼は少しばかり呆れたようだった。
「少しは恋のこの字もないと人生つまらなくなるわよ」
肩をぽんっと叩かれる。
「ねえ成王丸とのことも考えてみてくださいな」
「はあ」
「あの人不器用だけれどいい人よ」
確かに犬神人ではあるけれどと付け足される。
「しかも頭巾をとったら結構男前だったわよ」
「それって本当ですか」
目付きが悪いのでどちらかというと容姿は悪い方だと思っていた。
「あらやっぱり浅黄さんも乙女だから本当は彼のこと気になっているのね」
何を誤解したのか尼は私の恋路を応援してくれるつもりらしい。
「あの……」
「安心しなさい浅黄さん。この私の腕にかかったらどんな男も一ころよ」
「ということで私に任せなさいな」
そうしてこうしているうちに時刻は進み。
ちょうど犬神人と約束していた午後になった。
「おう待たせたな」
「あらいらっしゃい成王丸」
私は尼に言われたように小袖を身に纏い、化粧をはたいて待っていると犬神人は笑った。
「どうした急に着飾って」
「どうしたって……」
ひとりでうつむいていると男は続けていった。
「めかし込んだところ悪かったな。今日も柿染めの衣に着替えてもらうぞ」
「ええっ」
「良いことがわかったんだ」
「それって犯人のこと?」
「まあそれはおいおい話すとして」
また着替えてこいと言われてしまった。今日も犬神人は災難を呼んでくるのだった。