第四話 交渉
「お前見た目のわりに根性あるな」
「いちいち気にしていたらやっていられませんから」
死体の処理を終えた犬神人は感心したようだった。
「俺の仕事を説明しなかったのも悪かったがもう知っているものとばかり思ってな」
自分が無知だったのだと改めて知らされる。自分では大人になったつもりでも私はまだ世間というものを知らないでいた。きっと母や女将が私を守っていくれていたのだろう。だが沈んでばかりもいられない。
「それで今度のお仕事は」
「お前、気が早いな」
犬神人は苦笑した。立ち直りの早さにあっけにとられているらしい。
「普通は俺たちのことを知っていたらこんなに近づこうとは思わないんだけどな」
ぽつりと犬神人は呟く。それは自虐というよりもどこか寂しさを残したものだった。
「これでも契約しましたから」
「十日で一貫分のお仕事やってもらいますよ」
私があっけらからんと宣言すると男は笑った。
「肝っ玉がでかいな」
「これでも歩き巫女の娘ですから」
母が元気だった頃は色々な宿をまわってきた。
そこではいくつか修羅場もありそれを掻い潜ってきた自負もある。
母に守られていたとはいえ彼女が常にそばにいてくれたわけでもない。
「今日は掃除だけの日だからな」
「掃除って……」
「さっきみたいなことだよ」
どこかばつが悪そうに答える。
「女子供をいたぶる趣味はないんだ」
「だけど放免には気を付けろ。あいつらは人をいたぶるのが三度の飯よりも好きな連中なんだ」
それはあの男が放っていた空気で察することができた。
「放免はもとは罪をおかした連中がなる仕事なんだ。普段は盗人や犯罪者を捕縛したり、拷問するのが仕事なんだがな」
なかには人を殺めてしまう放免もいるらしい。
「他にも河原で処刑したりすることもあるんだ」
なんとも恐ろしい話である。
「だから放免には近づくな」
珍しく真剣な声色だった。犬神人はぼりぼりと頬をかく。
「まあそれよりもお前を狙っている悪党のことを見つけるのが先決か」
照れ隠しなのか後半はそっぽを向きながら付け足した。
「あと十日で犯人を見つけなきゃならないからな」
「用心棒として雇われたからには一生懸命働かせていただきますとも」
慇懃な口調でかしずかれる。
「犬神人を雇うくらいだからなにか人には言えない事情があるんだろう」
男は私の頭を撫でてくる。それが子供扱いのようでこそばゆい。
「お前みたいなガキでも悩みはつきないだろう」
それが根無し草であることへの気遣いなのかそれとも日々身の危険と戦わざるを得ない状況下への不安に同調したものかはわからない。
だがこの人は信頼できるとすこしだけ思った。
「つけられていると思ったのはここ一月ほどです」
宿の女将の言いつけで買い出しにいったときに後をつけられることが数回あった。
「でもその理由がわからなくて」
身に覚えのない理不尽ほど恐ろしいものはない。
「確かに母さまは名のある巫女でしたが私を狙う理由にはならないと思います」
多くの浮き名を流した母ではあるがそれで恨みを買ったことはあってもその怒りの矛先が娘である私に向けられることは考えにくい。
「お前の母上が有名な貴族の愛人だったとしたら」
「それでどうして私を襲う理由になるんですか」
「よく考えてみろ。お前が仮に殿上人の娘だったとしたらその存在が邪魔になるだろう」
もしくはと犬神人は付け足す。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってこともある」
つまりと首をかしげると。
「お前さんの母上に捨てられた男の恨みとか」
それは考えにくい。
「まあただ単純に人さらいかもしれないしな」
「それにしては随分と年食っているが」
「私はまだ十五ですよっ」
女性に年齢のことを触れるのは男としていかがなものか。
「つまり考えられる理由は三つ。隠し子説、逆上説、人さらい説」
「そのどれかにあてはまるんでしょうか」
私としてはそれ以外の理由であってほしい。
「まあ今日中にその動機を洗い出してやるよ」
ということで、と男は笑う。
「今日も宿の女将の世話になるぞ」
「ええっ」
「いいだろ別に減るもんじゃないし」
「それは不味いです」
「じゃあ俺が寝泊まりする場所に一緒に来るか」
なんとなくそれはそれで問題がある気がする。
「そもそもどこで暮らしているんですか」
「ああ祇園社が用意してくれる寝所があるんだよ」
「それって全員男ですよね」
女の私がいるのは不味いのではないか。
「時おり男でも襲われることがあるからな」
そんな物騒なところにはいたくないが女将に甘えっぱなしも気が引ける。
迷っていると男は話を続ける。
「大丈夫だ。今のお前は縦から見ても横から見てもまごうことなき犬神人だ」
「それは誉めているんですか」
全く嬉しくないが犬神人の一員に見えるというのは敵の危険から逃れるのには一番かもしれない。
一人納得したところで男は妥協案を出してきた。
「俺の知り合いに尼をやっているやつがいる。そこで世話になるのはどうだ」
尼寺なら安心できるはずだ。だがその前に女将にここしばらくは宿を空けると報告しなければならない。
「お前が納得するならさっさと女将の了解を得て寺に向かうぞ」
そうして大原にある寂光院につれていかれた。
こちらの歴史は古い。何せ聖徳太子が建立して平清盛のご息女であらせられる建礼門院が終生を過ごしたとされる。
「まあ成王丸、今日は何のようかしら」
「ああ新入りをつれてきた」
どうやら顔馴染みの尼らしい。
「名前は何て言うのかしら」
「夜叉丸だ」
それは犬神人が勝手につけた名だ。
「違います。浅黄、と申します」
「まあきれいな名前ですこと」
「さあいらっしゃいな」
尼はこちらに手招きしてくる。
「それではお邪魔させていただきます」
一晩の宿かわりにと思っていたが思ったよりも丁寧な扱いを受けた。
尼が敷布を用意してくれたのでそれにくるまって寝ることにする。
(それにしても今日は色々なことがあった一日だった)
疲れがたまっていたらしい。
気がつけば意識は闇の中へと落ちていった。