第三十話 帰省
かくして私は内裏を去った。
そしてかつての縁に頼って女将のいる宿に下働きとして雇ってもらうことにした。
女将は戻ってきた私にはなにも聞かずにただすまないと頭を下げた。
「私があなたの生い立ちを知っていて黙っていたのだから恨まれても仕方ないと思っているわ」
私が今上帝の妹宮であることを隠していたことについてだ。
「いいんです。それより聞きたいことがあります」
それはどうして犬神人である成王丸に私の出生の秘密を教えたかと言うことだ。
彼に言われたからといってすぐに女将が了承するはずがない。
「私はね彼が本当に心配しているのが分かったの」
「心配、ですか」
あのふてぶてしい男が私のことを心配してくれたのか。
でもよく考えてみれば彼の行動の裏には優しさがあったのは確かにわかる。
寂光院に私を預けてくれたこと。
私が命を狙われていると知って仕事を手放さず全うしてくれたこと。
寂光院の尼だって言っていた。
たぶん彼は自分が思った以上に不器用な人なのだろう。
でも彼との契約は続いている。それは幸いだった。
彼に別れを告げずにすむ。
私の心のなかで小さな灯りが点る。
「女将、それが私の出自を彼に伝えた理由なんですね」
「ええそうよ」
ポツリと呟くと女将もうなずいた。
「今まで黙っていて悪かったわ。これから私が知っていることをあなたに話したいと思っているの」
「どうしてですか」
「こうして生きているとわかるけれど人の一生って短いものなの。だからできるうちにしなければいけないことをしなければと思ったの」
人の一生は短い。たしかにそうだ。
私の母だって私を残してなくなってしまった。人間の命は儚いものだ。
「女将は母とはどのような関係だったのですか」
「まずそこから始めないといけないわね」
女将はどこか遠くを眺めるような目をして話を始めた。
「まずいっていなかったけれど私もあなたの母親と同じように歩き巫女だったの」
「あの頃の生活は過酷だったわ」
歩き巫女は定住することなく地方を転々とすることが多い。
そういう人々が集まる青墓や橋本の宿もあるがそれだってついの棲家とするには苦しい場所だ。
「だから生まれてきたあなたには苦労させまいとあなたの母は必死に働いたわ」
「時に恋もしながらね」
ふふっと女将が笑う。彼女にもそういう時代があったのか。
なんとなく不思議な感覚だった。
彼女が苦労したのは端から見てもわかる。
宿を守るため一生懸命働いていた。
でも彼女は私に春を売るようには言わなかった。
それが母や女将のお陰なのだと実感した。
彼女たちが春を売っていたのは知っていた。
だけど幼い私にはどうすることもできないことだった。
そんな二人だからこそ私をこの年まで守ってくれたのだと理解した。
「私はあなたの母親にはいつも助けてもらった。客をとれなかったときも私をかばってくれたわ」
母はなにかと女将のことを気にかけ、女将も何かあったときは彼女の助けになるつもりだったという。
「そんなあるとき彼女があなたを身ごもった。相手は誰かと言わなかったけれど高位の方だということは言わなくてもはっきりしていたわ」
そしてその相手が常磐井殿(後深草院)だったということだ。
「最初はみんなあなたを生むことを反対したわ。だけど彼女はすべて一人で決めた」
一人で生んで育てることを決めたのだと女将は告げた。
「ちょうどその頃私はとある方と懇意になってこの宿に携わることになったわ」
つまり歩き巫女をやめることにしたのだという。
それが二人を疎遠にする原因になったのだろう。
「私たちのなかが悪くなったということではないの。でも私は京で宿を構えることになり、あなたの母は幼いあなたをつれて旅に出たわ」
それは私の出自を隠すためであり同時に私の身の安全を守るためでもあった。
「最後にあったのは彼女がなくなる少し前だった」
「彼女は小さいあなたをつれてうちに来たの。最初はただ遊びに来たのだと思ったけれど本当は違ったわ」
母は自分の命が短いことを悟って何かあったときのために私を女将に紹介したのだ。
そしてついに事件は起きた。
母が亡くなったのだ。
「最初は途方にくれたわ。あの彼女が病気でなくなってしまうなんて。しかも幼い我が子をつれて」
それは当然だろう。いくら母から任されたからといって年端もいかない小娘の世話を見るのは骨がおれる。
ましてや自分で金を稼ぐこともできない娘を。
「本当はね。尼寺にでも預けようと思ったわ。そっちのほうがあなたが幸せになれるのだってそう思ったこともあった」
でもねと付け足す。
「あなたを見ていると死んだ彼女が蘇った気がしたわ。それが少し悲しかったけれどやっぱり嬉しくてね」
そばにおくことを決めたのだという。
「これが私とあなたがであった経緯よ」
女将は小さく笑った。
彼女には多くの苦労を掛けた。
それでも文句をいうことなく育ててくれたことに感謝した。
「女将さん、今まで本当にありがとうございました」
「何よ。急にかしこまって」
「ってあなたがやたらと仰々しい言葉を使うのも今さらかしら」
女将は寂しそうに笑った。
「どうしてもこういう商売をしていると厳しくならざるを得ないから」
彼女は女将としては厳しい女性だった。
だけれど今から考えると彼女も必死だったのだとわかる。
「仕方がなかったとはいえ少しだけ申し訳ないと感じることもあるの」
「でもあなたが時々屈託なく子供のように笑う姿には救われたわ」
特に犬神人である成王丸と一緒にいるときはと告げる。
「私はこんなだから応援することも反対することもできないわ」
だけれど、と彼女は言う。
「幸せになりなさい」
「はい、女将さん」
視界に涙がにじみまばたきができない。
今目をつぶってしまえば涙が流れてしまうのがわかるから。
「変な顔しているわね」
「女将さんこそ」
よく見れば女将も同じような顔をしている。
必死に泣くまいとしている。
それがおかしくて私はふふっと笑いだす。
「私たち同じようなことしているんですね。おかしい」
「あらなにもおかしくないわ」
女将は泣き笑いのような表情を浮かべる。
「浅黄、いい年した大人だって泣くものよ」
覚えてなさいと彼女はのたまう。
でも少しだけ胸の支えがとれたようなそんな言い方だった。
「あといい忘れたことがひとつ」
彼女がいたずらっぽく笑う。
「あなたにお客さんよ」
誰だろうと視線の先を探っていると。
「感動の再会の邪魔して悪いな」
あの男が気まずそうに頬をかくのだった。




