第二話 食事
「いやお前さん若いのに立派な宿に泊まっているんだな」
犬神人は今朝河でとれたばかりの魚をつまんでは麦飯でそれをかきこんでいた。
「これは……」
私にとっては不味い事態だった。
「浅黄、これはどういうことかしら」
宿の女将が私に問いただす。
「久しぶりに人をつれてきたと思ったらその相手は犬神人でしかもこんな高級な食事をさせるとは」
「はい申し訳ありません」
周囲の人間が訝しげにこちらのほうを見てくる。それも当然だろう。派手な赤い衣は人の目を引くし、それ以上に派手な食いっぷりに人々は目を奪われていた。
「ご飯おかわり」
男は茶碗をこちらに押し付ける。仕方がなくおひつに入った麦飯を山盛りによそう。
「うまいうまい」
男は浅黄のうろんげな眼差しに気がつく様子もなくひたすらに食事を堪能している。
「私がこの宿のお手伝いをしているからといってこれはやりすぎです」
本来なら客に出した食事の分から余ったものをいただく予定だった。
それがどうしたことか堂々と表から入りまるで銭を払った客人のように振る舞うとは。
私は一人ため息をついた。
「どうして急に暗くなって」
「ため息のひとつでもつきたくなりますよ」
私は頭を抱えた。
「言いませんでしたか。お願いがあると」
「ああ貴族に狙われているんだかなんとか」
「相手はわかりませんがとにかくここ一月あまり何者かかがつけているのです」
「それで警護を頼みたいと」
それにしてはのんびりとした光景だ。
「まあ話は聞いてやらなくもない」
「だがそれには銭が必要だぜ」
男はニヤリと笑った。食事のときも身に付けている白い布は顎のしたまで下ろされて辛うじて口許だけが目にはいる。だがその目付きと合間ってはっきり言って美男子とはほど遠い。
(母さまだったらどうやったのだろう)
「どうしたぼんやりして」
「いえ契約したはいいですが話を聞くより食欲が勝っている人相手にどう話をつけようかと思いまして」
男は豪快に笑った。
「お前結構面白いな」
「あなたに言われたくありません」
「浅黄喧嘩はよしなさい」
案の定女将にたしなめられる。
「私があなたをここに置いているのだって元をただせばあなたの母さまに恩義があるからですよ」
私は京の宿を転々として生活していた。
以前お世話になった方に母の代わりに巫女としての仕事を果たしていた。
実際は母に習った祝詞や呪術の真似事だったが。
私には巫女としての力があるのかどうか定かではない。
本来なら歩き巫女として青墓や橋本の宿に向かうべきだったが私一人の力で旅ができるはずない。
それでも旅を試みたことはあった。
傀儡師たちに混じり集団で移動したこともあったが結局半人前の私ができることは少なかった。
だから自然と京に定住するようになり今に至る。
「申し訳ありません女将さん」
「そう素直なのはあなたの取り柄なのでしょうけど」
ふふっと女将は笑った。
「それでこの客人をいったいどうするおつもり」
「用心棒の代わりに雇うことにしたのです」
幸い小さい頃からためてきた金がある。これに女将からもらうお給金をあわせれば男一人くらい雇えるだろう。
「浅黄、最近誰かにつけられているといったけど神経質になりすぎじゃないかしら。心配ならあなたを使いに出すのをしばらく控えることにするわ」
「でも」
この時代人さらいなんて珍しくない。もし一人のときに狙われたらそれこそ抵抗できずに拐かされてしまうだろう。
「私決めたんです」
私がこの宿のためにできることといったら小間使いの真似事くらいだ。歩き巫女だった母とちがって私に力がないのはうすうす勘づかれている。
「一日百文でどうですか」
「それはちょっと安すぎやしないか」
男は呑気に食事をしながら給金をあげようと交渉してくる。
「この犬神人さまを雇っておいて相場の賃金とは納得がいかないな」
「それでは九十文で」
「額が下がっているじゃないか」
男は唾を飛ばしながら反論する。
「だったら二百文だ」
「それこそ相場の倍ではありませんか」
そんな額を支払えるほど懐に余裕はない。
「十日で一貫です。それ以上は出せません」
きっぱりといい放つと男は一人ぶつぶつと呟く。
「十日で一貫か。悪くない話だな。まあ俺が弦を売っているより儲けが出そうだしな」
男は一人うなずく。
「よしわかった。お前の用心棒として働かせてもらう」
だが、と男は付け足す。
「俺には祇園での仕事がある。お前さんの用心棒をする間もこれは続けなくちゃならない」
「ということは」
「俺が仕事のときはお前さんがこっちに来てもらうと言うのはどうだ」
「こっちというのは」
「俺の仕事場にだよ」
「弦を売っているだけではないのですか」
「当たり前だろ」
男は再び唾を飛ばしながら話してくる。
「弦売っているのは小遣い稼ぎだ。俺らにはもっと大事な仕事があるからな」
「どんな」
「おいお前犬神人のことなにも知らないで仕事を依頼してきたのかよ」
「はい」
正直母に教えてもらったこと以外知っていることは少なかった。
「俺らの普段の仕事は祇園の境内の掃除だ」
意外と真面目に働いているらしい。
「ガキにちょこまかされると面倒だからお前も祇園の境内で俺の仕事の間は待っておけ」
「それってちょっと理不尽では」
「なに破格の値段で俺様を雇おうとしているんだからすこしくらい制約がついたってどうってことないだろう」
本来なら仕事の間用心棒をしてもらおうと思っていたのに。
「なら浅黄、あなたも休みをとりなさい」
話を聞いていた女将が提案する。
「ここ最近ずっと働き通しだったでしょう。たまには息抜きをしてきなさんな」
祇園の西にあるこの宿からはそう距離もない。
「じゃあ浅黄とやらにはついてきてもらおうか」
「待ってください。あなたのお名前をまだうかがっていません」
「ああそうだったな」
男はすこし目を閉じてから口を開いた。
「俺は成王丸だ」
「私は浅黄よ。よろしくお願いします成王丸」
右手を差し出し握手をする。これで契約成立だ。