第十九話 中宮
中宮さまと出会えるのは案外早くにできた。
というのも典侍のために作った袿の評判がよく、次は中宮さまの単を作ることになったからだ。
「伊勢、あなたのお陰で立派な袿ができたわありがとう」
典侍は私に声をかけると私の仕事を誉めてくれた。
「これからあってほしい人がいるの」
「と言いますと?」
「あなたの仕事ぶりが評判になって中宮さまが是非ともあなたに単を作ってほしいといっているの」
中宮さまとお会いすることになるのか。私は久しぶりに緊張するのを感じた。
「まあ伊勢、あまり肩肘はらなくて結構よ」
「でも相手は中宮さまですし」
「失礼がないようにするのは大切だけどそれで大事なことを忘れてはなりませんよ」
大切なこと。それは相手のことを思いやること。
「さあ笑顔を作って」
「いひゃいです」
頬を引っ張られると自然と表情も緩む。典侍は満足げに笑った。
「行くわよ」
彼女につれられ、弘徽殿に移動する。
「ここが中宮さまのいらっしゃる弘徽殿ですか」
「そうよ。でも無駄口は叩かない」
ぴしゃりと典侍が言い放つ。
確かに噂話をされるのは中宮さまにとって嬉しいことではないだろう。
「中宮さま伊勢が参りました」
典侍が挨拶をすると近くにいた女房が会釈をする。
中宮さまの顔は几帳に隠れて見えない。
「わざわざお越しいただきありがとうございます」
中宮さまの声がする。声はきれいでよく澄んでいた。
「今日は伊勢に用があってお呼び立てしました」
几帳の奥から聞こえてくる声に耳を済ませ私は続きを聞く。
「伊勢には単を作ってほしいのです」
中宮さまの願いならば私は仕事を全うするのみだ。
「私などにはもったいなきお言葉です」
深々と頭を下げると中宮さまが小さく笑った。
「まあ謙虚な方なのね。でもあまり固くならないで頂戴」
「伊勢、笑顔っ」
「はいっ」
典侍に注意される。慌てて笑顔を作り几帳の先に微笑みかける。
「面白いかたね、伊勢は」
コロコロと笑う姿はほほえましく私もつられて笑ってしまう。
明るくて利発な方らしい。私は好感を覚えた。
「中宮さまこそ素敵な方でいらっしゃりお会いできて嬉しいです」
「まあ嬉しいことを言ってくれるのね」
自然と会話も広がり中宮さまも時おり楽しげに笑っている。
「まだ冬だから気が早いとは思うのだけれど。あなたが仕立てた単がほしいと思って」
「お色は何がよろしいでしょうか」
「うーん。そこを迷っているのよね」
「では萌木色はいかがでしょう」
春の息吹を感じさせる色合いは彼女に似合っている気がした。
「そうね。では伊勢の言うとおり萌木色の反物が必要になるわね」
「私たちが用意いたしましょう」
女房にも確認すると彼女はうなずいた。
「では次に行うのは反物の確認と採寸でしょうか」
「時期はいつにいたしましょう」
反物を用意してからだと少し時間がかかる。
「一週間後はいかがでしょう」
女房が進言すると中宮さまも納得したようにうなずいた。
「仕事熱心なのね、伊勢は」
「そうおっしゃっていただきありがたい限りです」
「ふふっまた固くなってるわ」
「はいっ。失礼いたしましたっ」
中宮さまに直接言われると典侍はあきれたように笑った。
でもそうされても居心地は悪くなかった。
この人たちが優しいお陰だろう。
一緒にいると暖かい気持ちになるのだ。
「伊勢は笑うとかわいいのね」
「はい?」
一瞬何を言われたのかわからずすっとんきょうな声をあげてしまった。
「今なんとおっしゃいましたか?」
「あら聞こえなかった?」
「そうやって表情がくるくると変わるところが小動物みたいで可愛らしいわ」
中宮さまはそう告げると一同はどっと笑った。
「あははっ。伊勢がいると面白いわね」
「もう……。あまりからかわないでください」
先日は成王丸をからかった私だったが今度はからかわれる側になるとは。
羞恥に顔が赤くなった。
「赤くなっているところも可愛らしいわね」
中宮さまは女房とおしゃべりを始める。
「あなたといると妹と一緒にいた時のことを思い出すわ」
「私の妹は今亀山殿(亀山法王)のお屋敷にいるから滅多なことがない限り会えないから」
常磐井殿(後深草院)の息子である今の帝(伏見天皇)に嫁いだ中宮さまと、常磐井殿(後深草院)の弟で確執がある亀山殿に嫁いだ彼女の妹。
父である西園寺実兼さまの考えもあるのだろうが血を分けた姉妹が離ればなれになってしまうのは悲しいことだ。
「でも新しく伊勢がやってきてくれたからしばらくは楽しめそうだわ」
そういたずらっ子っぽく笑う中宮さまは可愛らしかった。
「ああ妹に早く会えないかしら」
「中宮さまはしたない真似はよしてください」
女房は困ったように顔をする。
それは当然だろう。
実現できることとできないことがあるのだから。
「私ったら伊勢を見るとつい愚痴を言ってしまうわね」
それに気づいたのか中宮さまは少し反省したような声だった。
「いえ中宮さまの慰めになれば」
彼女の心の隙間を埋めることができれば本望だ。
きっと後宮暮らしは楽しいことばかりではないだろうから。
「ありがとう伊勢。またこうしておしゃべりをしてもよろしいかしら」
「はい気が向いたときに呼んでください」
かくして私は中宮さまと懇意にさせてもらうことになった。
「伊勢、気に入ってもらってよかったわね」
「はい中宮さまもとても優しい方で、お話ししていても利発な方だとわかりました」
弘徽殿を去り、典侍は私に話しかける。
「あれだけ中宮さまが女孺を気に入るのは珍しいわ。あなたって不思議な人ね」
「恐れ入ります」
「また萎縮しちゃって」
典侍に肩を叩かれる。まるで励ましてくれているみたいだ。
「中宮さまがあんなに楽しそうにしているのを見るのは久しぶりよ。後宮に入ってからは塞ぎ混むことも多くてね。気丈な方だから周囲には気を使わせまいとされるから」
だから明るい顔が見れてよかったと微笑んだ。
「私もこれからいっそう精進しなければなりませんね」
「そうね」
お互い顔を見合わせて笑う。
これから良いことがあるはずだ。
そう信じて生きていければきっと良いことがあるはずだ。