第十話 危機3
「じゃあ戦いといくか」
放免はそう告げると私から一定の距離をおいて七曲の鉾を構える。
「この嬢ちゃんは奇妙な呪符を使ってくるから気を付けろ」
隣にいる浅原に伝える。
「言われるまでもない」
浅原はつまらなそうな声で答える。
「そこの娘、私に宣戦布告したからには簡単にやられてしまっては興ざめだからな」
せいぜい努力するがいいと浅原は鼻で笑った。
「では参ります」
私は刀印を作り九字を切る。
「臨兵闘者皆陳烈在前」
「くっ」
放免は苦しそうに息を漏らす。
だが浅原は何食わぬ顔でこちらを観察している。
再び刀印を作って。
「烈破」
目の前で小さな爆風が起きる。
(この部屋にいては勝てそうにないわ)
このままでは危ないのでかくまわれていた部屋の外に出る。
月夜の下で戦うことにする。
「なかなかやるみたいだな」
私は肩で息をしながら相手の動きに会わせる。
「行くぞ」
冷静に私の急所を狙ってくる。
「ふっ」
それを一つ一つかわしていく。
「おいおい手が止まってるぜ」
放免が鉾を振り回す。
まずい。九字を切ったはずだが効果は今一つだったようだ。
仕方がない。再び呪符を取り出して。
放免に投げつける。
「おっとその手には乗らないぜ」
男は呪符を鉾で振り分ける。
「まだまだ俺を楽しませてくれるな」
「もちろんですよ」
呪符を次々と投げるがことごとくかわされる。
(まずい)
私の攻撃は見破られている。
(母様、私に力を)
母に教えてもらった呪術を反芻する。
私が覚えているものはあと少しだけだ。
それも使ってしまえば手の内がばれてしまう。
放免の攻撃を一つ一つかわしてその隙を狙う。
それがこの場を乗り越える唯一の手段だった。
だが男の攻撃はこちらの弱点をついてくる。
小袖では身動きが取り辛く時おり袖が鉾に触れるのがわかる。
「おい集中してないな」
男の刃が肩を掠める。
「痛いっ」
このくらいで弱音をはいてはいられない。
肩口から血がどくどくと溢れるのを感じる。血潮が溢れ小袖が深紅に染まる。
「降参か?」
放免は愉快そうに笑った。人の血を見るのが好きでたまらないような様子で。
「もうそろそろしまいにしようか」
男たちが一歩二歩と近づいてくる。それを。
「東海神、西海神、南海神、北海神、四海の大神、千鬼を退け災禍を打ち祓いたまえ。急々如律令]
呪符を構えて詠唱する。
「くそっまた同じ手を使ってきたな」
放免は顔をしかめた。
「私に任せてもらえないか」
浅原が放免に話しかける。
「この娘を殺せればそれでいい。私としては次の仕事に移りたいのだが」
「次の仕事?俺は聞いてないぜ」
放免は声を荒げる。
「私にはもっと偉大な仕事があるのだ。かのお方から依頼された……」
浅原は陶酔したように呟く。
「禁中の帝を廃する絶好の機会であろう」
成王丸の言っていた通りだった。この男は帝の命を狙っている。
「おいおい禁中などよくわからねえがそれはまずいんじゃないのか」
「俺も検非違使の端くれだから言わせてもらうが国の頂点にいる帝をどうにかするのは賛成できないぜ」
どうやら放免にとっては難しい問題のようだった。
「それよりこいつをどこかで売り払って金にする方が懸命な気がするが」
「うるさい。私には偉大な目標があるのだ」
浅原は目を真っ赤にして言った。
「持妙院統の血族を根絶やしにして、大覚寺統の繁栄をもたらすこと。それが私の使命なのだ」
男は月を見上げその台詞に酔ったように呟く。
「私は使命を全うするのみ」
喉元に太刀を突きつけられ私は身動きをとれないでいた。
「さあそこの小娘、今度こそ最後だ。約束を果たせなかったのだからな」
そうだ。私はこの二人を倒せなかった。
「だが余興には十分だったよ」
刀が月明かりに照らされてぎらりと光る。
彼の残忍な性分が如実に現れた瞬間にも思えた。
じっと私は二人を見つめる。
「おいおい浅原考え直さないか」
「確かに嬢ちゃんを殺すのもいいが金が手に入らないのではたまったもんじゃない」
「うるさい放免」
互いに主張が食い違い論争を始める二人。これは反撃の絶好の機会かもしれない。
再び刀印を作り。
「烈破っ」
ボンっと破裂する音がする。
「この娘、まだ反撃する気力が残っているのか」
浅原は顔を赤くしてこちらに切りかかってくる。
「烈破っ」
もう霊力が切れかかっている。
それでも。
幾度となく同じ呪文を口にする。
そして刀印を作る。
「さすがといえばいいか。だが反撃もこれまでだ」
浅原は放免の鉾を奪い取り二刀流で攻撃を仕掛けてくる。
尋常ではない早さで一振り二振り正確に切りつけてくる。
次の瞬間だった。
刀が私の腹部を向いていた。
まずい。刀の動きが異常にゆっくりと動いて見える。
足がもつれて上手く避けることができない。
今度こそ最後なのかもしれない。
私は自分の命が潰えるのを肌で感じた。
こんなときに母様がいればと幾度となく思う。
だが彼女はとうの昔に亡くなってしまった。
こんなときに頼れる人間を私は知らない。
思い出が走馬灯のように流れる。
思えば短い人生だった。
優しかった母との思い出。
彼女との別れ。そして京の町で過ごした日々。
そのどれもがありふれていて二度と戻ってこない日常なのだ。
もう最後だと思えばどれもがいとおしくなる。
優しかった人たちの思い出とともに私は死ぬのだと悟る。
「なに諦めたような顔してるんだよ」
聞き覚えのある声が背後からする。誰だろうと思う。
振りかえるとよく知った顔が露になる。
夜でも映える柿染めの衣。口許を隠す白い頭巾。
「成王丸っ」
「待たせたな」
男は私を抱き抱えて応急処置を施すと浅原に向かって刀を振った。
「怪我人がいるところで戦うのは無謀だぞ。随分と自信があるんだな」
浅原は嘲笑した。
「あいにく剣の腕には自信があってな」
成王丸は意に介さず静かにだが鋭い一撃を次々に放っていく。
「お前には負ける気がしないな」
「帝の妹宮を誅するのが私の使命だ」
敵方も黙ってはいない。双方ともが鋭い剣捌きで互いの急所を突いてくる。
「俺の使命はひとつだけだ」
「こいつとの約束を守ることだ」
それは十日だけの契約。彼が私を守るための。
眦に涙が浮かぶ。
(よかった)
彼が私を救いにやって来た。私の危機に。
「成王丸っ」
「お前は安心して待ってろ」
斬ッ
敵の刃がこぼれ反撃の機会が訪れる。
「行くぞ」
一振りで浅原との間合いを詰め喉元に刃を向ける。
「これで最後だ」
成王丸がじりじりと詰めより喉元から血が一筋流れ出る。
「くそこれまでか」
浅原は懐から何かを取り出す。
次の瞬間。
辺りは煙幕に包まれた。
「逃げられたか」
満月の下ではひとっこ一人いない。
「おい浅黄、大丈夫か」
「大丈夫……です。それよりもあちらの方を」
尼が怪我をしているのだ。放っておくわけにはいかない。
「あいつの手当てだな。人を呼んでくる」
「よろしくお願いします」
辛うじてその言葉だけを残して私の意識は闇へと落ちていった。