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第3章 決意 1

 窓から差し込む陽射しで、新弥は目覚めた。

 薄目を開けると、そこには見慣れぬ天井があった。

 覚醒しきらぬ意識の中で、ここはどこだろうと新弥は思った。ぐっすりと眠ったように感じる。そう言えば、ここのところ連日見ていた夢を見た覚えがない。新弥は、ゆっくり瞼を持ち上げていく。

「ここ、どこ?」

 一つ新弥は呟いた。

 自分の部屋でないことは、確かだ。上体を起こし辺りをきょろきょろ眺めた。

「ああ、そうか」

 新弥は思い出した。

 自分は、レノア・ラ・シュティーミルによって、英雄にして聖女であるジャンヌ・ダルクと共にフェルナージアという異世界へと召喚されたのだ。

 夢なら醒めて欲しいと思ったが、目覚めても元の世界に戻ったりしない。あり得ないことだったが、現実として突きつけられる。新弥は、のろのろとベッドから起き出した。

 何も分からぬ世界で生きていかなければならないのかと思うと、憂鬱になる。このフェルナージアは、化け物やエルフのような妖精族がいるまるきりファンタジーの世界だ。不安この上なかった。

 ジーンズにパーカーといったこの世界にやって来たときの格好のまま寝たので、そのまま新弥は靴を履き部屋をあとにする。

 廊下にはずらりと等間隔でドアが並んでいた。確か、新弥の部屋は使用人部屋だとセシルは言っていた。

 玄関ホールを挟んで反対側の廊下の突き当たりに、テラスがあることに新弥は気付いた。外の空気でも吸おうと思い、そちらへと向かう。歩きながら、それにしても広い屋敷だと新弥は呆れた。レノアが伯爵と言うのは、伊達ではない。

 扉は開け放たれており、涼やかな風が吹き込んできた。

 新弥は、テラスへと出た。

 眼下には赤い屋根と白い壁をした家々が、美しく広がっていた。まるきり中世といった風情だった。尤も、元いた時代にもEUなどは積極的に昔の建物を残していて、中世の町並みを見ることはできるのだが、新弥はそのようなことに無頓着だった。

 シュティーミル伯爵領の町は、ぐるりと周囲を山々に囲まれていた。悪くない風景だった。

 視線を手前に戻すと、ボート小屋を備えた池があった。

 とても水は澄んでいて、下が見えそうなほどだった。

 太陽の位置から、ここは屋敷がある高台の東側だった。

「バニー」

 そう呼ぶ、伸びやかな声が聞こえてきた。

 一瞬、誰のことだろうと思った新弥だったが、自分のことかと声の方を見る。そこには、青いチュニックを帯で結んだジャンヌが、手に木剣を握りボート小屋の陰から出てきた。

 身体のラインが見えやすい服であるので、ジャンヌのふくよかな胸とすんなりとしながら女性的起伏を有した全身が、よく分かった。

 肩下まで伸ばした栗色の髪に縁取られた顔は、凜然とした美しさを湛えていたが、若干陰りがあった。それは、緑色グリーンの瞳にも現れていた。

「ジャンヌさん、お早うございます」

 どうしたのだろうと思いながら、新弥は朝の挨拶をした。

「お早う、バニー」

 少々弱々しくはあったが、ジャンヌは笑みを浮かべた。

「ジャンヌさんは、朝から剣の稽古ですか?」

 昨日この世界にやって来たばかりなのに、さすがは英雄と新弥は感心した。

「さんは要らないわ。同じ世界から来たバニーには、ジャンヌって呼んで欲しい」

 親しみを込めてバニーと呼びながら、ジャンヌは優しげな顔をした。

「僕なんかが、ジャンヌさんを呼び捨てだなんて」

「ほら、また」

 クスリとジャンヌは笑った。そうすると、春の陽射しが零れたような輝きが発せられた。

「あ、あの、じゃあ、ジャ、ジャンヌ」

 少し顔を赤らめながら、新弥はジャンヌを呼び捨てにした。

 ジャンヌの優しげな雰囲気に、負けてしまった。

 そんな新弥を、ジャンヌは微笑ましげに見ていた。

「これからは、そう呼んでくださいね」

 ジャンヌは、念押しをしてきた。

「あ、ははははは」

 思わず照れてしまった新弥は、笑って誤魔化した。

 年上の魅力的な外国人の少女と親しげに話す日が来るなどと、新弥はこれまで夢にも思っていなかった。一瞬だけだが、ここが異世界だということを新弥は忘れそうになった。

 そう言えばと、新弥は思い出した。声をかけてきたとき、ジャンヌの表情が曇っていた。

 彼女の言うとおり、新弥は一緒の世界からこのフェルナージアへとやって来た。同郷の士と言うには本来の世界で生きた時代が異なるが、唯一新弥がいた世界を知っている人物だ。

 魔人という化け物を前にしてがたがた震えていただけの自分が、力になれるのだろうかと思う。それでも、悩みがあるなら、新弥は少しでもジャンヌの憂いを晴らしたかった。

「ところで、落ち込んでいたように見えましたけど、どうしてんですか? ジャンヌ」

 女の子と付き合ったことなどなく女性に不慣れな新弥だったが、勇気を振り絞ってそう尋ねてみた。

「それは……」

 ジャンヌは、言いあぐねている様子だった。

 笑みの浮かんでいた面が、陰った。一度面を少し伏せると、顔を上げ意を決したように緑色グリーンの瞳で、新弥の黒い瞳をじっと見詰めてきた。

「わたしは、この世界に召喚されました。火刑に処せられているときでした。わたしは兵士が掲げてくれた十字架に誓い、神の御許に召されることを受け入れました。なのに、こうして生き延びてしまいました」

 胸に手を置きながら、ジャンヌは表情に憂いを宿した。

 その言葉を聞いて、新弥は自分などとは全く違ったこの崇高な少女を眩しく感じる。と、同時にジャンヌをこのように思い詰めさせた時代や周囲が許せなかった。

 フランス王として戴冠させたシャルル七世は、捕らえられたジャンヌを救うことはしなかった。異端として葬られた。名誉が回復したのは、死後だ。

「わたしは、神に見捨てられたのでしょうか?」

 痛切に耐えるように、ジャンヌは真摯に問いかけてきた。

 どこまでも純粋でひたむきに、新弥の目にジャンヌは映る。

「逆じゃないのかな?」

 信仰心の欠片もない自分が何を言えるのだろうと思いはするが、新弥は言葉を選びながら答えた。

「ジャンヌは、必要とされてこのフェルナージアに召喚された。昨日、レノアが世界を救って欲しいって言っていたじゃないですか。ジャンヌは、この世界に求められて来たんだ。あの魔人って化け物を見たでしょう。とても、ただの人間に太刀打ちできるように、僕は見えませんでした。それこそ、あんなものを送り出してくる魔王とやらをどうにかできるのは、英雄だけです」

 新弥は、言い募った。

 黙ってジャンヌは真偽を聞き分けるように、耳を傾けている。

「それって、神が生きろって言っているんじゃないでしょうか?」

 神など信じていなかった新弥だったが、ジャンヌのためにそう言った。

「本当に?」

 ジャンヌは、縋るような視線を新弥に向けてきた。

 初めて、新弥はジャンヌ・ダルクの本質を知ったような気がした。

 ジャンヌは英雄や聖女と後世で称えられるが、悩みもする一人の女の子なのだ。彼女は、きっとこうして悩みながら、一〇〇年戦争を生きたのだろう。

「でなきゃ、こんな奇跡のようなことは起こらないでしょう。別世界――異世界にやって来るだなんて」

 このとき、新弥は異世界に来たことをジャンヌの前では決して嘆くまいと決めた。

「……そうね。バニーの言うとおりかも知れない」

 少しだけ、ジャンヌの表情が晴れた。

「絶対にそうです」

 新弥は、力説した。

「ふふふ」

 クスクスと、ジャンヌは笑った。

「あの?」

 自分はおかしなことを言っただろうかと、新弥は不安になった。

「ごめんなさい。何だかおかしくて」

 そう言いつつ、ふとジャンヌは新弥の胸元に視線を注いだ。

 緑色グリーンの瞳が、驚いたように見開かれている。

「それって……いしずえの指輪」

「え?」

 新弥も、自分の胸元を見た。銀のチェーンで、銅の簡素な指輪が下がっていた。

「それをどこで?」

「フランスへ家族で旅行に行ったとき、ドンミレ・ラ・ピュセルで見付けました」

「ドンミレで……」

 そう言って、ジャンヌは息を詰めた。

「あの、礎の指輪って?」

 気になって、新弥は尋ねた。

「わたしが、神に祖国救済の力を与えてもらうために、対価として村の広場に埋めた指輪よ。名前は元々なかったんだけど、〝代償として捧げた礎の指輪は、そなたの思いとして受け取った〟と神に啓示を受けたときに言われて」

 少々、口調を厳かにしてジャンヌは語った。

「じゃあ、これは元々ジャンヌの物だったんですか?」

 新弥も驚いた顔をしていた。

「そうですか。それを未来のバニーが持っていたのですか」

 不思議なこの邂逅に、ジャンヌは感慨深げな顔をしていた。


 朝食の食卓には、新弥、レノア、ジャンヌ、セシルが就いていた。

 昨夜のような豪勢な食事ではなかったが、フレンチトーストとスープにスライスされた燻製肉を添えた新鮮な野菜サラダは、とても美味しそうだった。

「世界を作りたもうた神々よ、糧に感謝いたします」

 レノアとセシルは、新弥の知らない祈りの言葉を瞑目し口にしていた。

 レノアは、茶色い革でできた太股の半ばまで隠れるスカートにブーツを履き、青い柄の入ったシャツを帯で身体の前に結んだ格好をしていた。編んで一つにまとめた黒髪は、左肩に垂らしている。

 セシルは、革ズボンにブーツを履いて、薄花色うすはないろをした丈の短いチュニックを金属ベルトで締めた、戦士風の格好だった。

「父よ、あなたの慈しみに感謝して、この食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。アーメン」

 ジャンヌも手を組み合わせて、新弥もどこかで聞いたような言葉を口にすると、ふくよかな胸の前で十字を切った。

 ジャンヌは、早朝と同じく青いチュニックを帯で身体の後ろに縛っていて、いかにも乙女らしい格好だった。

 何だか、新弥は落ち着かない気分になった。

 昨夜はお祝いということで、このようなことは省かれたが、食事の前に祈るとは日本の若者である新弥にはない習慣だった。

 本当に自分が生きていた時代とは違うのだと、実感させられた。自分だけ何もしないのはいかにも不心得者と感じはしたが、特に新弥は何もしなかった。そのような習慣はなかったし、自分が食事に感謝の祈りを捧げている姿を想像して滑稽に感じたからだ。

 やはり、そのようなことが当たり前に生きてきた者でなければ、似合わない。

「いただきましょう」

 レノアがそう言いナイフに手を伸ばすと、ジャンヌやセシルも食事に手を伸ばした。

 新弥も、スープを一口飲んだ。自然な味付けが口の中に広がった。

 昨夜も思ったが、シュティーミル伯爵家で出される食事の味付けは素朴な感じがしながら、とても手が込んでいるように思える。異世界にやって来させられて、取り敢えず食事に文句はなかった。

「今日はどうしようかしらね」

 フレンチトーストを上品に切りながら、レノアが思案顔で呟くようにそう口にした。

「僕は、朝食を終えたら町へ行くから」

 最初こそ異世界などに来て不安この上なかった新弥だったが、同じ境遇のジャンヌの悩みを知った。元の世界へ戻りたいといった思いを表に出すことは、この世界で生き直す彼女を否定することになるので悩むことをやめた。

 そうすると、見知らぬ世界だ。興味が湧いてきたのだ。まさしく中世の西洋といった町並みには、心躍るものがある。

「駄目よ」

 すげなくレノアは新弥の言葉を退けた。

 ツンとすました彼女の態度は素っ気なく、新弥はむっとする。

「どうしてさ? そこまで指図される謂われはないよ」

 確かに衣食住の面倒をみてもらっているが、些細な行動を制約される覚えはない。

「バニーの格好」

 言いつつ、レノアは片目を瞑り碧い瞳で、新弥を上から下まで眺めた。

「確かに」

 一つ、ハーフエルフのセシルが頷く。

「僕の格好が何なのさ?」

「そんな格好で出かけたら、町の住民たちに不審がられるわ。分からないの?」

 小馬鹿にするような口調のレノアだった。

「なるほど」

 ジャンヌも、納得顔をした。

 新弥は自分の格好――ジーンズにパーカーといった服装を見た。

「ああ、そうか……」

 新弥も理解した。

 自分にとってはあまりに当たり前の格好で、全く気にしていなかった。

 だが、ここは知らない世界でまるきり中世だ。そのような場所で、おかしな格好をしているというのは、危険なことだった。

 元いた世界でも、格好だけで命を奪われるといったこともあるのだ。そこまではいかなくとも、町へ行けばきっと奇異の目を向けられるだろうことは、確かだ。そのような視線を受けながら、町を探索しても楽しくはない。

「この格好はまずいか」

 パーカーを摘まんで、新弥は残念そうな顔をした。

「あとで、バニーの服を用意するから、今日は我慢して。別に、町へ行くくらい好きにしてくれて構わないから」

 そうレノアは、慰め顔をした。

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