第2章 フェルナージア 3
「どうして、僕の部屋はここなわけさ」
新弥は、いかにも不満そうにレノアに文句を垂れた。
壁の燭台に立てられた蝋燭の炎が照らし出す廊下には、同じ作りをしたドアがずらりと並んでいる。
窓の外は、黒々とした闇が支配していた。もうすっかり、深夜だった。
「当然でしょう」
形のいい頤を上げ、レノアは見下すように湖面を思わせる碧い瞳で新弥を見た。
「確かジャンヌを案内した部屋は、凄く豪華だったよね」
じと目を、新弥はレノアに向けた。
自分という存在をずさんに扱われ、新弥は面白くなかった。目の前の部屋は、ベッドが置かれただけの質素な作りだった。ジャンヌがあてがわれた部屋とは、偉い違いだった。
「だって、向こうは客室だもの」
当然のように、左肩に垂らした編んで一本にまとめた艶やかな黒髪をいじり、レノアはしれっと答えた。
「レノア様」
琥珀色の瞳を若干白ませ、セシルが口を挟んだ。
「何? セシル」
碧い瞳に何の疑問も浮かべず、レノアは振り向いた。
「さすがに、これは……」
躊躇いつつセシルは言葉を口にするが、
「……ちょっと……」
と、言い淀んでしまう。
軽く柳の眉を寄せ、弱った顔をしながら思案している様子だった。
「どうしたのよ? セシル」
心底不思議そうな顔を、レノアはした。
新弥は、セシルが言いあぐねていることが、分かった。だから、代弁した。
「同じ異世界から来たのに、扱いの差が激しく違いすぎませんかね?」
新弥の言葉に、セシルはこくこく頷いている。
「このフェルナージアに、異界からバニー殿はやって来られた方です。それを、使用人部屋を割り当てるというのは、どうかと」
やんわりと、セシルは新弥の待遇改善を求めた。
「ああ、そのこと。バニーは使用人部屋で十分よ。だって、呼んでないし」
さらりと冷たく、レノアは言い放った。
「呼んだだろう! だから、僕はこの世界にいるんだし」
さすがに、新弥は抗議の声を上げる。
訳の分からない世界に来ることになったというのに、あんまりな言葉だった。
「あたしが呼んだのは、ジャンヌよ。バニーは何故かおまけで来てしまったのよ。必要としているのは、異界の勇者――英雄であって、臆病者じゃないわ」
綺麗な眉を、レノアは吊り上げて突き放すように言った。
咄嗟に反論しかけて、新弥は口をつぐむ。臆病者との言葉が、突き刺さる。ジャンヌが勇ましく戦う姿が思い出される。レノアも、魔人という化け物を目の前にして、怯んだ様子は全くなかった。
新弥は、自分はジャンヌやレノアのように戦い方なんて知らない、あんな化け物を相手にできない、平和な国で生まれ育ったんだ、と心の中で反論した。その途端、何て自分は情けないのだろうと、どこか戦いを他人事のように感じていた新弥は、自責の念に駆られた。女の子も果敢に脅威と向き合ったというのに。
レノアの言うとおり、新弥は全くの臆病者だった。
「ですが、バニー殿は、貴重な異界からの客人です」
セシルは、そんな新弥を弁護してくれた。
じーんと、新弥は感動した。
情けない自分を庇ってくれるセシルに、感謝の視線を注ぐ。
その視線に気付き、軽くセシルは細やかに整った顔に笑みを浮かべる。
同じ世界の住人であるジャンヌが一緒というのは心強いが、彼女は新弥と違い元から英雄であり聖女だ。同じ人間とは思えない。異世界に心細さを感じる新弥にとって、セシルの気遣いは素直に嬉しい。
異種族であるエルフのことは、ファンタジー小説や映画でしか新弥は知らないが、誇り高く簡単に別種族に心を開かないとされるが、セシルは違うようだった。
尤も、彼女は人間とエルフのハーフであるらしいが。
「そりゃまぁ、確かに貴重ではあるけど」
じっと、レノアは新弥を見詰めた。
碧い瞳には、品定めをするような色が浮かんでいる。
「何かできるってわけじゃなきゃ、価値はないわ。異界の話を聞いても、あたしたちの助けにはならないから」
すぐさま興味をなくしたような顔を、レノアはした。
「勝手に呼んでおいて、それか!」
新弥は、冷ややかな眼差しをレノアに送った。
「召喚しておいて、それは薄情な気がしますが」
ちらりと、セシルは咎めるような視線をレノアに送る。
「右も左も分からず頼る者もいないこの世界で、バニーをほっぽり出したりしないわよ。処遇はちゃんと考えるわ」
新弥とセシル二人の冷たい視線を受けて、少し焦った顔をレノアはした。
「それは、ありがたいね」
どうなるのだろうと、新弥は不安を覚える。
ほっぽり出されたりすれば、全く知らない世界でのたれ死にだ。
「ともかく、もう遅いし。明日、どうするか考えましょう」
「はあ……」
レノアの言葉に、セシルは迷いを見せたが頷いた。
「じゃあ、お休み。バニー」
「よい夢を、バニー殿」
レノアとセシルの二人は、部屋から去って行った。
新弥は、疲れたと思いドサリとベッドに横たわった。
窓から、大小三つの半月が迫る夜空を見た。
「ああ、本当にここは異世界なんだな」
再びそのことを、新弥は実感した。
視線を移せば、眼下には町の明かりが見えた。幻想的とも言える光景だった。ガス灯か何かが、等間隔で道に並んでいて青白い光を発していた。
「これからどうなるんだろう」
景色を見ながら、新弥は独りごちた。
「これが夢なら醒めて欲しいけど……異世界に来るだなんて」
心細いことこの上なかった。
新弥は不安を覚えつつ、異世界の美しい夜景に魅入るのだった。