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第2章 フェルナージア 1

 レノアの屋敷は、町の中心、木々が生い茂った高台の上にあった。

 伯爵というだけあって、日本でマンション住まいをしていた新弥にとって、その屋敷は広々としていて豪華なものだった。

「伯爵って、こんな凄い屋敷に住んでるのか。貴族だものなー」

 感嘆の声を、新弥は上げた。

 生まれてこの方、このような大豪邸に近づいたこともなかった新弥は、口をあんぐり開けて眺めていた。

「悪くないでしょう。気に入ってるの」

 胸を張るレノアは、気をよくしたようだった。

「それだけ、領民から搾取しているわけか。酷いよな」

 自慢げなレノアが気に入らず、歴史の授業と読み物で手に入れた知識で、新弥はそう嫌みを口にした。

「失礼ね。シュティーミル伯爵家は、領民に不必要な苦労なんてさせてないわ。大貴族の屋敷と比べれば質素だもの」

 気の強そうな綺麗な顔を紅潮させ、レノアは新弥を睨み付け抗議した。

「質素ねー」

 日本では一庶民でしかなかった新弥は、黒い瞳を白ませレノアを見る。

「バニー、この地はよく治められていると、わたしは思います。下に広がる町の様子を見れば分かる。決して、ここの領民たちは、虐げられているようなことはありません」

 そう窘めてくるジャンヌが、自分をバニーと呼んだことに新弥や軽くショックを受けた。横文字で呼ばれることに、慣れていないのだ。ここは日本ではないと、改めて感じる。確かに、西洋人からすればバニーの方が呼びやすいのかも知れないが。

「そうよ。さすがは異界の勇者殿だわ。見るところを、ちゃんと見てるもの」

 機嫌良く笑顔を、レノアはジャンヌに向けた。

「いいえ」

 謙遜気味に、ジャンヌは首を振る。

「バニーは、やっぱり駄目ね。ものの見方がなってないわ」

 ふふんと、レノアは新弥に対して優越感を漂わせた。

 自分と同じか年下に見えるレノアに、そのような言い方をされ新弥は面白くなかった。

「ま、綺麗な町だとは思うけど」

 生意気で突っかかってくるレノアを認めるようで癪だが、ジャンヌに遠慮して新弥はそのような言い方になる。

 だが、その言葉に嘘はなかった。屋敷を中心として広がる赤い屋根と白っぽい煉瓦でできた壁を持った家々が並ぶ町並みは、美しい纏まりを見せている。

 三人は、屋敷の大きな玄関をくぐった。

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 と、濃紺を基調としたエプロンドレスを着た使用人二人が、出迎えた。

「居間にお茶を用意してちょうだい」

 レノアはそう声をかけると、屋敷の中を進んで行った。

「畏まりました」

 二人の使用人は、レノアに向かって深々と頭を下げた。

 本当に、レノアはシュティーミル伯爵家の当主なのだと、新弥は実感する。

「こっちよ」

 新弥とジャンヌに、レノアは呼びかけた。

 廊下を歩いて行き、広い一室へと入った。背の低いテーブルを中心にソファーが置かれており、ゆったりできる空間だった。

「二人とも座って」

 奥にふわりとレノアは座ると、新弥とジャンヌにソファーを手で指し示した。

 新弥とジャンヌは、レノアの真向かいに座る。

 お茶が運ばれてきた。赤い紅茶が注がれたカップを人数分置くと、使用人は頭を一つ下げて出て行った。

「さてと」

 紅茶で喉をしめらせると、レノアは口を開いた。

「あなたたちがどこの世界にいたか分からないけど、ここはフェルナージアという世界よ」

 新弥とジャンヌを見ながら、レノアはそう告げた。

「フェルナージア……別の世界……」

 知らない世界の名前。

 ああ、本当にここが異世界なのだと、新弥は実感する。

 ここは、日本でもなければ地球でもない。あのような化け物が出てくる世界は、別の世界だけだ。さすがに、皆で担いでいるとはもう新弥も思ってはいない。

「どういうことなのか、わたしにはよく分かりません」

 ジャンヌは、小首を傾げた。

「あなたたちがいた世界とは、別の世界ということよ」

 端的に、レノアはそう説明した。

「別の世界?」

 ジャンヌは、ピンとこない様子だった。

 それはそうだろうと、新弥は思う。ジャンヌが生きた時代よりもずっと思想が自由な未来から、このフェルナージアという世界にやって来た新弥にしても、夢か冗談かと思える。

「死後の世界ということでしょうか?」

 さらにジャンヌは、混乱した様子だった。

「死んだわけじゃないよ。地球……ジャンヌがいたのはフランスがある世界だけど、そことは別に存在する世界ってことだと思う」

 自分自身も納得するために、考えを纏めながら新弥は話した。

「あら、バニーはよく理解できてるじゃない」

 意外そうな視線を、レノアは新弥に送る。

「死後の世界ではないのですね」

 そう言うとき、一瞬ジャンヌの凜然とした美しい面が、陰ったように見えた。

「ええ、そうよ」

 ジャンヌの言葉に、レノアは頷く。

「ここが別世界として、僕とジャンヌは生きていた時代が違う」

 新弥は首を傾げた。別の時間を生きる者が、こうして同じ世界の同じ時代に来たことが、今一つしっくりこない。

「召喚は、時空を越えて行われるから。異界と異界は、時間も場所も一点に集中して繋がるのよ。……今回はレアケースだし」

 形のいい頤に、レノアは指をあてがった。

「つまり、時間軸と空間軸が同時に繋がったわけか」

 うーんと、新弥は唸る。

 空想小説とかでかじった知識を総動員する。

「ふーん、そこそこバニーは理解できるみたいね」

 碧い瞳に観察する色を浮かべながら、レノアは新弥を見た。

「で、僕たちがこのフェルナージアに来たのは、レノアが召喚したからだと?」

 先ほどレノアが言っていた冗談かと思えることを、新弥は尋ねた。

「ええ、そうよ。我が家に伝わる召喚石に、魔力をためるのに一月近くかかったわ。さあ、これから召喚しましょうってときに、魔人に領内へ侵入されて参ったわ。でも、お陰で――」

「全く、何てことをしてくれたんだ。お陰で、僕たちはあんな化け物がいる碌でもない世界に来る羽目になった」

 レノアの言葉を遮り、新弥は文句を言わずにはいられない。

「碌でもないとは何よ! それに、あたしはバニーを呼んだわけじゃないわ。ジャンヌのような異界の勇者を呼んだのよ」

 レノアは、冷たい視線を新弥に送った。

「そりゃ、ジャンヌは歴史上の有名人。確かに英雄で聖女だけど」

 新弥は、ジャンヌと比べれば、全く平々凡々な一庶民でしかない。

「ジャンヌよりもあとの時代のバニーも彼女を知ってるの? 英雄? 聖女?」

 嬉しそうな顔を、レノアはした。

「ジャンヌを知らない人の方が、珍しいよ」

 ここがフェルナージアという異世界であることを認めるならば、煤に汚れた簡素な衣服を身に纏った少女は、本物のジャンヌ・ダルクである可能性が強くなる。英雄にして聖女が、目の前にいる。ついつい、新弥はジャンヌを見詰めてしまう。

 煤に汚れながらも美しさが損なわれることは、全くない。正に、思い描いていたジャンヌ・ダルクが横にいる。

「そんなに凄い勇者――ううん、英雄なのね、ジャンヌ」

 立ち上がりテーブルを回り込み、レノアはガシッとジャンヌの手を掴んだ。

「わたしは、英雄なんかじゃ……」

 戸惑った顔を、ジャンヌはした。

「いいえ、異能をあっという間に発現したし、ジャンヌは正真正銘の英雄よ。バニーがどうして来たのか分からないけど」

 ちらりと、新弥を見ながらレノアは舌を出した。気が強そうな綺麗な顔立ちをしたレノアがそうすると、とても可愛らしく新弥の目には映った。

「呼んでおいて、それか」

 レノアに抱いてしまった感想を誤魔化すように、新弥は横目で彼女を睨んだ。

「レノア殿は、どうしてわたしたちを呼んだのでしょう?」

 まだよく飲み込めていない様子だったが、ジャンヌは美貌に憂いを浮かべながら尋ねた。

「それは、さっき戦った魔人のせいよ。この世界では、昔から魔王が現れ人間や獣人や妖精族を脅かしてきたわ。三年前、このシュティーミル伯爵領があるイシュタリア王国の隣国――エスターク公国に魔王が眷属である魔人どもを異界から引き連れ現れた。近隣諸国で魔王を退けようとしたんだけど失敗して、公国は魔王の手に落ちた。エスターク戦役よ。魔王に支配された国の国民は悲惨だわ。家畜のように扱われ酷使される」

 綺麗に整った顔を、レノアは曇らせた。

「次に魔王が狙いを定めたのが、イシュタリア王国ってわけ。魔人の軍勢が出撃の準備を整えているわ。エスターク公国に隣接するこのシュティーミル伯爵領を守るため、魔王を退けるためには、異界の勇者の力が必要なの」

 碧い瞳に、強い意志をレノアは浮かべた。

「ジャンヌ・ダルク、世界を救ってちょうだい。いいえ、ください」

 レノアは、ジャンヌの前で跪き頭を垂れた。

「そのようなことをされるような人間では、わたしはありません。顔をお上げください」

 戸惑いつつ、ジャンヌはレノアの手を取り、顔を上げさせる。

「ですが、レノア殿が望むのならば、この非才なる身をお使いください」

 凜々しく勇ましげな表情を、ジャンヌは美貌に浮かべた。

「ありがとう、ジャンヌ」

 顔を輝かせながら、レノアはジャンヌを碧い瞳で見詰めた。

 全く蚊帳の外に置かれてしまった新弥だったが、英雄にして聖女ジャンヌ・ダルクとレノアという二人の美しい少女が手を取り合う様は、巨匠の描いた絵画のように見えた。

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