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第1章 夢現 2

 イシュタリア王国領内にあるシュティーミル伯爵領は、危機に瀕していた。

 領地は国境沿いにあり、隣国エスターク公国は異界からやって来た魔王とその眷属が統べる国となっていた。魔族の兵士である魔人たちが、イシュタリア王国へ侵攻の準備を始めているのだ。

 シュティーミル伯爵領は、エスターク公国から進撃するのに適した平原近くの山々の中にあり、魔人の軍勢にとって背後を突かれる恐れがあるので捨て置けぬ場所だった。また、侵攻するには橋頭堡としても重要な場所だった。

 今年一五歳になるシュティーミル伯爵家当主のレノア・ラ・シュティーミルは、屋敷の一室で黙想をし精神集中をしていた。前に年代を感じさせる荘厳な作りの祭壇が置かれた、この世界を作った神々に祈りを捧げるための部屋だった。

 レノアの目の前には、青くときおり赤い光が走る六角柱の石が置かれてあった。

 おもむろに、レノアの目が開かれていく。

 湖面を映し出したような碧い瞳には、強い意志の宿りがあった。

「召喚石に十分な魔力はたまっているわ。ちゃんと、異界の勇者を召喚できるはずよ」

 レノアは、自分に言い聞かせるようにそう口にした。

 神に祈りを捧げる祭壇で、信仰以外の魔術や儀式を行うことはタブーではなかった。信仰によって生み出される能力ちからを用いる者ばかりが信徒ではない。魔術を用いる者も、聖法せいほう教会は等しく受け入れている。尤も、レノアは魔術師ではないが。

 レノアは、黒髪を編んで一本にまとめ、左肩の上に垂らしている。気の強そうな綺麗な顔立ちに、碧い瞳が輝いている。青い柄の入ったシャツを帯で身体の前で結んで、控えめな胸のアクセントとしていた。下は、茶色い革でできた太股の半ばまで隠れるスカートに、ブーツを穿いていた。腰には、凝った細工を施された幅広の剣(ブロードソード)を下げている。

 レノアは、召喚石と呼んだ青く赤い光がときおり走る六角柱の石に、手を伸ばそうとした。

 そのとき、部屋のドアが開かれた。

 ノックもせずに、やけに急いでいる様子だった。

 開いたドアから、華奢な作りをした鎧に身を固めた少女が部屋に入ってきた。

 頭部をサークレット状に覆ったヘルムのバイザーは上げられているので、顔が顕わになっていた。少女の顔立ちは細やかに整っていて、金髪を後ろで結い両耳から垂らしていた。思慮深そうな瞳は、琥珀色アンバーだった。全体的に細身で華奢な印象を受ける。そして、なんと両耳が尖っていた。それは、エルフ族の特徴だった。

「レノア様、緊急につきご容赦を。伯爵領内に陣取っていた魔人どものうち、数匹が町へと侵入しました」

 聞き心地のいいアルトで、少女はそう告げた。

「何ですって!」

 レノアは立ち上がり、少女を正面から見た。

「申し訳ありません。じっと構えていた魔人どもが向かってきて、率いていた騎士団の不意を突かれ回り込んでいた魔人数匹に突破されました。わたくしは、それを追って町まで来たのですが、森に入り込まれてしまい見失いました」

 繊細な容貌を持つ少女は、一つ頭を下げた。

「仕方がないわ、セシル。鎧を着ている時間がないから、甲をつけるのを手伝って」

 レノアはそう言うと、祭壇から召喚石を手に取りポケットへと忍ばせた。

 レノアは、セシルを連れて自室へと急いだ。

 セシルに手伝ってもらい、胸甲、腕甲、脚甲を着ている服の上につけていく。

「あたしの美しいシュティーミル伯爵領の町を、魔人なんかが好き勝手に歩き回るだなんて許さないわ! セシルは騎士団の指揮に戻って。町に入り込む魔人は、あたしが撃退するから」

 伸びやかな声で、勇ましくレノアは言い放った。

「危険です、レノア様」

 細やかに整った顔に、セシルは懸念を浮かべた。

「数匹の魔人くらいなら、どうにかなるわよ。セシル、急いでちょうだい。多数の魔人と相対している騎士団の方が心配だわ」

 そうレノアはセシルに命じ、屋敷を出る。

 眼下に赤い屋根が美しい町が、広がっていた。

「では、レノア様。お気をつけて」

 一礼すると、セシルは庭の木に繋いである馬に跨がり、その場を後にした。

 レノアは、歩いて町へと向かう。

 すると、悲鳴が聞こえてきた。

 そちらへ、レノアは走った。

 すると、身の丈二ルアン(メートル)ほどの化け物どもが町に入っていた。黒々とした体皮に覆われた巨躯と、頭にはねじれた角が二本突き出ている。分厚い鎧を纏い、手に大剣や戦斧などを持っていた。

 町の住民は、逃げ惑っていた。

「みんな、急いでこの場から離れて」

 レノアは、領民たちに呼びかけた。

「御領主様」

「レノア様」

 町の住民たちは、レノアの姿を見るとホッとした表情を浮かべた。

 レノアは、一匹の魔人へと近づくと腰に下げた幅広の剣(ブロードソード)を鞘から抜き、斬り掛かる。

 魔人は、その一撃を手の大剣で弾くと、腕を振るってレノアの身体を吹き飛ばした。

「きゃっ」

 短い悲鳴が、レノアから漏れた。

 レノアの身体は、民家の白い煉瓦でできた壁にぶつかった。

 けほっと、レノアはむせたが地に倒れたりはしなかった。

 左手を胸に近づけぐっと握り、右手に持つ剣を魔人へと向ける。

癒やしの場(キュアスポット)

 一言そう口にすると、レノアの身体が一瞬光り幅広の剣(ブロードソード)の先から、清らかな光が発せられ魔人を包み込んだ。

 すると、魔人は苦しげに身悶えするように、のたうち回った。

「伊達に小さな頃、聖法教会で修行をしたわけじゃないわ」

 レノアが用いたのは、聖技せいぎという技だ。

 聖法教会は、世界を作った神々を奉じる宗教で、幾多の国が国教としている。信仰心によって、超常的な力を得ることができる。レノアが用いた聖技は、効果抜群だった。

 だが、魔人は一匹だけではなかった。

 横合いから、戦斧が振り下ろされる。

「くっ」

 レノアは、幅広の剣(ブロードソード)で受け流す。

 その間に、苦しんでいた魔人も包んでいた光が消え立ち上がり、大剣を振りかざしてくる。

「分が悪いわ」

 レノアは、民家と道沿いの敵襲などに備える石壁の間にある路地へと駆け込む。

 先ほど、戦斧を受け流した右手がじんじんと痺れている。

 魔人は、その巨躯もあり怪力なのだ。

「セシルには大口を叩いたけど、正直厳しいわね」

 レノアは、路地の入り口を見た。

 魔人の巨躯が塞いでいる。

 反対側も。

 レノアを追おうとして、大きな身体では路地へと入れずにいるようだった。

 一応安全を得たが、これでレノアも行動を制限されてしまった。

「聖技で押さえ込んでいる間に、誰かがとどめを刺してくれればいいんだけど」

 大分、旗色が悪かった。

 遠くで、悲鳴が上がる。

 他の魔人が、町の者を襲っているのかも知れない。

 レノアは、ギュッと珊瑚色の唇を噛み締めた。

「一か八か、ここで異界の勇者を召喚してみる?」

 己に、レノアは問いかけた。

 ポケットから、青くときおり赤い光が走る六角柱をした召喚石を取り出した。

「今は、一刻を争うわ」

 レノアは、地に膝を付け両手で召喚石を捧げ持った。

「遙かなる世界よ」

 呼びかけるように、レノアは言葉をつむいだ。

「現は夢となり、夢を現となる」

 青い召喚石に走る赤い光が、強く輝いた。

「交差せよ。世界の境界よ」

 召喚石と同期するように、レノアの身体からも赤い光が発せられる。

「異界より、勇者を我が前に現したまえ」

 その言葉で、召喚石から発せられる赤い光が辺りを眩く照らした。

 周囲は、赤一色に染まる。

 中に、何ものかが現れるのを、レノアの碧い瞳が捉えた。

「やった。異界の勇者を召喚できた」

 歓喜の声が、レノアから漏れ出た。

 だが、次の瞬間、レノアの綺麗な顔は不審そうになった。

 赤い光がおさまると、そこには二人の人間がいたのだ。

「え?」

 レノアは、小首を傾げる。

 煤けた丈の長い簡素な服を身に纏った、汚れながらも凜然とした美しさを湛えた顔をした少女が一人。

 見たことのない珍妙な格好をした、可愛い――レノアからすれば軟弱そうな顔立ちの少年が一人。

 レノアの前で、驚いたような顔をして辺りを見回していた。

「どうして、二人も召喚されたの?」

 レノアは、不思議に思う。

 召喚されるのは、本来一人のはずだ。少なくとも、伝承ではそうなっている。

「Ou suisーje ?……一体、何が起きたの? ここは、ヴィエ・マルシェ広場じゃない……わたしは死んだの?」

 鈴を転がすような凜とした声が、煤で汚れた衣服を身に纏った少女から発せられた。

 最初、意味をなさなかった言葉が、頭がキーンとなるとレノアに理解できるようになった。

「君、その声……」

 少年は、驚いたように少女を見遣った。

「え? あなたこそさっきまでわたしに囁きかけていた、精霊?」

 煤で汚れた美しい少女は、不思議なものを見るような目で少年をまじまじと見詰めた。

「は? って、君ってまさか!」

 驚きが、少年の顔に浮かぶ。

 破砕音が鼓膜を打った。

 レノア、少年、少女は、ハッとなってそちらを見た。

 魔人が戦斧を振り下ろし、石壁を破壊したのだ。

「時間がないわ。あなた、これを」

 レノアは、少年に手に持つ幅広の剣(ブロードソード)を差し出した。

 思わずというように、少年は受け取った。

「あたしがあいつを押さえるから、その間にとどめを刺して。異界の勇者なら造作もないでしょう」

 そう、レノアは指示を出した。

「は?」

 間抜けな声を少年は、発した。

 大丈夫だろうかとレノアは思ったが、召喚されたからには異界の勇者に違いない。

 再び、魔人が戦斧を振り下ろした。

 レノアたちが隠れる石壁が崩れ去った。恐怖を喚起するような咆哮を響かせながら、魔人が向かってくる。

「ひっ」

 という声を上げて、少年は尻餅をついた。

 顔は青ざめ、迫り来る魔人を見てがたがたと震えている。

 対して、煤に汚れた少女は、身なりこそ貧相だが凜然とした美しい顔に驚きはあるものの、緑色グリーンの瞳に怯えはない。

 一方の少年は、魔人を目の前にして恐慌を来している。

 どちらが異界の勇者であるかは、一目瞭然だった。

「勇者は、こっちか」

 そうレノアは、判断した。

 少女は腰に手をやるが、薄汚れた簡素な服を身に纏っているだけで、帯剣していない。

 怯える少年を無視し、

「これを!」

 と、レノアは予備の短剣を少女に投げた。

 少女はそれを受け取ると、長いスカートを切り裂いた。白いしなやかな艶めかしい太股が顕わになる。


「映画館の中にいたはずなのに、映画館の中にいたはずなのに――」

 がたがたと身体を震わせながら、新弥は混乱の局地だった。

 確かに高校でできた友人と遊びに――数合わせで参加を頼まれたグループ交際に出かけたはずだ。カラオケに行ってボウリングをして、休憩したあと映画館へ。これでもかというほどの遊びのスケジューリングに辟易しながら、映画を観ている途中で寝てしまった。

 記憶に残っているのは、いつもの夢を見たこと。そこで、新弥は火刑に処せられる少女と、これまでにないほど意識が同調した。まるで、新弥が夢の中の少女となったようだった。

 その夢の中で、新弥は少女と会話した。その声も聞いた。少女がジャンヌ・ダルクと名乗り歴史上の有名人に感化され夢に見てしまう自分の馬鹿さ加減に呆れていたら、何かに引き込まれていくような感覚を覚えそこで意識が途切れた。次の瞬間全く見覚えのないここにいた。

 目の前に、剣を腰に吊した胸や腕や脚に鎧のような物をつけた黒髪に碧い瞳をした少女がいた。それから自分の傍らに、煤に汚れた簡素な服を着ながらも、凜然とした美しさを有した少女が。

「Ou suisーje ?……一体、何が起きたの? ここは、ヴィエ・マルシェ広場じゃない……わたしは死んだの?」

 混乱したように煤に汚れた少女が話したとき、最初何を言っているのか理解できなかった。キーンと頭が鳴ったと思ったら自然な言葉として理解できた。

 その声に、新弥は聞き覚えがあった。

 夢の中に出てきた少女と同じく鈴を転がすような声だ。

 そのことを確認しようと言葉を交わそうとしたときに、硬い物を砕く音が聞こえた。

 何かが、斧を手にしていた。

 すると、黒髪を編んで一本にまとめ左肩に垂らした気の強そうな綺麗な顔立ちをした碧い瞳をした少女が、凝った作りをした剣を差し出してきた。

 訳が分からず受け取ると、

「あたしがあいつを押さえるから、その間にとどめを刺して。異界の勇者なら造作もないでしょう」

 と黒髪に碧い瞳をした少女が言った。

 次の瞬間、もう一度破砕音が聞こえ近くにあった石壁が崩れ去った。

 すると、それまで石壁に隠れていたそれが顕わになった。

 異形の存在――身の丈は二メートルほどあり、黒々とした体皮に覆われ頭には二本のねじれた角が突き出ている。まさに、化け物としか形容できない。とても、メイクや仮装などには見えない。

 それが、分厚い鎧を纏い手に斧を持って、恐ろしい吠え声とともに突っ込んできたのだ。

 意識が真っ白になり新弥はパニックに陥り、うわごとのように言葉を繰り返しながら、がたがたと身体を震わせ今にいたるというわけだ。

「何て力!」

 離れた場所で、そんな声が聞こえた。

 おそるおそる、新弥はそちらを見る。

 あの、夢の中でジャンヌ・ダルクと名乗った少女が、化け物相手に短い剣で戦っていた。

 振り下ろされる斧を、見事な身ごなしで躱す。

 切り裂かれたスカートから顕わになったしなやかな白い太股が、妙に艶めかしかった。

 新弥などは、それを見ているだけで血の気が引きそうだった。刃物で――あんな大きな斧で襲われたら、その場で立ち竦んでしまうだろう。

 恐ろしい唸り声を、化け物は上げた。

 新弥は、身体を硬直させた。

 巨大な斧を、化け物は闇雲に振り回す。

 あんな物が掠りでもしたら大怪我するだろうと、新弥は身を抉られるような嫌な感覚に耐えながら、ジャンヌと化け物の死闘を見ていた。

 それにしても、ジャンヌが手にしている剣は、相手にしている化け物の得物と比べて短すぎ頼りなく新弥は感じた。

 それから、ああそうかと右手が触れている凝った作りをした剣を見た。これを、黒髪に碧い瞳をした少女が最初に差し出したのが新弥だったから、他に武器がなかったのだ。

「あたしが魔人を押さえるから、待ってて」

 新弥の傍らで、そう声がした。

 黒髪に碧い瞳をした少女が、左手を胸に近づけぐっと握り、右手を突き出していた。

癒やしの場(キュアスポット)

 と、まるで何かの呪文のような言葉を、少女は口にした。

 次の瞬間、新弥は目を見開いた。

 少女の身体が一瞬光り、右手から清らかな光が発せられ化け物を包み込んだ。

 すると、化け物は苦しげに地に倒れのたうち回った。

「今よ」

 少女の声に、ジャンヌは化け物の喉元に鋭く短い剣を突き入れた。

 嫌な呻き声が上がると、化け物は動かなくなった。

「お見事」

 少女は、短い賞賛の声を投げかけた。

 新弥の頭は、混乱している。

 黒髪に碧い瞳をした少女は、まるで魔法使いのようなことを、今確かに目の前でして見せたのだ。

 再びの咆哮に、新弥は顔を上げる。

 別の化け物が、長い大きな剣を手にジャンヌに斬り掛かってきた。

 ひらりと、ジャンヌは避ける。

 と思ったら、地を蹴り化け物に近づき短い剣を鎧の隙間に突き入れた。

 あまりにも見事な動きに、新弥は目を見張る。

「硬い!」

 ジャンヌは、すぐに短い剣を引いた。

 どうやら、刺突がとおらなかったようだ。先ほど突き入れた化け物の首は、硬そうな黒い体皮に覆われた身体の中でも、比較的に柔らかかったのだろう。

 すぐさま化け物が振るう長い大きな剣を、短い剣でジャンヌは横へと逸らさせた。

 新弥の素人目でも、ジャンヌは相当な剣の使い手だと分かる。

 すぐ隣では、黒髪に碧い瞳の少女が、再び左手を胸に近づけぐっと握り、右手を差し出していた。珊瑚色の唇が開かれる

 また、呪文のような言葉を口にするのだろうかと思ったが、出てきた言葉は違った。

「きゃっ」

 短く悲鳴を上げると、少女の身体が吹き飛ばされた。

 もう一匹化け物が、新弥たちの近くにぬっと現れた。

「う、うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 ありったけの叫び声を、新弥は上げた。

「君ッ!」

 ジャンヌの切迫した声が聞こえた。

「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」

 目の前の化け物が咆哮を上げる。

 さらにもう一匹ジャンヌに近づいてくる。

 もどかしそうな顔をジャンヌはし、向き直る。

 そのとき、変化が起きた。ジャンヌの身体に重なるように、光の槍が出現したのだ。その槍が、正面の化け物へと向かって猛進するように突き進んだ。化け物の身体は、鎧ごと易々と切り裂かれた。

「異界から召喚された勇者の異能が発現したッ!」

 地面に転がっていた少女は顔を上げ、碧い瞳をありありと見開きジャンヌを見ていた。

 どうやら、化け物の腕で吹き飛ばされただけのようで、大した怪我などは負っていない様子だった。

「一体、何なんだ」

 先ほどから、魔法のようなものやゲームに出てくるエフェクトのかかった必殺技のようなものを見せられ、新弥は訳が分からず叫んだ。

「全く、こっちは役立たずね」

 碧い瞳を白ませ、少女は新弥に侮蔑するような視線を向けた。

 咆哮が上がる。

 そう言えば、近くに化け物がいたことを新弥は思い出した。

「た、助けて!」

 情けなく新弥は、少女に訴えた。

「あなたも異界から来た勇者なら、何か異能を発現させてみなさいよね!」

 言いつつ、少女は立ち上がり左手を胸に近づけぐっと握り、右手を化け物に向けた。

癒やしの場(キュアスポット)

 そう口にすると、少女の身体が一瞬光り、差し出した右手から清らかな光が発せられ化け物を包み込む。

 苦しそうな呻き声を上げ、化け物はうずくまる。

 その間にもう一匹の化け物は、ジャンヌが再び出現させた光の槍で身体を引き裂かれた。

「大丈夫ですか?」

 ジャンヌが、そう呼びかけながら駆け寄ってくる。

「ええ。こっちのはあたしが押さえているから」

 黒髪に碧い瞳の少女が、笑顔で答えた。

 化け物の前まで来ると、隙なくジャンヌは短い剣を構える。

 すると、身体が透かし見えるように光の槍が正面に現れる。

 ジャンヌが、柳の眉を吊り上げ緑色グリーンの瞳を鋭くすると、勢いよく光の槍は突き進み化け物を鎧ごと切り裂いた。

「凄いわ」

 嬉しそうに、黒髪に碧い瞳をした少女は呟いた。

 周囲に化け物がいなくなったことを確認すると、少女はジャンヌに歩みよった。

「凄い異能ね。身ごなしや剣の腕も見事だったわ。あたしは、レノア・ラ・シュティーミル。この一帯を治めるシュティーミル伯爵家の当主よ。あなたは?」

 レノアと伸びやかな声で名乗った少女は、ジャンヌに右手を差し出す。

 やっと落ち着いてきた新弥は、その伯爵家当主と名乗る少女――レノアを見た。青い柄の入ったシャツを帯で身体の前で結び、茶色い革の太股の半ばまで隠れるスカートにブーツを履いている。その上から、胸と腕と脚を覆う鎧を身に付けていた。黒髪を編んで一本にまとめ左肩に垂らし、気の強そうな綺麗な顔立ちに湖面を映し出すような碧い瞳をしている。その黒と碧の組み合わせは、日本人である新弥にはとても魅力的に映った。

「わたしは、ジャンヌ・ダルクと申します」

 ジャンヌは、レノアの手を握りながら鈴を転がすような声で名乗った。

 煤に汚れた元は白かった簡素な衣服を、ジャンヌは身につけている。長かったスカートは乱雑に切り取られ、白いしなやかな太股が顕わになっていた。肩下まで伸ばした栗色の髪に縁取られた顔はとても美しく、緑色グリーンの瞳をしていた。胸元は、豊かに膨らんでいる。

 新弥は、本当にあのジャンヌ・ダルクなのかとまじまじと見詰めた。

 まさかと思う。

 だが、戦う姿は戦女神かと思うほど凜々しく、とても強かった。実物なのだろうかと、新弥は感動のようなものが湧き上がるのを感じた。

 レノアは新弥と同い年くらいだが、ジャンヌは少しだけ年上のようだった。

「僕は、漠新弥」

 二人の少女に近づきながら、新弥も名乗った。

 振り向きジャンヌが口を開きかけるが、レノアの声が響いた。

「あなたには聞いてないわよ。軟弱者ッ!」

 冷たくレノアは、切り捨てるように言った。

「そんなー」

 邪険にされた新弥は、情けない声を上げた。


 破壊の跡がある町を、気むずかしげな顔をしてレノアは歩き回った。

 被害を確認しているのだろう。

 そのあとを、新弥とジャンヌはついて回った。何しろ化け物などが出現する場所だ。ここに住む顔を知った相手の傍を離れてくはない。

 町の作りやレノアを始めとする住民の格好は、まるで中世だ。いや、世界史の資料で見た様々な装束よりも、洗練されて見える。若干現代風が入っているというか。もしかして、皆で仮装をしているのかと新弥は、とある可能性から目を逸らして考える。そんな馬鹿なことがあるはずがない、と思ったからだ。皆で仮装なり何やらのなりきりをしていると考えるのが、自然でまともな考え方だ。

 第一、ジャンヌ・ダルクと名乗る少女が一緒にいることが怪しい。新弥が知るジャンヌ・ダルクは、ずっと昔に生きた英雄であり聖女だ。一四〇〇年代、フランスの王位継承をめぐり、イングランドが介入し勃発した一〇〇年戦争で活躍した。そんな人物が同じときを過ごしているわけがない。

 これは何かのドッキリで、皆で自分を担いでいるのかと考えたが、こんな手の込んだ大がかりなことをするはずもない。日本人は自分だけで、あとは全て外国人。そして、目の前に広がる町並みは日本のものではない。

 赤い屋根と白い煉瓦を用いた壁を持つ家屋が並んでいる。町並みはとても瀟洒で、周囲の山々は風光明媚だった。少し離れた町の中心にある木の生い茂った高台の上には、いかにも中世の貴族が住んでいるような屋敷があった。

 映画館で寝ていた自分を拉致して、EUのどこかに連れてきたなどと考えるのは、さすがに不可能だった。では、一体ここがどこなのかと新弥が考えていると、地を揺るがすような響きが聞こえてきた。

 何ごととそちらを見ると、鎧に身を固めた騎馬の一団が山間の道から姿を現す。

「おいおい、嘘だろう」

 呆然と新弥は呟いた。

「これは、映画か何かの撮影なのか?」

 当然湧き上がる疑問だった。

 悪い夢なら早く醒めてくれ、と新弥は心底思った。

「見たこともない旗……どこの騎士団かしら?」

 ジャンヌは若干身構えて、美し面に緊張を漲らせた。

 近づいてくる騎馬の一団が掲げる赤地の旗には、何やら空想上の動物らしきものが描かれている。

「セシルたちだわ。魔人どもを追い払ったのね」

 レノアもそちらを見て、嬉しそうな声を上げた。

 その様子は、とてもお芝居をしているようには見えなかった。いや、なりきりならよくやっていると言えるが。

「お仲間なのか?」

 状況が整理できないまま、新弥はそう問いかけた。

「我がシュティーミル伯爵家の騎士団よ」

 胸を張って、レノアは答えた。

「へー、そうなのかー」

 答えを聞いて、頭が痛くなった新弥は棒読みで返した。

 伯爵だの騎士団だの、まるきり中世でファンタジーや映画の世界だ。まともに取り合う気には、新弥はなれなかった。

 ジトーッとした碧い瞳を、レノアに向けられた。

「何? そのやる気のひとかけらもない返事は。伝え聞く異界の勇者とはまるで違うわ。バッニーヤだっけ、あなた異界から本当にやって来たのよね?」

 怪訝な表情を浮かべ、レノアは冷たい声でそう尋ねた。

「え? い、異界って何?」

 先ほどから考えまい考えまいとしていた単語をレノアに言われ、新弥は慌てた。

「バッニーヤって言いづらいわね。あなたのことは、これからバニーって呼ぶことにするわ」

 いらっとした様子で、レノアはそう宣言した。

「僕は、西洋人じゃないよ」

 慣れない呼称に、新弥は文句を口にする。

「西洋人って何よ? いいこと、バニー。あたしは異界から勇者を呼んだの。なのに、さっきのあなたは何? 魔人を目の前にして、ただがたがた震えるだけ。情けないったらありはしないわ」

 碧い瞳を白ませながら、レノアは口調も冷たくする。

「そんなの仕方がないじゃないか! あんな化け物が目の前にいたら、驚くのが当たり前じゃないか!」

 声を大にして、新弥は言い放った。

「はー」

 盛大にレノアは、溜息を吐いた。

「バニー、あなたはなんでここに来たのよ。全ッ然、勇者じゃないじゃない。情けなく震えてばかりで。男のくせにッ!」

 人差し指を立て、レノアは新弥に詰め寄った。

「あの。わたしもあのような化け物は、見たことがありません」

 ジャンヌが、遠慮がちにレノアと新弥の間に入った。

「でも、立ち向かっていったじゃない。ジャンヌは、紛れもなくあたしが召喚した異界の勇者だわ」

 笑みを、レノアはジャンヌに向けた。

「召喚した?」

 ぴくりと、新弥は反応した。

 先ほどからレノアが口にする言葉に、嫌な予感がどんどん新弥の中で大きくなっていく。

「ええ、そうよ。異界の勇者をね」

 と、レノアは胸を張る。

「じゃあ、君が僕をここに呼んだっていうわけか!」

 新弥は、レノアににじり寄った。

 異界に召喚という単語。新弥にとって信じがたい言葉が立て続けに並んだが、見知らぬ世界に突然いて見たこともない化け物が登場するなら、それはよく物語にある異世界へ行くことになりましたというやつだ。

 非科学的だろうと、それならばこの状況をしっくり説明できる。が、とても新弥は信じられなかった。

「そもそも、ここはどこなのでしょう。レノア殿は伯爵だということですが、ここはフランスですか? それともイングランド?」

 ジャンヌは、戸惑いを緑色グリーンの瞳に浮かべながら、小首を傾げた。

「ジャンヌがいた世界とは、別の世界よ」

 端的に、レノアは答えた。

 その言葉に、新弥は冗談だろうと思う。本当にここは異世界なのか、と。そして、目の前のレノアという少女が、新弥やジャンヌを召喚したという。

「嬉しいわ。ジャンヌのような勇者が来てくれて。剣の腕も確かなようだし、異界の勇者の証でもある異能を早速発現させたし」

 ジャンヌに対して、レノアはにこやかで機嫌がいい。

「冗談じゃないよ。君が僕を呼んだって?」

 まだ全て信じたわけではないが、新弥はご機嫌のレノアに食って掛かった。

「別に、バニーは呼んでいないわよ。あたしが呼んだのはジャンヌだし。どうして、あなたは来たの」

 冷たく突き放すような視線と口調を、レノアは新弥に向けた。

「それに、なーに? その変な服は?」

 レノアは、新弥のジーンズにパーカーといった格好を指さした。

「確かに、おかしな格好ですね」

 しげしげと、ジャンヌも新弥を緑色グリーンの瞳で見詰めた。

「ふ、二人で、じろじろと」

 新弥は、たじろぎあとずさる。

 レノアは中世かファンタジー世界に出てくるような、時代がかった格好をしている。ジャンヌは、簡素なやはり新弥の時代とは異なる格好をしている。

 本物のジャンヌ・ダルクならば生きていたのは正に中世一〇〇年戦争の時代だ。新弥にとっては当たり前の格好だが、本当にここが異世界で時代感が違うなら、自分の格好を奇異と感じるのは頷ける。

 それは、ここを異世界であると認めることになってしまうが。

「バニーは、一体どこの世界から来たの?」

 胡乱げな眼差しを、レノアは向けてきた。

「ジャンヌと同じだよ。本当にここが異界とやらで、僕たちが召喚されたのならね」

 幾分挑戦的な口調に、新弥はなった。

「嘘。格好が全然違うじゃない」

 疑わしげな視線を、レノアは新弥に注ぐ。

「そうですね」

 ほっそりと締まった頤に指をあてがい、ジャンヌは頷いた。

 その二人の少女の態度に、ここが異世界であり非科学的なこともあり得ると新弥は認めたくなかったが、こう答えるしかなかった。

「ジャンヌよりも、ずっと先の未来で僕は暮らしていたのさ」

 この馬鹿げた状況を肯定するようで癪だが、ジャンヌ・ダルクが本物であることを前提に新弥は話す。

「未来……」

 ジャンヌの緑色グリーンの瞳が揺れた。

「ああ、なるほど。異界と異界は、時間軸も空間軸も一点に集中して繋がっているから、同じ世界でありながら生きた時代が違うジャンヌとバニーが、何らかの要因で一緒に召喚されてしまったのね」

 レノアは、納得顔をしている。

「どういうことでしょうか?」

 美しい顔に疑問の表情を浮かべながらジャンヌが問いかけたとき、馬のいななく声と地を踏みしめる足音が聞こえた。新弥は、こういう足音を馬蹄の音っていうんだっけと、小説のページを頭の中で捲った。

「レノア様! 魔人どもは、我々が攻撃を始めるとすぐに引きました。どうやら、この領地を探りに来たのかと」

 鎧姿の少女が、そうレノアに報告した。

 その鎧は、周囲の騎馬の者たちよりも繊細な作りをしていて、頭にはバイザーのついたサークレット状のヘルムを被っていた。顕わになった顔は細やかに整っていて、琥珀色アンバーの瞳は思慮深そうだった。

「え?」

「まぁ」

 新弥とジャンヌは、同時に声を上げた。

 少女の耳は、人間のそれよりも尖っていた。

 新弥はジャンヌと目が合い、互いに戸惑った色が瞳に浮かんでいるのを見た。

「ご苦労様、セシル。取り敢えず、屋敷へ行きましょうか。色々話をしなくちゃいけないし」

 レノアは、新弥とジャンヌに振り向いた。

「そのお二人は……」

 尖った耳をした鎧を纏った細身の美しい少女――セシルが新弥とジャンヌを見遣った。

「そうよ」

 大きく、レノアは頷いた。

「成功したのですね」

 喜ぶような表情が、セシルに浮かぶ。

「ええ。セシル、悪いけどあとはお願い。二人を屋敷へ連れて行くから」

 レノアもにこやかな顔をした。

「心得ました」

 右手を握り左胸に、セシルはびしっと当てた。

 この世界での、敬礼の作法かなと新弥は思った。

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