第1章 夢現 1
高校生活が始まって一月半ほど経った休日、新弥は出かける準備をしていた。
おかしな夢を見るようになったのは気になるが、何となくお守り代わりとなった銅製の簡素な古いリングを、銀のチェーンで首からかけて新弥は出かけた。
高校に入学してからできた友人たちと遊ぶという口実のグループ交際だった。クラスで目立ちもしない毒にも薬にもならぬ新弥は、数合わせでありあまり気乗りはしなかった。他の男子からは、安全牌のように見られていることが面白くはなかったが、付き合いを疎かにすれば新弥では今後クラスで孤立させられる恐れがあった。だから、嫌々だが参加した。
新弥が気になっている女の子と付き合いたい友人――高校生活を送っていくため一緒にいる者も一緒なので、正直来たくはなかった。が、頼み込まれ仕方なく参加した。
カラオケボックスに入ると新弥の目の前で、友人が新弥の気になる子に積極的に話しかけていた。それを見ているだけで、新弥の心がざわつきささくれ立ってくる。
苛々した気持ちだったが、誰かに話しかけられれば新弥は愛想よく答える。
嫌だ、こんな自分。
談笑しながら、そんな思いが湧き上がってくる。
自分は、ずっとこんな他人の引き立て役のような存在なのだろうか? 己の意思で道を切り開くような生き方とは無縁なのだろうか?
そんな切ない気持ちが、ちらりと過ぎった。
物語の主人公のような生き方は無理だとしても、もう少し増しな生き方がしたいと新弥は思った。
「漠君の声って、なんか優しいよね」
隣の子が、うじうじ考えていた新弥に、そんなことを話しかけてきた。
「そう?」
新弥は、適当に話を合わせるだけだ。
それが冴えない人生を送る、漠新弥の生き方だ。
気になる女の子と友人が楽しげに話していて、少し新弥は苛ついた。その子は、さらさらの黒髪を長く伸ばした、色白な女の子だった。その子が、友人のくだらない冗談で楽しそうに笑うと、新弥の心は苦しくなる。
「ねぇ、漠君。曲入れた?」
そんな新弥の気持ちも知らず、性格のよさそうな隣の子が気さくに話しかけてきた。
この子も人数合わせの付き合いかと、新弥は一人不機嫌になるのは身勝手と思い直し、表面上だけは楽しさを装った。
カラオケのあとは、昼食を挟んでボウリング。
ひたすらハイスコアを目指したら、新弥は腕が痛くなった。中学生の頃、新弥はテニス部に入っていた。受験で碌に身体を動かしていなかったことを、思い出した。
休憩がてら午後のお茶をファーストフード店で済ましたあと、映画館へと入った。
財布が大分軽くなったと、内心新弥はぼやいた。経済的に全く優しくない遊びの――グループ交際のコースだった。
午前中歌いまくり、昼食を食べたあと午後からボウリングをして身体を動かし、思ったよりも新弥は疲れていたらしく、映画が始まって少しすると、睡魔に襲われだした。
耳に、映画の台詞か何かがぼんやりと流れる。
「――現は夢となり、夢は現となる。交差せよ――」
そんな言葉が頭の芯に響いたような気がした。
また、新弥はいつもの夢を見た。
けれど、いつもと違う。
これまで、新弥は少女の傍らに寄り添うように夢を見ていた。が、今回は明らかに自分の視点として、火刑台にいた。
恐怖と絶望が、新弥の意識を染め上げる。
これまでは、傍らから眺めながら少女の思いを感じていた。が、今回は違う。感じる思いもより鮮烈だった。これまでは衣服の上から感じていた刺激が、直になったような。まるで自分のことのような。
下を見ると、ふくよかな胸が激しい呼吸で波打っている。
煙を吸い込む度に、苦しくなる。
ねぶるような熱気が、下から途切れることなく吹き付けてくる。
「これ、夢だよな」
あまりのリアルさに、新弥はそう口にした。
――わたしは、まだ死にたくない。
痛切な気持ちが、新弥に流れ込んでくる。
とても切ない気持ちに、新弥はなった。
――ああ、こんな思いはいけない。
強い後悔にも似た気持ちを、新弥は自分のことのように感じた。
視線を足下に置かれた小さな十字架へと向けるが、煙と熱気でとても見ていられなかった。
――一緒に戦ったみんなとも離され王にも見捨てられ、わたしは一人きり。
救われない、報われない痛切な気持ちに新弥はなった。
だから、つい話しかけてしまった。
「僕も一緒にいるよ」
と。
――あなたは誰? 神がお使わしになられた精霊?
縋るように、少女はそう尋ねてきた。
「僕は、漠新弥。よく、この夢に呼ばれる。これは、君の夢?」
湧き上がるあまりの孤独感に、新弥は夢の中の少女を求めた。
――夢じゃない。わたしは、これから死ぬの。
そう、少女は痛切に訴えてきた。
「君は誰?」
まるで自分自身のように感じる相手を、新弥は知りたかった。
――わたしは、ジャンヌ・ダルク。
夢の少女は、そう名乗った。
「え?」
新弥は、ぎくりとした。
やはり、この夢はジャンヌ・ダルクのものだったのか、と。なるほど、と新弥は思う。なんて、自分の想像力は逞しいのだろう、と。
今年の春先に行ったフランス旅行を思い出す。
ドンミレ・ラ・ピュセルへ行ってから、新弥は英雄にして聖女であるジャンヌ・ダルクの生涯に詳しくなった。その悲しい終わり方に、同情したものだ。
「夢に、ジャンヌ・ダルクを見るだなんて。どれだけ僕は、感化されやすいんだ」
呆れた声を、新弥は発した。
この夢を見始めたのは、ジャンヌ・ダルクの生涯を知る前からだと思うが、そうとしか新弥は考えられなかった。
「こんな感じだったのかな。まるで魂のない屍のような連中に見詰められながら、煙に巻かれ炎にあぶられ死んでいく。煙たくて熱くて辛くて」
元の自分を取り戻したくて、新弥はそう言った。
この気持ちは辛すぎる。
――わたしが感じていることが分かるの?
ジャンヌと名乗った少女が問いかけてくる。
「だって、これは僕の夢だもの」
新弥は、縋り付くような激情を脇に置きながら、冷静になれと己に念じて答えた。
この気持ちは夢の中のでっち上げで、自分の物ではない想像だと。
――だから、夢じゃない。
そう痛切な叫びを聞いたとき、新弥は何かに引き込まれるのを感じた。
吸い込まれていくような。
意識が白濁していく。
思考が、そこでプツリと途切れた。